保育園で国歌・国旗は強制できない(技術的にも、法令的にも)

今日もまた、我が家に7人の保育園児がやってきた。前回記事にも書いたが、年長児たちが卒園を前に、「よそのお家」に遊びにくる企画だ。こういう変な企画にノッてきてくれる保育園があって、本当にありがたいなあと思う。そして、保育園って、そういう融通無碍なところがあるからいいよなあとも思う。なにせ、学校じゃないから。

その保育園に「国歌・国旗」というようなニュースが以前あって驚いた。たとえば、こういう報道。

www.asahi.com

パブリックコメント募集中ということなので、これは一言言わなければいけないと思った。自分で調べればいいのだけれど、ちょっと手が離せなかった。こういうときには、はてな界隈の人々が頼りになる。こっちのブコメ

b.hatena.ne.jp

に「誰か、パブコメのページのアドレスを貼ってくれ!」と書いたら、さっそくid:kanflu さんが教えてくれた。私のズボラを助けてくれて、感謝しかない。

で、ようやく少しだけ手が空いたので、パブコメの下書きでもしようかと思った。厚生労働省に文句を言ってやろうというわけだ。そして、教えてもらったページにあった資料を見て、ちょっと考えこんでしまった。これ、むずかしいわ。

 

改正告示(案) には、「国旗」「国歌」がそれぞれ1回ずつ出てくる。すなわち、

第2章 保育の内容

(中略)

3  3歳以上児の保育に関するねらい及び内容

(中略)

(2) ねらい及び内容

(中略)

ウ 環境
周囲の様々な環境に好奇心や探究心をもって関わり、それらを生活に取り入れていこうとする力を養う。
(ア) ね ら い
①身近な環境に親しみ、自然と触れ合う中で様々な事象に興味や関心をもつ。
②身近な環境に自分から関わり、発見を楽しんだり、考えたりし、それを生活に取り入れようとする。
③身近な事象を見たり、考えたり、扱ったりする中で、物の性質や数量、文字などに対する感覚を豊かにする。

(イ) 内 容
① 自然に触れて生活し、その大きさ、美しさ、不思議さなどに気付く。
②生活の中で、様々な物に触れ、その性質や仕組みに興味や関心をもつ。
③季節により自然や人間の生活に変化のあることに気付く。
④自然などの身近な事象に関心をもち、取り入れて遊ぶ。
⑤身近な動植物に親しみをもって接し、生命の尊さに気付き、いたわったり、大切にしたりする。
⑥生活の中で、我が国や地域社会における様々な文化や伝統に親しむ。
⑦身近な物を大切にする。
⑧身近な物や遊具に興味をもって関わり、自分なりに比べたり、関連付けたりしながら考えたり、試したりして工夫して遊ぶ。
⑨日常生活の中で数量や図形などに関心をもつ。
⑩日常生活の中で簡単な標識や文字などに関心をもつ。
⑪生活に関係の深い情報や施設などに興味や関心をもつ。
保育所内外の行事において国旗に親しむ。
(ウ) 内 容 の 取 扱 い
上記の取扱いに当たっては、次の事項に留意する必要がある。
①子どもが、遊びの中で周囲の環境と関わり、次第に周囲の世界に好奇心を抱き、その意味や操作の仕方に関心をもち、物事の法則性に気付き、自分なりに考えることができるようになる過程を大切にすること。また、他の子どもの考えなどに触れて新しい考えを生み出す喜びや楽しさを味わい、自分の考えをよりよいものにしようとする気持ちが育つようにすること。
②幼児期において自然のもつ意味は大きく、自然の大きさ、美しさ、不思議さなどに直接触れる体験を通して、子どもの心が安らぎ、豊かな感情、好奇心、思考力、表現力の基礎が培われることを踏まえ、子どもが自然との関わりを深めることができるよう工夫すること。
③身近な事象や動植物に対する感動を伝え合い、共感し合うことなどを通して自分から関わろうとする意欲を育てるとともに、様々な関わり方を通してそれらに対する親しみや畏敬の念、生命を大切にする気持ち、公共心、探究心などが養われるようにすること。
④文化や伝統に親しむ際には、正月や節句など我が国の伝統的な行事、国歌、唱歌、わらべうたや我が国の伝統的な遊びに親しんだり、異なる文化に触れる活動に親しんだりすることを通じて、社会とのつながりの意識や国際理解の意識の芽生えなどが養われるようにすること。

(以下略。ボールド指定は本ブログ筆者)

となっている。保育の「内容」に「国旗に親しむ」が入り、「内容の取り扱い」に「国歌(に)親しんだり」と入っていることから、ここだけ読むと「ああ、保育園で国旗・国歌を扱うようにという指針なのかなあ」と思ってしまう。しかし、この「保育に関するねらい及び内容」が何なのかということを読んでみると、さらに上の方に、

