なんで「記録タイマー」をアップグレードする?

「記録タイマー」と聞いて、「ああ、あれだな」とピンとくる人は、おそらく理科教員だろう。塾講師、家庭教師、学参編集者、私のような教育寄生業界の人間かもしれない。ほとんどの人は「記録タイマー」と聞いても、「えっと、ストップウォッチのこと?」ぐらいにしか思わないのではないだろうか。ただし、この半世紀の間に義務教育を終了した人(つまりほとんどの人)は、必ず1回はこの装置に触れたか、あるいは少なくとも教科書上でそれが扱われているのを目にしたはず。紙テープを並べたグラフ問題を解いて高校に合格した人だって少なくないはずだ。だが、たいていは忘れている。

   ●記録タイマーはこういうもの → ケニス株式会社 - 理科なび - 教材の紹介

忘れたっていいようなことだ。もちろん、物理学を学ぶ上で、速度と加速度について実地に調べる体験は重要だ。それをじっくり考察し、ガリレオ・ガリレイニュートンが何に悩んだのかを追体験してみることは、自分自身の経験があってこそ活きてくる。そういう意味では、実験は大切だろう。だけど、いまどき記録タイマー? 私は、しばらくのブランクがあってこの業界に復帰したとき、いまだに記録タイマーが堂々と使われているのに驚いた。「ま、保守的な教育業界なんてそんなもんだろう」とようやく悪慣れしてきた頃に、今度は驚きを通り越して呆れるようなことに気がついた。なんと、今年度から部分改訂された理科教科書に登場する記録タイマーがアップグレードされている!

記録タイマーを使った実験は、もともと非常に評判がわるい。たとえば、

記録タイマーのような機器を使った授業では、カードの切り貼りというような煩雑な作業によって授業の本質を見失いがちであり、最も大切な「力学概念の形成・理解」が妨げられかねないのである。

力と運動の素朴概念を転換するIT活用法の有効性: 新潟大学学術リポジトリ Nuar

のように、まずは「一定の打点数で切り取った紙テープの長さが速さを表す」という理屈をわかってもらうだけでも大変で、それ以前に、東日本と西日本で交流の周波数がちがう話とか電磁石が交流によって振動する理屈とか、それは確かに中学理科の範囲ではあるのだけれど当面の力学とは全く無関係なところをいちいち確認しなければならず、肝心の速度と加速度の概念までたどり着く前に生徒が疲弊してしまう(もっというなら中学校では加速度概念は直接には触れてはならず、その割にそこを抜きにしては無意味な力と速度変化の関係を学ばせるというアクロバットをやらねばならず、教師の側が疲弊する)。

それでももちろん、ここは物理学で最も重要なところだから、どんな困難があろうと取り組まねばならない。とはいえ、もっとマシな方法がないのかなあ、と思っていた。そしたら、なんとこんな使いにくい器具をいまどき使っているのは日本ぐらいなんじゃない?と気づかせてくれる機会があった。それはインターナショナル・スクールの生徒を教えたときのことで、なんとその学校では、同じ物理の内容を教えるのに、iPhoneのアプリを使っていた! もう3年ぐらい前のことだ。

だから私は、「ああ、やっぱりなあ。みんな記録タイマーなんて使いにくいと思ってたんだ。そりゃ、カメラ付きのコンピュータであるiPhoneなら、もっと直観的な理解ができるよなあ。時代は進むよ」と納得していた。そしたら、教科書から消えないどころか、なんと、この使いにくい記録タイマーを、使いにくい本質はそのままに、どうでもいいデジタル表示とか、あり得ない方向に進化させている。

 

