シアワセの容相

あしたはこっちだ

ごった混ぜ その2

ブログの書き始めなんで肩慣らし的に「このブログについて」的なエントリを書いている。どうせ、最初の方の記事はあんまり読まれないだろうと思う。もしもこの先に行って「最初の方に何書いてあったんだろうな?」って思うひとが出るような記事が書けたら、それはそれでめでたいし、そういうときには、案外とこういう前書きみたいな部分も活きてくるかもしれない。とりあえずは駄文。

で、前回、「このブログのテーマは『私』だ」みたいなことを書いたのだけれど、だからといって、自分の身の上話やら何やらをくだくだと書くつもりなのではない。あんまりにも悪趣味だし、そういう悪趣味なのは別の場で辟易するほどやってしまっている。そういう意味での「個人のディテール」は、このブログのテーマではない。

悪趣味といえばもっと悪趣味、あるいはもっと気持ちの悪い少女趣味、少年趣味、中二病に見えるかもしれないのだが、私にはいま、小説を書こうという構想がある。構想というよりも、もう、かなりの部分作品世界ができてしまっていて、日々、そのなかでいろいろな出来事が起こっている。これを形にしていきたい。

で、そんな文学趣味的なこととこのブログのどこがどう関係するのか? 少なくともこのブログでその作品を書いていくようなことはしない(安心して欲しい)。フィクションは、真実くさく見せかけたウソでなければおもしろくない。だが、ブログというのは、ウソを書くのには適切な場所ではない。断片的に流された一部は全体の文脈から外れて単なるゴミ情報となってしまう。それでは世間に迷惑だ。ウソは、それがウソだとはっきりと判別できる形で書かなければならない。そういう意味では書籍は便利だった。本の装丁を見れば、それがフィクションかノンフィクションかはすぐに判別できるようになっている。ブログではそうはいかない。Web上で安全なところがあるとすれば、せいぜい小説投稿サイトぐらいだろうか。しかしそれも味気ないな。

どこにどういう形で書いていくのかはまだわからないが、いま、頭の中でわっさわっさいっているこの世界を一群の小説という格好にまとめあげていきたい。それがいまの私の抱えている個人的プロジェクトの優先順位何番目かだ。かなり上位にくる。

だったら、こんな駄文なんか書かないで、さっさとそれを、どこにでもいいから書けばいい。自分でもそう突っ込みたくなるのだが、そうはいかない。なぜなら、それは私のなかでバランスがとれないからだ。

ウソを書くのであれば、そのカウンターバランスとして本当のことを書かなければならない。本当のことを書く自分がいて、その自分がウソを書くという形が必要だ。もちろん、言葉はすべからく偽るものであり、ものを書くという行為そのものが「騙り」である。だから、「本当のことを書く自分」も、実は虚構であったりするのだが、それでもその端っこには、現実世界のなかで何らかの空間的位置を占めている有機体が存在する。それを担保しないことには、この時代のウソは人工知能が紡ぎ出す自動生成文書となんら変わらない。だからまず、ここに小説でも書こうと言うどこかトチ狂った人間が一人いる、という前提を打ち立てて置かなければ、落ち着いてウソを書き進められないだろうと思うわけだ。

そして、そう考えたとき、そのためのブログは、営業用のブログでもなければパソコンについて書き綴るブログでもなく、そういう風狂な人間そのものについてをテーマにしたブログでなければならないことになる。ただし、そこで重要なのは生年月日、出生地、血液型、学歴、特技、興味関心の分野などなどの具体的情報ではなく、あるいはその人生の経歴でもなく、その人間が何を考え、どういう情報にどのように反応するのかということでなければならないだろう。

つまり、ここからこのブログで書いていくのは、なんのことはない、世間の多くの愚痴系ブログと同じような雑感であったり門外漢の批評であったり的を外した分析であったりすることになるわけだ。なあんだ、つまらない。そこらに転がっている石と同じようなものを作ろうというのか。

そこが、人間の奇妙なところだ。野山に行けばいくらでもそこらに転がっている風景を、好事家は苦労して小さな盆栽に仕立てあげる。ただの河原の石とどこがちがうのかわからないような彫刻作品を、芸術家は全身全霊を込めてつくり上げる。似たようなものであるのかもしれない。自分には自分なりのこだわりがあり、それを形にしていった結果がそこらに転がっている石であったとしても、わたしはそれで満足するだろう。

そして、そういうものをつくることで、その反対側のフィクションの世界が展開できるようになれば、それで目的は完遂だ。そこまでの筋書きを用意して、このブログを始めよう。

あらかじめ描いた筋書きは、現実にはどのようにネジ曲がるかわからない。そこまでを含めて、私は楽しみだ。いや、ネジ曲がって思いもよらない方向に走りだしたときには、後悔の念に苛まれるかもしれない。しかし、はじめてみなければ先はない。

だから、しばらくは書き続けるつもりだ。