変わってこその文化、受け継いでこその文化

地味に凄いWebsiteがあった。

chuseimonjo.net

日本の中世文書

数はまだ多くないのだが、古文書の画像が公開されている。それだけならまあ珍しくもない。凄いのは、それに音読音声をつけてくれていること。古文書の素養などまったくない私でも、音声を聞きながら文面を追いかけると、「ああ、ここにその漢字があるよ!」と、たしかにミミズがのたくったみたいにしか見えない筆跡に意味が見えてくる。そういうのを繰り返していけば、いつかこういった古文書を、ほんのわずかでも読めるようになるのではないかと希望をもたせてくれる。

技術的にはおそらくたいして目新しいことではない。四半世紀も前に「マルチメディア」ともてはやされたような発想を出るものではない。けれど、それが実装されてみると、「教材とはこうあるべきなんだなあ」と実感させてくれる。進歩というのは最先端だけでなく、それが時間をかけて広く行き渡って応用されていったときに実感されるのだなあと、そんなふうにも思う。

しかし、考えようによってはこれは進歩ではなく退化なのだろう。古文書一般の解読までいかなくとも、くずし字程度であれば、ほんの半世紀ぐらい前までは読み書きできる人が少なくなかった。たとえば私の祖母はいまからおよそ四分の三世紀前の戦後すぐに新潟に単身赴任していた私の祖父にラブレターもどきの近況報告を送っているのだが、これが立派なくずし字であり、私たちの世代にはふつうに読めない。いとこ連中がよってたかってああでもないこうでもないと言い合いながらようやく解読したが、当時は手紙文でこういう字を書くのはごくあたりまえのことだったのだろう。これが読めれば幕末期から明治期ぐらいの文書は読めるはずで、つまりそういった能力が戦後急速に失われていったわけだ。これは退歩でしかない。

けれど、私たちは一方的に嘆くべきなのだろうか。そうではなかろう。たしかに古文書を直接読解する能力は失われたかもしれない。けれど、日本社会全体を見渡せば古文書に対する学問は進み続けているし、直接そこにかかわることのできない私たち一般の者もその成果からの恩恵を受けることができる。神武以来の皇統を暗唱させられた私の親たちの時代に比べれば、現代の子どもたちははるかに実証的で実用的な歴史を教えられている。

文学作品にしてもそうだ。私は源氏物語の古写本を読めない。ありがたいことに現代では一部の画像をWeb上で見ることができるが、とびとびに文字が推測できる程度でしかない。そして活字化されたテキストでさえ、注釈なしには読めないし、そういう読み方では一帖を読み切るだけの根性もない。けれど、私は高校生の頃には与謝野晶子訳で源氏物語を気軽に読み通すことができたし、後にはサイデンステッカー訳の英文で改めて読み直してそのスケールに圧倒されることもできた。古文を読み切るだけの素養は多くの個人の中からは失われたかもしれないが、それは日本社会、あるいは人類社会の中では保存され、そしてそれが結果的に多くの個人に恩恵を与えている。だから、個人レベルでの退歩は、決して社会全体の進歩と矛盾しない。

 

文化とは、人間の集団の生活様式のことである。生活のあり方は個人によって異なっているが、なんらかの集団をとったときには、その中で共通する様式が認められる。それを文化と呼ぶ。だから、文化は生産様式と密接に結びついている。そして生産様式(経済といってもいい)が変化を続ける以上、文化も変化を続ける。

だから、時代が変われば文化が変わるのは当然なのだ。そう思えば、なぜ長年にわたって受け継がれた日本文化が戦後になって急速に変化したのかも理解できる。稲作は、弥生時代以来、多くの改良を経ながらも、基本的作業は同じであり続けた。だから、文化の中にも変わらないものがあり続けた。もちろん、生産様式の改良が起こるたびに文化にも変化は起こってきたのだが、変わらない部分はしっかりと残ってきた。ところが、1950年代から60年代にかけてのエネルギー革命は、その変わらない部分までを変えてしまった。だから多くのものが失われた。それを押し止めることはできない。失われたものがいかに貴重なものであったとしても、それは生活の中で活かしていくことが不可能になっている。既にレガシーとなってしまっている。もちろん、そういった文化遺産からは学べることが非常に大きいのだし、単純に捨て去っていいものではない。だがそれは、参照されるものであっても文化そのものではない。忘れてはならないものであっても、日常に用いられるものではない。それが文化というものであり、文化を受け継ぐというのはそういうことだ。

