マストドンは絶滅しても

しょせんは亜流?

マストドン、最近何かと話題になっているツイッター・ライクなソーシャルコミュニケーションツールのことだけれど、これは流行る。いや、流行らない。どっちなんだ?

まず、現状のままのマストドンが流行るとは思えない。理由はいくらでもあげられるだろう。たとえば、

  • 先行のTwitterと比較して、ほとんど機能的に何も変わらない。
  • 主なメリットは、「Twitterではない」ということ。
  • 盛り上がっているのがオタクとGeekだけ。
  • ユーザーの増大によって発生する問題に無防備
  • インフラを維持するコストをどう償却するのかが見えない。

など、シロウトが思いつくだけでもいろいろとある。中身に入ったら、もっといろんな問題があるのだろう。上記は、外側だけのこと。

実際、「短文をつぶやく」という機能に限っては、マストドンTwitterクローンでしかない。140文字の制限が500文字まで長くなっているといったところで、流れてくるtootのほとんどが数十文字でしかないのだから、この違いはあってないようなもの。細かい機能の違いの中には(単純に慣れていないだけだろうが)使い勝手がわるいものもあるし、Twitterのように周辺にぶら下がって利用できるサービスもない。

そんななかで一部のユーザーが盛り上がっているのは、「Twitterが窮屈に感じていたのにここは自由だ」みたいな感覚が大きいようだ。つまり、「Twitterではない」ことがほぼ唯一のマストドンの強みになってしまっている。しかし、そういう感覚は、もしもマストドンがメジャーになってしまえば(あるいはTwitterを置き換えてしまえば)消えてしまうだろう。

ただし、Twitterとの違いがないわけではない。それは、自分の属するインスタンス内だけである程度世界が区切れるということだ。ただ、そうはいっても、それがどういうふうに発展していくのかはまだ不明。だからここは「現状」のほうに含めずに、後のほうで「将来」に含めて書く。

ユーザーが増大することによる問題は、ごく初期にエロ画像問題として発生していたが、不特定多数の人々が通信を行うことに伴って発生するさまざまなリスク(法的なリスクを含む)に対してどう対処できるのかは、けっこう大きな問題だろう。

Twitterのような営利企業はそういった問題の解決にコストをかけることもできるわけだが、マネタイズの方向性もわからないマストドンでは、それが可能かどうかもわからない。

とまあ、シロウトが観測した大雑把なところでもこんな感じだから、まずマストドンが流行することはない。しかし、じゃあそれでおしまいなのかといえば、そうではないと私は強く感じている。これは絶対に流行る。

進化は不可避

マストドンは、いつまでも現状のマストドンではないだろう。なぜならそれはオープンソースだからだ。オープンソースのプログラムの常として、進化は急速に起こる。いま、Geekたちのあいだでこれほど盛り上がっているのだから、開発が停滞することは考えにくい。1ヶ月後には、マストドンは現在のものとは一変しているはず。

そして、これもオープンソースで起こりがちなこととして、プログラムはフォークしていく。フォークするだけなら似たようなものが乱立するだけで「だからどうなの?」ということでしかないのだけれど、フォークした先で、思いもかけないような変化が起こる可能性がある。それは最初は現在のものにちょっとした機能を付け加える程度のことであるかもしれない。けれど、それが全体の性格を大きく変えるかもしれない。使い方が変わってしまうかもしれない。そうなれば、Twitterと比較することさえ意味を成さなくなるだろう。

そんな未来を考えたときに、マストドンのもうひとつの強みは、その分散型の構造だ。どこかに情報の処理が集中するのではなく、あちこちに林立したインスタンスごとに情報が処理され、その情報がインスタンスを超えて流通する。そういうスタイルそのものが、次の新しいメディアの基盤になる可能性は高い。

インスタンスごとに区切られた世界というだけなら、これまでにも閉鎖的な文化をもったWeb上の空間はいくらでもある。区切られた世界を繋いでいくことも(たとえばURLを貼り付ければ)可能だ。けれど、それがシームレスに行われることはなかった。そういう意味でマストドン的世界は新しい。


