なんとも驚きだ。そして、嬉しい。ノーベル賞、さすが、やることがダイナマイト級。
アメリカの文壇では、喜ぶ人がいると同時に、「なんで作家じゃないんだ!」「フィクションは去年も対象じゃなかった。それはないよ」みたいな反応も多いらしい。だが、いま物語が勢いを失っているこの時代、それでも文学に力があるとすればそれは物語よりも現実に近づいたルポルタージュか、それとも物語よりも現実性をさらに超越した「うた」の世界であるにちがいないからだ。
ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、
めに見えぬおにかみをもあはれとおもはせ、
をとこをむなのなかをもやはらげ、
たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるはうたなり
くにがちがい、時代がちがい、言葉がちがっても、ちょうど「鶯や蛙」がうたを歌うように、人々はその想いを声にしてきた。詩作が書かれた文字の世界に移ってからでも、人々はその朗読を楽しんできた。たとえば、昨年大往生を遂げたクリストファー・リーは、数々の詩を朗読している。
こういう作品を聴くと、やはり詩は音であり声であるのだなと思う。そう思えば、ミュージシャンであるボブ・ディランが文学賞を受賞することに何の違和感もない。あ、だからといってミュージシャンが即詩人という意味ではない。コメディアンであるミュージシャンとか、宗教家であるミュージシャン、扇動家であるミュージシャンだっているのだから。
ディランは、「プロテスト・ソング」で世に出たし、宗教的なうたを歌っていた時期もあるが、それは素材をそこに求めたに過ぎないのだろう。彼の詩の力は、たとえば「ブロンド・オン・ブロンド」の中の長い作品によく現れている。私は「血の轍」 が特に好きなのだが、イマジネーションが広がっていく。Idiot WindとかShelter from the Stormなんて、何百回聞いただろうか?
そして、その力が決して彼のミュージシャン、シンガーとしての力だけでないことは、彼の曲をカバーした無数のヒット曲を聞くだけで納得できる。Mr Tambourine Manは言わずもがな、O'JaysのEmotionally Yoursとか、オリジナルを超越した世界が広がっている。本人の歌声よりも他人のほうがいい、という評価さえあるぐらいだ。「最高の詩人であり、最低の歌手である」と、誰かが評していなかったっけ?
中年を過ぎてからは、時には自分自身をパロディにしたような曲を書くこともあった。「どうなの?」というアレンジやバックバンドで現れることもあった。それでも、常に新しい曲が生まれ続けた。Travelling Wilburysでは、たぶん生涯に一度だけ、バンドメンバーとしての楽しさを味わった。そのディランと対等にアルバムを作り上げたロイ・オービソンもジョージ・ハリスンも、もうこの世にはいない。
ディランも年老いたそうだ。ライブでは、ピアノの前に座ることが多くなったと聞く。立ち続けるだけの体力がないのかもしれない。だが、それでも詩人はうたを忘れない。ディランの名前は長く、ノーベル賞の栄誉とともに刻まれるのだろう。
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メディアの反応:
1962年にレコードデビューし、「風に吹かれて」や「ライク・ア・ローリング・ストーン」などは公民権運動やベトナム戦争で揺れた当時のアメリカを象徴する歌として知られています。
そう、「ライク・ア・ローリングストーン」は代表曲だよなあ。けど、ローリングストーンズがこれをカバーしたのだけは許せなかった。それ、ギャグやろと。
62年、アルバム「ボブ・ディラン」でデビューした。
ひとりのやせっぽちの男。あの頃はまだ真面目にギターを弾いてて、ブルースの影響のあるその奏法は、荒削りだけどカッコ良かった。実は、金を出して買った彼のアルバムはあれ1枚だけ。なんというひどいファンだ!
ディラン氏は「風に吹かれて」「戦争の親玉」「はげしい雨が降る」「時代は変わる」「ライク・ア・ローリング・ストーン」などの作詞作曲で知られる。
初期の頃の作品ばかりとりあげるのは可哀想かもしれない。まだまだ現役。少なくとも70年代のハリケーンとか、80年代のスロー・トレイン・カミングとか、代表曲に入れてもバチは当たらないと思う。
その点、この英文記事は面白かった。そう、彼の長い長い曲は物語。Where Are You Tonightなんかも印象に残っってるな。
こちらは、「ディランについてあなたが知らない10のこと」。いや、「知っているよ」かもしれないが、これも興味深い記事。こんなのがこれから数日、ゾロゾロ出てくるのかもしれない。
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「言葉がない」とタイトルに書いたけど、たくさん書いた。でも、言葉がなかったのは本当。最初、言葉が出なかった。言葉にならないものを言葉にしようとしても、そこには駄文しか残らない。言葉にできないものを言葉にしてきた詩人たちの偉大さは、言葉では語り尽くせないものなのかもしれない。