だから、使えもしない過去の技術を学ぶことは、学術的な意味、次の変化の参照項目として保存する意味、未来に備える意味、あるいは失われたと思っているけれど実際には失われていない生産様式を再発見する意味はあっても、実際に使える生活様式における意味はほとんどない。たとえば算盤を習う意味は、半世紀前には実用的な意味があった。つまり、本来の意味での文化を算盤は支えていた。けれど1970年代に電卓が急速に普及して以来、生産現場で算盤を活用する場面は急速に失われた。だから現代では、算盤を学ぶことに実用的な意味はない。伝統芸能の保存としてその道に面白さを見出すのなら、学んでもいいだろう。芸能のひとつとして取り組むのは推奨されたっていい。けれど、それが実社会に出てから役立つだろうという考えで算盤を習わせるのは、時代錯誤でしかない。つまり、算盤は、現代の文化からは失われ、文化遺産の仲間入りをしているといえるだろう。

 

学校教育においてまず重要とされているのは、日常生活に出発点を置くことだ。これは文部科学省の出している学習指導要領を読めば明らかだ。くどいほどに「身の回りの」という形容が出てくるだろう。そして、身の回りの現象とはすなわち生活であり、それは現代の文化である。基礎教育はまず現代の文化に適合して実施されねばならない。そして、その基礎の上に、文化遺産を参照する力を涵養していくものであるべきだ。学習指導要領を読むと、そんなふうに組み立てられているように受け取れる。現代の文化で最も重要なのは合理的な思考を組み立てていく能力であり、それを表現する能力である。学習指導要領は、そういったコンピテンシーを重視している。

であるのに、学校現場はそうなっていない。そこに見られる技能重視の姿勢はまずもって問題なのだけれど、そこで重視されている技能、たとえば漢字の書き取りであるとか計算のドリルというような技能は、現代では既に実用的な役割を終えつつある。どちらかといえばレガシーに属するものだ。レガシーは完全に無視していい、というわけではない。文化遺産はつねに参照可能であるべきだし、そこを学ばなくて何の学問よということである。けれど、それを実用的な技能として身につけるべきかといえば、それはそうではなかろう。なぜなら、漢字が書けなくったって、筆算ができなくったって、現代社会では何の不自由もないからだ。あるいは、不自由があるのならそれを改良して不自由がないように技術を進歩させるべき方向に社会が動いているからだ。生産様式がそういう方向にシフトして長い。

だというのに、学校は相も変わらず、手書き、手計算にこだわり続ける。なぜそうなるのか。ここでいつもの結論になるのでもう自分でも辟易しているのだけれど、それは大学受験を頂点とする入試システムのせいだ。

入学試験を公正に行おうとしたら、それは伝統的な手書き、手計算の技術の上にしか成立し得ない。もちろん手書きの部分についてはマークシート方式の導入で何十年も前に改良されているわけだが、しかし、そこで大きく脱落する論述のスキル評価に関しては対応ができない。できないことを無理に導入しようとすると、今回の大学入試改革騒動のような悲惨なことになる。そして理科系の入試においては、電卓ひとつ持ち込ませない。それが公正な入試を妨げるからだ。公正な入試を追求する限りは、最新の技術よりもレガシー化した技術でもって評価するほうが圧倒的に有利だ。だから、入試システムが出口で待ち構えている限り、学校教育は単なる参照項目でしかない文化遺産をあたかも実用的な技術であるかのような顔をして教えるしかなくなる。

 

文化は変化するものだ。そして、未来はもっともっと大きく変わる。変わってもらわなければ、現在の地球環境問題のような大きなことから、日常のちょっとした不便に至るまで、さまざまな問題が解決しないまま将来に残り続ける。それは絶望的な未来だ。そうではない未来を信じられるからこそ、このクソのような現世にも生きる価値があると思える。それを封殺するようなことだけはしてほしくないと、切に願う。

