署名で謝罪を要求するのはちがうと思う

例の問題で例の人に謝罪を求めるという動きがあるそうだ。

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いや、これはちがうだろう。

まず、本人は既に謝罪したつもりになっている。その上に謝罪を求めても、せいぜい「○○さんに言われたとおりに謝罪しました」的なものしか得られないはず。せいぜいなところ。

謝罪は強要するものではない。本当にわかってもらわなければ意味のある謝罪は得られない。署名集めても、かえって「なにかそういう集団があって」と陰謀論に受け取られるのが関の山。わかってもらいたいと思っても、先方にそのつもりがなければ消耗するだけ。不毛な戦いはしないほうがいい。

もちろん、被害を受けた人が謝罪を要求することそのものはまちがってはいない。個別にやれなければ集団でやってもいい。そうはいいながら、単純に不快感を受けた人、無理解に苛立っている人までがそこに加わるのはどうなんだろうか。それって、「不愉快だから謝れよ」と言ってるのと大差ない。

私はこれには乗れないと思う。ま、だからといって例の人が許されるとは思ってないんだけどね。ただ、極端な考え方をする人を排除したりその考え方を洗脳しようとすることが正しいのではない、ということは重要。極端な考え方そのものは、あってもいい。過激な表現だって、規制したら世の中がおもしろくなくなる。そういうのが存在することを前提に、その中身がおかしいということが論理的に多数で共有できればいい。そういう考え方は通用しないんだぞという強固な社会ができればいい。そういう意味では、私は素朴に民主主義を信じているな。

 

この件に関する私の雑感は下記。

mazmot.hatenablog.com