第2章 保育の内容
この章に示す「ねらい」は、第1章の1の(2)に示された保育の目標をより具体化したものであり、子どもが保育所において、安定した生活を送り、充実した活動ができるように、保育を通じて育みたい資質・能力を、子どもの生活する姿から捉えたものである。また、「内容」は、「ねらい」を達成するために、子どもの生活やその状況に応じて保育士等が適切に行う事項と、保育士等が援助して子どもが環境に関わって経験する事項を示したものである。
保育における「養護」とは、子どもの生命の保持及び情緒の安定を図るために保育士等が行う援助や関わりであり、「教育」とは、子どもが健やかに成長し、その活動がより豊かに展開されるための発達の援助である。本章では、保育士等が、「ねらい」及び「内容」を具体的に把握するため、主に教育に関わる側面からの視点を示しているが、実際の保育においては、養護と教育が一体となって展開されることに留意することが必要である。

と定めてある。ここで重要なのは、「子どもの生活やその状況に応じて保育士等が適切に行う」、あるいは、「実際の保育においては養護と教育が一体となって展開されることに留意すること」と規定されていることだ。つまり、上記の「内容」や「内容の取り扱い」は、それを一律に実施することはもとより求められておらず、子どもの発達段階に応じて専門家である保育士が必要と認めたときに実施可能な内容を網羅してあるものと解釈すべきものだ。そして、保育園児と実際に付き合ってみればわかるが、国旗や国歌をたとえば儀式的な国旗掲揚や国歌斉唱のような形で導入できるかといえば、それは適切な発達段階を考えたらどう考えても無理。技術的にいって、もう絶対に無理。そう思ってみると、「親しむ」という文言になっている理由もわかる。「親しむ」というのは、たとえば幼児が赤い丸を描いたら「日の丸だねえ」とそれが国旗のモチーフであることを知らせるとか運動会の万国旗の中から日の丸を指摘するとか、「変な歌がテレビから聞こえる」という子に「ああ、それは国歌なんだよ」と教えるとか、そういった程度のことだろう。真正面からきちんとこの「保育所保育指針」を読むなら、それ以上のことは考えられない。そして、その程度のことが何らかの問題になるとはとうてい思えない。

 

じゃあ、すべてOKなのかといえば、ここではたと困ってしまう。私の解釈から言えば、この法令を根拠に国歌・国旗を保育園児に強制することは不可能。むしろ国歌・国旗の強制に反対する論拠になるぐらいの法令だと思う。ところが、同じ文言でも、常に別な解釈は存在する。「指針」の「ねらいおよび内容」の中に記載された「内容」と「内容の取り扱い」なのだから、これは一律に実施しなければならないというような解釈をするひとだって出てこないとは限らない。「親しむ」の意味は、当然、国旗・国歌に対する「正しい」接し方を学ぶことであると、儀礼的な対応を強制する根拠にしたがるひとが出てこないとも限らない。

そういう人々にとっては、今回、たとえ一言でも「国旗」「国歌」の文言が入ったことは大きなことにちがいない。そして、そういった曲解を防ぐために、そういった文言が入ることを防ぎたいと考える人にとっても、重大事。その気持ちは、わからなくはない。

けれど、この文言をそういった曲解の可能性があるからといって批判するのは不可能だろう。なぜなら、ふつうに読めば、国旗・国歌を強制するものではないことが明らかだからだ。書いていないことを想像でもって批判するのは、書いていないことを書いてあると曲解して喜ぶことと基本的には同じこと。それをやっても説得力はない。

 

結局は、法令の文言ではないのだと思う。どんなに素晴らしい法体系があっても、それを運用する人間がおかしければ、現実はどんどん変になる。たとえば学習指導要領だ。現行の指導要領も、今後改定される予定の案も、あるいは過去の学習指導要領だって、それぞれは、それぞれなりに立派なことが書いてある。批判したい箇所がないわけではない。というか、あちこち批判したいところだらけだ。それでも、もしもそこに書いてあるとおりの教育が行われていたなら、いまあるようなひどい学校の状況は大きく変わっていたはずだ。ここまでくだらない教育は行われてこなかったはずだ。

指導要領そのものはそこそこ立派なのに、それにもとづいて行われるはずの現実はそこからかけ離れている。次回の改訂があっても、状況は変わらないだろう。改革のための指針がそこに示されていても、現場がそれを手前勝手に解釈してしまうからだ。

だから、法令は、そこによっぽどのことが書かれていない限り、ある程度はどうでもいいのだと思う。そうではなく、それを正しく運用できる人材をつくっていくことが重要。じゃあその人材はどうやってできるのかというと、それはもう幼児教育から連綿と続く教育制度の中で育てていくしかないので、そうなったらやっぱり保育指針とか指導要領が重要で、そのためにもパブコメしなきゃなあと…

 

ああ、もうわけわかんなくなってきたよ。やれやれ。