なぜ学校はワープロを受け入れない? - 「現実」に過適応していると未来が失われる

私の観測範囲だけのことではあるのだけれど、現代の小学校、中学校、一部の高校においては、パソコンを使用した提出物を受け入れない。もちろん細かいことをいえば例外はあって、たとえば小学校の夏休みの自由課題なんかでパソコンを使った研究みたいなのはあり得る。けれど、パソコンで制作されたもの、たとえば読書感想文であるとか自由作文とか、ワープロ打ちしたものは、受け付けない。もちろん、「ノートまとめ」とか、「自主勉帳」みたいなのをワープロ打ちすることも許されない。

「なんで?」と思うのだけれど、これにはちゃんと理由がある。まずひとつには、「パソコン使ったら漢字を覚えないでしょう」というものだ。それから、「本人が書いたのか筆跡でわからない」というのもある。本人の代わりに親が書いたのかもしれないし、ネットから拾ってきてコピペしたものかもしれない。そういう不正を防ぐために、ワープロ打ちは認められない、というものだ。

もっともらしい言い分ではあるが、しかし、どちらかというと、これは信仰に近いのではないかと思う。というのは、私の教えている中学生に、身体に不自由なところがあって、手指のコントロールがうまくいかない生徒がいる。頑張り屋さんなのでなんとか鉛筆で筆記はできるのだけれど、文字の大きさは1〜3センチ角の不揃いになるし、真っ直ぐな線が引けず、ガタガタになる。それだけの読みづらい字を書くのに、ふつうの生徒の10倍くらいの時間がかかる。ひどいハンデを背負っている。けれど、彼女はパソコンを使うことができる。やはり手指のコントロールに難があるため一本指入力なのでスピードは出ないが、こちらの方はまだマシで、不慣れな同じ年代の生徒に比べたら遜色ない程度にはしっかり使いこなせる。そして、重要なことは、、判読が暗号解読レベルにさえなる手書き文字に比べれば、当然のことながら遥かに読みやすい文章を書くことができる。というよりも、手書きでまともに文章など、負担が大きすぎて書けないのだ。それがパソコンなら自由に書ける。思っていることを素直に表現できる。ところが、学校はなかなかパソコンの使用を認めない。いや、さすがに彼女の場合は、完全に認めないわけではない。たとえば夏休みの読書感想文に関しては、確かワープロ出力されたものを受け付けたと思う。だが、テストやノートに関しては、手書きにこだわる。タブレットのような電子機器の導入を検討はしてくれたが、最終的には手書きをさせることに落ち着いた。

その理由が、ちょっとこの時代にどうかと思うものなのだ。まず、上記の「漢字を覚えない」がある。いや、彼女はこの先、たぶん電子機器を使うことのほうが多いだろう。その場合、漢字が手書きできないことが何らかの学習上の問題を発生させるだろうか? そもそも漢字練習なんて必要ないはずじゃないか。けれど、学校としては「みんなと同じ」でなければならない。そこまでいうんならこの時代、漢字が手書きできないことにどれほどの不利益があるのだと思う。みんな、わからない漢字はスマホで調べて書いてるじゃないかと、周囲の大人を見て思う。漢字ドリルなんて全廃してもほぼ実用的には困らないと思うが、そういう発想は教師にはない。

そして、学校側の主張で最も力点が置かれているのが「手書きができなければこの先こまるでしょう。高校入試も手書きじゃないと受けられないし、どこに行っても手書きはついてまわる。ワープロが通用する場面なんてほんのわずかなんだから、がんばって、みんなと同じまではいかなくても、できるだけそこに近づけるように練習しましょう」ということなのだ。つまり、現実がそうなっている以上、そこに合わせるべきだ、という適応的な考えかただ。

たしかに、目先の利益だけ考えたら、それはそうなのかもしれない。身体の不自由な彼女のことだけではなく、それは真理なのかもしれない。世の中、まだまだ電子機器だけですべての用事が片付くわけではない。手書きで文書を書かなければならない場合のほうが多いのだし、手計算しなければならない場面も少なくない。だから漢字ドリルと計算ドリルは必須だし、パソコンを使うようなことは漢字の習得にも計算の基礎をつくるのにも妨げになるから好ましくないと、現状への適応だけを考えるのなら、それはそれで決して非合理的な考えかたではないのかもしれない。

 

けれど、そうやって現実に過適応してしまうことは、本当に正しいことなのだろうか。そこには、ここからどうやって未来をつくっていくのかという視点が欠けていないだろうか。

