自然環境保全の思想は、地球外に適用されないのか

環境問題に対する考え方は、人によって極度にちがう。自然環境の保全という一点だけとっても、人間の干渉を極度に排除する純潔主義から、人為と自然の相互作用に着目する相対的な視点、さらには人類にとって有用かどうかで保護されるべき自然の価値を評価しようとする功利主義まで、程度はさまざま。しかし、いずれにせよ、人間が手を触れていない自然環境があった場合には、利用に先んじてまずは保全のためのアセスメントを行うべきだというのは現代の共通の認識になっているように思う。

しかしどうやら、これは地球外には適用されないようだ。

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火星移住計画というのは、長年のSFネタ。1950年代のレイ・ブラッドベリの名作群では既にそれが既定の背景となっている。いよいよその時代に突入、という予感がする報道記事を見る度に思う。テラフォーミングってのは、一種の大規模環境破壊じゃないの? と。
 

火星なり金星なりの地球型惑星には、生物が生存できる可能性がある。水星は小さすぎて無理だろうが、火星や金星は大きさも地球に似ている。ただし、現在の環境は、火星も金星も生物にとっては過酷。それでも、何らかの人為的な働きかけによってその環境を激変させることは可能かもしれない。金星なら、大気中の二酸化炭素を分解して濃度を下げることで温室効果を低減する。火星なら地下に閉じ込められた軽い物質を放出させて大気の濃度を上昇させる。そんな大規模な惑星環境の改変をテラフォーミングという。このアイデアを私が初めて知ったのは1990年頃のことだが、そのときの感想は、「これってシエラクラブが激怒するよな」だった。しかしまあ、当時はまだまだSF的な話でしかなかったし、その可能性を研究することは実際にそれを実行するかどうかというようなレベルではなく、地球の構造や歴史に対する新たな視点を導入する点で有用だろうと思っていたので、特に文句も言わなかった。ま、文句をつけたとしてもだれの耳にも入らなかっただろうけどね。当時はWeb以前の時代。

しかし、実際に入植を可能にする技術が提案される時代になると、話は変わってくる。惑星の環境全体を激変させるテラフォーミングまでいかなくとも、それまで無人の環境だった惑星上に人間が降り立つ。これは、惑星の側からいえばとんでもない環境破壊になるはずだ。さて、それは倫理的に許されるのだろうか。

星新一ショートショートあたりには、そういう視点で書かれたものもいくつかあったような気もする。だが、ショートショートは一種の落し噺だ。オチがうまくつけば、それでよし。新たな視点に気づかせてくれれば、それで役割は終了。しかし、現実世界をその視点で見たときには、もっと突っ込んだ議論が必要になるはずだ。

「技術的に可能だ」というところまでは、話はわかった。じゃあ、ここからいよいよ厄介な議論がはじまる。火星の環境保護はどうすべきなのか。そのときの議論の主体はどうなるのか。火星に対する主権はだれがもつのか。国際法の有効範囲は地球外まで延長されるのか。さてさて、アタマのいい人たちの出番だ。

期待して見守っていよう。