だから、マストドンは流行りかけて廃れるかもしれないが、それが残す遺産は廃れない。その遺産の中から、次世代のメディアが誕生する。それがマストドン直系であれば、「マストドンが流行る」未来が生まれることになる。私個人としては、そうなるような気がしてならない。

そろそろ次が来る──経験則でしかないけれど

というのも、Webに乗っかったメディアの変遷を見たら、「そろそろ次が来てもいいなあ」という頃だからだ。その出発点は、画期的なものである必要はない。発展していくポテンシャルだけあればいい。そして、オープンソースマストドンには、上記のようにそのポテンシャルがある。

思い起こせば、私が最初にWebをマス(といっても私の力では数百人程度まで)に対するアプローチとして使い始めたのはメールマガジンだった。そして、そのシステムを使い始めた最初は「それってローカルの同送リストと同じじゃないの」と思ったものだ。次にブログだったが、「それって逆順日記じゃない」としか思わなかった。Twitterが出たときも「ミニブログ」としか思わなかったし、Facebookに至っては「こんな個人掲示板みたいな古臭いものなんか使うもんか」と思ったりもした(実際使わなかった)。そもそもSNSなんか、みんなミクシィの亜流だとさえ思っていた。サービスが出始めた頃っていうのは、多くの人は過去にあったものに似たものとしてそれを理解しようとする。そして、「いまさらそれはないだろう」と否定的に思う。けれどいま、Facebookミクシィの真似だとかいったら、笑われるだけだ。だから、スタート時点の現在のマストドンTwitter亜流だからといって、それがここから先に大きな潮流にならないと否定する理由にはならない。

数年おきにメディアに大きな潮目が訪れるのは、ハードウェアが進歩するからではないかと思っている。パソコンをもつ人が増えて「ホームページ」が流行り、携帯でメールを受信できるようになってメールマガジンの影響力が大きくなった。常時接続が一般化してトラフィックの増大に耐えるインフラができ、ブログが流行した。SNSの大衆化はスマホの普及と軌を一にしている。通信技術が進歩して新たなデバイスやサービスが拡大すると、それに乗っかるようにしてコミュニケーションのためのメディアが勃興する。

じゃあ、いまはどんなハードウェアが生まれているのか? たぶん、10年後に振り返ったら、それが明らかになっているはずだ。だが、いま私には見えていない。ひょっとしたらそれは、「格安SIM」の普及かもしれないなとかも思う。私はMVNOのSIMを2011年から使っているのだけれど、最初の数年は完全に異端者だった。それがここ数年は一気に市民権を得てきている。そういう背景とマストドン的なネットワークは、どこかでシンクロしないだろうか? あるいは、そういう一国内特殊事情ではなく、もっとグローバルなデバイスの変化が起こっているかもしれない。いずれにせよ、スマホの拡大一辺倒で来たここ10年ほどのハードウェア的な状況に、そろそろ潮目が変わる時期のような気がしている。

 

だから、マストドンは流行するし、流行しない。いまの形のマストドンは、その名の通り化石となって埋もれていくだろう。だが、そこから生まれる新しい生物は、巨象のように大きなうねりとなっていくにちがいない。ま、私はそうなることに昼飯ぐらいなら賭けてもいいな。

 

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話題に乗っかってしまって、マストドンを10日ほど前から使っている。「使っている」といったらちょっとちがう。登録して、10人ばかりをフォローして、100ほど愚にもつかないことをつぶやいて、タイムラインを眺めて、それで何かが得られたかというと特に何が得られた気もしない。それでも、それをきっかけにいろいろと考えることもある。だから、無駄ではないのだろう。

どっぷり浸かっているわけでもないし、プログラムに詳しいわけでもないし、SNSには疎いし(Twitterをずいぶん昔に2年ほどやってやめてしまった)、どう考えてもこの新たなメディアを論評する立場にはないのだけど、思うところを少し書いてみた。