パソコンを使えば、たしかに漢字は勝手に変換してくれるし、計算式さえ入力すれば答えは自動で出てくるだろう。未来は、そうやって過去に必要だった負担を減らしたところで、そこに無駄に費やされていたエネルギーを解放することによって開かれるのではないのだろうか。頭の中にあった文章を文字にするのに、漢字が書けずに止まっていた筆を先に進めることが電子デバイスに求められる役割ではないのだろうか。計算の正確性が担保できるまで先に進めなかった論理的思考を、そこを電子機器に負担させることによって前に進められないのだろうか。そして、そういうふうにどんどんと新しい領域を開くことによって、未来の世代によりよい社会をつくってもらうことを期待しないのだろうか?

身体が不自由であっても、無理に現状に合わせるように頑張らなくても、できることをやっていけばそれを評価することが、社会の側にできるようにならないのだろうか。現状の入試が手書きしか対応してなければ、どうしてそこに電子デバイスを持ち込んでいけないのかと掛け合うことをしてくれないのだろうか。なぜなら、ここからの時代、ひとは他の人と同じことができるかどうかでは評価されないからだ。他の人とちがうことができるかどうかが、未来をつくっていく上で重要になるからだ。

 

そういうことを考えようともしない硬直した学校には、ときに絶望する。けれど、学校教育は等しく人々に認められた権利なのだ。絶望して背を向けるのではなく、そこをきちんと変えていかなければいけないと、絶望するたびに思う。

いつもいつも、絶望させてくれないでよと呆れながら。

 

 

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(言わずもがなの追記)

ワープロ」って、wordo processing softwareのことだよ。なんか「ワープロ専用機」と誤解されるんじゃないかって、あとから気がついた。文書作成ソフトのことをこういうってのは、もう昔気質なのかなあ。最近の人って、「ワード」って特定商品名で言わないと通用しないんだろうかねえ。

ストロングZEROは危険? - 自分自身の合理的思考こそ疑うべきもの

ストロングZERO、というのは商品名なので、ストロング系アルコール飲料という言い方をしてもいい。あるいは、物質として正確を期すならば、人工甘味料添加カクテルという言い方もあると思う。その害が警告されている。

togetter.com

これに対するブコメ群が、興味深い。

b.hatena.ne.jp

もちろん多様な人々の多様なコメントなので一概にくくってはいけないのだけれど、その多くが、「同じ酒なのになんでストロングゼロだけ目の敵にする? アルコールの摂取量だけなら、他の酒と同じ(あるいは他のほうがもっとひどい)じゃない? 合理的じゃないよね」的なものだというのは、あながち間違っていないと思う。そして、本来は合理的な思考を行うべき医師が、どう見ても非合理的な断罪をするのがおかしいと、そういう論調が目立つものだと思う。

だが、本当にそうなのだろうか? 元Tweetで松本医師は「人工甘味料を加えたエチルアルコール」と言っている。単純にエタノールの量だけを言っているのではなく、「人工甘味料を加えた」と注釈をしていることが重要だ。なぜなら、人工甘味料エタノールの組み合わせが血中アルコール濃度を急上昇させることは、いくらかのエビデンスが存在する既知の事実だからだ。

たとえば、2006年には既に、

www.sciencedirect.com

Artificially Sweetened Versus Regular Mixers Increase Gastric Emptying and Alcohol Absorption - ScienceDirect

として、人工甘味料添加のアルコール飲料が胃での滞留時間が短いためにアルコール吸収が促進されることが報告されている。オレンジ風味のウォッカを、砂糖を使用した場合と人工甘味料を使用した場合に分けて、胃からの排出速度と血中アルコール濃度の変化を測定した研究である。同様の研究は以後も続き、既知の事実であるカフェインとの同時摂取が血中アルコール濃度の急激な増加をもたらす事実との相乗効果を調べた研究が2011年に行われている。つまり、ダイエットコーラ割で急激に酔っ払うという現象を解明しようという研究だ。