いったいこの記録タイマー、どこからきたものか。調べてみると、これは1960年代に「スプートニク・ショック」の余波で生まれたものらしい。詳細は、このあたりの論文に書いてある。私は生徒には根拠もなく、「戦後のモノのないときに学校の理科の先生が苦労して手作りしたんだよ」と教えていたのだが、まあちょっとニュアンスはちがっていたようだ。

ci.nii.ac.jp

ci.nii.ac.jp

アメリカの理科教育プロジェクト - 加藤貞夫

おおまかにまとめると、日本では戦後、理科教育をどのように進めていくべきか、いろいろな議論があった。戦後すぐの教育改革ではまず枠組みはできたが、学習指導要領はおおまかな方向だけを示すもので、現在のもののような基準ではない。各地でさまざまな取り組みが行われ、その中から効果のあったものが広く取り入れられるという試行錯誤の時代があった。学習指導要領が現在のように教育現場の指導内容を細かく規定するようになったのは1970年代に入ってからである。そんな中で、理科教育のひとつの模範とされたのはアメリカのPhysical Science Study Committee(PSSC)の理科教育であった。記録タイマーの原型はそこにあった。けれど、これは高価であり、すぐに現場に導入できない。そこで、1960年代なかばに北海道の教育関係者(北海道理科教育センター指導員)が工夫して交流ブザーの原理を応用し、安価でしかも場合によっては自作可能な記録タイマーを開発した。これが広く用いられるようになった、ということらしい。

こういった歴史的経緯を目にすると、学校教師の悪口ばっかり行ってる自分が恥ずかしくなる。戦後から1960年代ぐらいまでの時期には物資も資金も足りないのがあたりまえであり、理科教師が実験器具を自作して補うのは珍しくなかったようだ。実際、私は若いころ理科教師向けの手引書の編集を手伝ったことがあるのだが、1980年代のその頃でさえ、いろいろな自作ノウハウが満載されていた。子どもの頃に読んだ1960年代の面影を残した「理科工作図鑑」のような本にも、いまにして思えば理科教師の工夫のあとが大量に記載されていた。記録タイマーが導入されたのは、その教育効果以上に、それが安価で手軽に導入可能であることが大きかった。それはアルコールランプやガスバーナーといった多くの理科器具の学校への導入と同じことだ。限られた資源と目的の間でできる限りの努力をしたこの時代の教育関係者は、賞賛されるべきだろう。

だがしかし、そうやって、「低予算でもできる」記録タイマー、交流電源を利用する裏ワザで実現した記録タイマーを、いつまでも使い続ける必要はあるのだろうか? 使いにくいことははっきりしている。速度と加速度を把握する上でベストの方法でないことは明らかだ。代替案がなければしかたない。しかし、現代では、同様に低価格で実現できる代替案はいくらでもある。だというのに、なぜ記録タイマーそのものをアップグレードする?

 

理由は、もう呆れるぐらいにはっきりしている。もしも新しい時代にふさわしいIT化された実験器具を持ち込んだとしたら、これまでに積み上げてきた紙テープを使った数多くの試験問題が全て使えなくなる。いったいどうやってテストしたらいい? 教材屋は儲からなくなる。せっかく半世紀にわたって積み上げてきた蓄積が、すべて失われる。そういうことができるわけがない、ということなのだろう。

アホなことやなあと思う。本当に物理をわからせたかったら、使える手段は何でも使うべきだ。だが、記録タイマーと紙テープのタイプの受験問題が定着してしまったら、だれもそこに手をつけたがらない。そして、この手のテスト問題は、実につまらない。およそ力学の本質とは関係がなかったり関係が低い実験器具の使い方みたいな小問をいくつか並べ、本質的な部分は理解しなくても暗記で解けてしまう程度のつまらない設問に終始することが多い。たまに「おっ、これは本質をついてる」みたいなテスト問題があったら、実につまらない解説がついていたりする。そういう観点でしか学問を見ることができなくなっているのが、この国の理科教育だ、と嘆かざるを得ない。

記録タイマーのアップグレードは、私にはなんだか電車があたりまえの時代に蒸気機関車の改良をやっているような気がしてしかたない。あるいは、Bluetooth接続の時代にSCSI機器をメンテするようなものか。そりゃあ、無価値だとは言わない。けれど、実用性からいったら、他に資源を向けるほうがよっぽどいいんじゃないだろうか。

理科の教科書の改訂版が出るたびに思う。もうちょっと、時代の変化にくっついた仕事をしろよと。念のために言うと、これは編集者の責任ではない。編集者は、現場の声をできるだけ教科書に反映させようとする。なにせ、そこがお客様なのだから。だから、教育現場がもっと変わらなきゃ。いや、変化をもっと、政策に反映させなければ。最終的に教科書は文部科学省がチェックしてるんだからね。