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シアワセの容相

あしたはこっちだ

人間がおもしろい

「しばらくは書き続けるつもりだ」と書いてからほぼひと月、なにも書かなかった。このぐらいに私はいい加減だ。だが、書かねばならない、書きたいという気持ちは失せない。それは、私の関心がやめることを許さないからだ。では、私の関心とはなにか? 私が過去に書いてきたテーマ、たとえばLinuxのことだろうか。たとえば英語のことだろうか。教育のことだろうか、物語のことだろうか。もっと暮らしに近いこと、たとえば日曜大工のこと、料理のこと、家事のこと、家庭菜園のことだろうか。

結局のところ、関心の先は人間に戻ってくる。私が人間である以上、しかたがない。もしも私が蝶なれば蝶のことが最大の関心事になるだろうし、ネズミなら仲間のネズミが気にかかる。種とはどうやらそういうものであるらしい。

その人間も、抽象的な「人類」なんてもんじゃない。まっさきに気になるのは自分のことだし、自分の家族のことだし、自分の友だちのことだ。自分の生活を支えてくれるクライアントもそれなりに気にかかるし、自分に必要なサービスを提供してくれる業者の人々にも無関心ではない。つまりは自分を中心としてその周辺で生きている人々に関心が向く。このような人々の集団を「社会」と呼ぶ。

つまり、私の関心の先は「社会」であるわけだ。その社会への関心の具体的なあらわれとして、たとえばIT系の小ネタがあったり、音楽へのこだわりがあったりする。そういったことは、それぞれの専門のブログに書くとして、もうちょっと個別の分野から離れたところのことを書いてみたい。だがそれは、「社会学」というようなものでもない。それはそれで、別種の「個別」領域になる。そうではなく、もうちょっと雑多なものを書く場として、このブログを用意したい。

となると、これは枕草子、あるいは徒然草方丈記以来の日本文学の伝統である「随筆」ということになるのだろうか。そうなってしまうような気もする。かなり気持ち悪いが、そのあたりが落ち着きどころかもしれない。だが、できればそこからは逃れたい。

というのも、私はこれらの古典作品を読んでも、たいしておもしろいと思わないからだ。古典文学であれば、源氏物語は恐ろしいほどに面白い作品だと思う。あるいは江戸文学の南総里見八犬伝などは壮大な作品世界に引き込まれる。もちろん私の能力では注釈なしでは読めないのだが、これらは進んで読みたい。「随筆」たちは、そうではない。

おそらく私は、架空のものであっても、そこにひとつの世界が見えてくるものが好きなのだろう。日本文学の伝統である随筆たちには、私はそれを感じられない。彼らの文章は、彼らが創りあげた世界に依存しているのではなく、彼らの生活圏、つまりは「世間」に依存しているように思える。それは、ずいぶんとつまらない。

だとしたら、私がそこから脱出するためには、自分自身のことを語りながらでも、そこにひとつの世界をつくりあげなければならない。つまりは、「まつもとワールド」ができるのかどうか、ということだ。そして対象が社会であるのなら、そのワールドがある程度は正しく社会を反映したものでなければならない。そうでなければ、荒唐無稽として顧みられないものになるだろう。

できるのかどうか、まあ、やってみよう。なに、ダメならダメで肥やしになるだけだから。