Artificial_Sweeteners_Caffeine_and_Alcohol_Intoxication_in_Bar_Patrons

2012年には同様に人工甘味料を使ったソフトドリンク(ダイエットドリンク)でつくったアルコール飲料と砂糖で甘みをつけたアルコール飲料の摂取で呼気のアルコール濃度を比較した研究がある(Artificial Sweeteners Versus Regular Mixers Increase Breath Alcohol Concentrations in Male and Female Social Drinkers)。人工甘味料の添加によって、呼気中のアルコール濃度は有意に増加することが示され、その危険性が警告されている。同様の研究結果は2013年、2015年にも別の研究者によって発表されている。

Comparing the Effects of Alcohol Mixed with Artificially-Sweetened and Carbohydrate Containing Beverages on Breath Alcohol Concentration - ProQuest

 

Effects of artificial sweeteners on breath alcohol concentrations in male and female social drinkers - ScienceDirect

 

2016年には、これらの既知の事実を踏まえ、学生の間でダイエットドリンク系のアルコール飲料がどの程度飲用されているのかを調べ、その危険性を論じた研究が発表されている。

Mixing alcohol with artificially sweetened beverages: Prevalence and correlates among college students - ScienceDirect

 

こういった研究を並べてみると、「アルコール含量が同じだから同じじゃない」という一見合理的で文句のつけようがないような考え方が、いかに現実を反映していないかがわかるだろう。つまり、私たちの常識の中にある「酔っ払うのはアルコールのせい」というあまりにもあたりまえな事実が、「人工甘味料」というものの存在によってそれが影響を受けるという単純な事実を見えなくさせているわけだ。

だから、「そんなのあたりまえ、1+1=2と同じぐらい自明じゃないの」という判断こそ、疑うべきなのだろう。私たちは往々にして、そういう判断をする。それでだいたいはうまくいくのだ。そりゃ、酔っ払うのはアルコールのせいであることはまちがいないのだし、ストロングゼロだろうが日本酒だろうが、飲まなければ酔わないのはそのとおりだ。だが、だからといってその混合比率が酔い方に影響しないとすぐに結論づけていいものだろうか。そこに論理の飛躍があることに、ふつうなら気づかない。

 

私みたいに人工甘味料にもともと疑いの目を向けている人間からすれば、そういうところにケチのつけどころがあることに気がつく。けれど、ふつうは気がつかないだろう。だからこそ、自戒を込めて言いたい。あたりまえに見える自分の合理性ほど危ういものはないのだと。

大学受験の思い出 - 生存者バイアスから人は逃れられない

大学入試改革が荒れている。改革の目玉の二本柱を失って、「結局センター試験とどう違うの?」という結末が見えてきたのだけれど、まあ変わるところは変わるんだろう。そして、この一連の報道を見てきて、入試に対する自分の感覚は世間一般とずいぶんズレているのだなあと改めて思い知らされた。とはいえ、私はおかしいのは多数派の方だと思ってる。だって私はちゃんと生き延びたんだから。

入試改革に対する大方の反応は、こんなものだろう。なんでいまさらセンター試験を変える必要があるのか? そりゃ時代に合わないところがあるかもしれない。だったらセンター試験を改良すればいいじゃないか。四半世紀以上の蓄積のある美しいセンター試験を完全に捨て去って、それ以上のものができるのだろうか。大きな改革は混乱をもたらし、受験生を追い詰めるだけではないのか、といったもの。

そういう意見が出る背景は十分理解できる。いま、産業社会を動かしている中核人材は、ほぼセンター試験を勝ち抜いてきた人々だ。彼らはきちんとセンター試験の準備をし、その準備に応じてきちんと得点をゲットし、それによって大学に進学して現在の地位を掴んだ。センター試験に対する信頼が生まれて当然だ。実際、センター試験の方も、共通一次試験以来の長年の蓄積の中で非常に洗練されている。出題内容には毎度感心させられる工夫がある。隅々まで文句のつけどころがないほどに推敲されている。もしもそこを改革するのであれば、よっぽど凄いことでもやってくれないとこれは超えられないだろうと思える。ところがそこで用意された代案は、陳腐な民間英語検定であり、アルバイトを動員して採点する記述試験だという。隅々まで統制のとれたセンター試験と比べれば、あまりに見劣りがする。「なんだこれは?」と呆れられるのも、それはそれで理解できる。

 

