禁書がある国にロクなことはない

バナナはおやつに入りますか?

この文明化された日本という国に、禁書が存在する。驚いた、と言いたいところだが、驚くことでもないかもしれない。

togetter.com

学校というところは、実に奇妙なことをやってくれる。以前から、そういう話はあった。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

私が教えている生徒には、「ラノベを禁止された」という話は聞いたことがない。だが、そういう話があっても不思議ではない雰囲気がある。実に細かいことにうるさい。それはもう、学校(特に中学校)というところの独特の文化。それはそれでかなり問題だと思っている。中学生の親として、ことあるごとに矛盾を指摘してやろうと思っていたら、当の中学生が学校の縛りに嫌気が差してやめてしまった。そのぐらいに、奇妙な規則を平気でつくるのが中学校。今回の話は小学校だけれど、似たようなものか。

だが、このラノベ禁止問題は、その学校の奇妙さを超えて、別問題と呼べるぐらいに深刻なことだと感じた。なぜなら、それは当の学校の社会科、やがて入る中学校で教える公民に出てくる「精神の自由」にかかわってくる問題だからだ。

ラノベがしょうもないとか、そういう話は実は本質ではない。しょうもないかどうかということでいえば、ラノベの中にはしょうもないものもある。実にくだらん話はザラにあるし、語り口の稚拙さが鼻についてとても読めないものもいくらでもある。けれど、けっこうおもしろく読めるもの、これは傑作だなと感心してしまうものもある。なんだ、それはラノベに限らない。一般の小説だって、古典と言われる作品だって、ひどいものもあれば、優れたものもある(これに関しては別途書こうと思ってるのだが、たとえば芭蕉の散文は悪文の見本みたいなものだったりする)。そういう玉石混交な世界のなかでいいものを見分けていく力が重要であって、質が悪いからといって一律な排除をすればいいというものではない。そんなことをしたら読むものがなくなる。

だから、問題の本質はラノベの品質ではない。そうではなく、大人が勝手に「これは読んではいけません」と決めることだ。「大人が」と、学校の問題に矮小化することもない。誰かが誰かの読むべきものを決めるような世界に、ロクなことは起こらない。

たしかにこれは、学校内だけのことであるのかもしれない。子どもたちは、読みたければ家に帰って読む自由まで制限はされていない。しかし、禁止はすなわち「ダメな本」というレッテルを貼ることであり、しかもそれが学校という公的な権威によって貼られるわけである。それを「学校以外では自由だから」みたいにいうのはおかしなことだ。校外でかまわないものがなぜ学校内ではダメなのか、その矛盾を合理的に説明できるとは思えない。

 歴史に学ぶ禁書の意味

この時代、自由な世界に禁書は存在するのだろうか。存在する。たとえば、ドイツではヒトラー著作が実質的に禁書扱いになってきた。これは著作権をコントロールすることで発刊ができないようにしてきたわけであり、法律による明示的な禁止ではない。そして、この禁書扱いに関しては、様々な議論が存在する。それはそうだろう。その制約も、最近には解かれてしまった。

www.huffingtonpost.jp

だが、「中身がしょうもないから」ということで禁書目録をつくるような国は、いったいあるのだろうか。日本では、伝統的にそういうことをやってきた。江戸時代、幕府は何度も風紀を乱すからという理由で出版物を規制してきた。そうやって規制された草子もののなかには、確かにくだらないものもあっただろう。だが、そうすることで言論がおさえられてきたのも事実だ。そのおかげで、幕府は350年もの間、安泰を貪った。実にけっこうなことだ。くだらないものを規制することは、そうでないものをも抑えこむ絶好の口実になる。これは高校社会科の授業で教えるところ。

出版物に制限を加えることは検閲にあたり、これは憲法で明示的に禁止されている。学校内でラノベを読むことを禁止するのは何も出版そのものを禁止するのではないから、どっからどうみても検閲には全くあたらない。けれど、「何を読むべきか、読むべきでないか」を権威のある側が規定しようという発想は、めぐりめぐって検閲につながるものだ。これを「基本的人権」の一部として「自由権」のうちの「精神の自由」を教える(そしてこれはテストによく出る!)学校がやるというのは、どういう神経なのだろうか?

乱読こそ、最高の読書体験

私は、子どもたちの成長にとって最も重要なことのひとつは、読書だと思っている(あとは野菜とか運動とか……)。そして、読書習慣をつけようと思うときにいちばん重要なのは、乱読をさせることだ。あえて選別を加えず、本の山の中に放り込む。最初は「ちょっとそれはどうなの?」というようなものを手にとっていたような子どもが、やがて力をつけてきて本当に価値のある一冊を選び出せるようになる。

だから、私はたとえば小学生、中学生に本を読ませようと思ったら、かばんの中に20冊ぐらい、手当たりしだいに選んだ本を放り込んで持っていく。そして、たいていそのなかには、何冊かのラノベも入っている。それをきっかけに、だんだんと読書の世界にはまっていってもらえればいい。「気に入ったのがあったら貸してあげるから、学校の読書の時間にでも読んだらいい」とアドバイスする。それを禁止されたら、私の商売はあがったりだ。

なんか、まとまらない文になった。こんなひどい文を書いてしまうのは、やっぱりラノベなんか読んでるからだろうか。いや、たぶん奥の細道の講釈をやり過ぎたからにちがいない。あっ、それはまた別の話だった。