だが、そもそも大学入試はそういったものであるべきなのだろうか。私はその根本から、多くの人と意見を異にする。極論をいえば入試の公平性はクジ引きでしか達成できないと思っているぐらいだ。「優秀な学生を選抜する」という入学試験の基本的な機能そのものに疑問を感じているクチだ。優秀な学生は育てるものであって、選抜するものではないだろう。なぜなら、私自身が決して大学に優秀な学生として選抜されたのではないことを重々に承知しているからだ。どさくさ紛れにもぐりこめた大学で、それでも私は貴重な教育を受けた。たしかに私は最終的にそこを中退したが、だからといってそこで受け取ったものが価値を落とすとは思わないし、また、大学に投入された公金を無駄にしたとも思わない。高等教育はたしかに私の人生を豊かにしてくれたし、社会に貢献できる力を私に与えてくれたと思う。

だから、大学に入る段階で、「いっしょうけんめい努力を積み重ねた」優秀な学生である必要はないのだと、私は思う。どさくさ紛れにもぐりこんできた怪しげな学生であっても、そこにしっかりした教育を施せば、大学はその役割を立派に果たすことができる。それでこその大学だろう。

 

では、私はどんなどさくさに紛れたのか。それは昨今取り沙汰されている入試改革なんかとは桁違いに物議をかもした「共通一次試験」の導入だ。そう、私はセンター試験の前身である共通一次試験の第一世代なのだ。

共通一次試験は、それまでの大学入試の常識を覆した。それまで理系には不要と言われていた文系科目の学習(あるいは文系には不要と思われていた理系科目の学習)が必須になるなど、多くの変化を受験業界にもたらした。その詳細を語り始めたらこのブログの枠にも私の能力にも余る。ひとついえるのは、今回の入試改革以上に、先の予測のつかないものだったということだ。たしかにプレテストはあったものの、全国共通の学力試験というようなものは前代未聞であり、鬼が出るか蛇が出るか、だれにも何の予想も立てられなかった。そして予想ができない以上、多くのアドバイスは「確かに共通一次は大きいけれど、最終的には二次試験がだいじだから」と、それまでの伝統に固執するものになった。多くの受験生も、そのセンに沿って対策していたものだと思う。

私は、そうではなかった。共通一次向けの対策をしていた、というわけではない。あらゆる対策をしなかった。受験勉強を一切しなかったのだ。このあたりに関連することはひとつ前のエントリにも書いた。アスペな私は地域トップ校の挟持をかけた建前(受験勉強は邪道だ!)を真に受けて、そういう努力を放棄してしまっていた。

では遊んでばかりいたのか? とんでもない。私のまわりには、中学生の頃からとんでもないモンスターがそろっていた。彼らは科学のこと、歴史のこと、アニメのこと、深夜放送のことなどなどに詳しかった。あるいは、漱石、太宰、康成、三島などの文学作品を読破していた。そういう友人たちに囲まれて、私はとてつもない恐怖におそわれていた。彼らは本物を知っている。大人と互角に渡り合える。自分の両親のような俗物以上に、世界を知っている。成長するということは、そういった素養を身につけることなのだ。なのに、自分はせいぜい北杜夫のエッセイと漱石の「坊っちゃん」ぐらいしか読んでいない。ホームズしか読んだことのない私に、アガサ・クリスティやルブランの話は通じない。私は焦りまくって、毎日読書にふけることになった。

高校に行くと、さらにいろんなことに詳しい連中がいる。いまにして思えば、だれもがあらゆることに詳しかったわけではなく、それぞれに狭い得意分野があったのだろう。だが、私はそれらすべてを圧倒的な不安の対象として受け取った。だから、ビートルズボブ・ディランをはじめとする洋楽に浸ったり、30巻を超える大衆向け歴史書を何度も読み返したり、現代教養文庫の(いまにして思えばかなりソビエト連邦直輸入の)科学本、さらにはブルーバックス岩波新書など、とにかく手当たりしだいに友だちに追いつけ追い越せとインプットを増やした。

それは、私にとって単純に不安をなだめる作業でしかなく、それを「勉強」だと思ったことは一度もない。ただ、親は本を読んでいる私を「勉強しているのだ」と思っていたようだ。なにしろ戦前生まれの彼らの世代は受験勉強など無縁だ。大学入試のために何が必要なのかなど、知るわけはない。だから、おとなしく活字を追いかけている私を誤解していたのだろう。

 

そして、なんとも幸運なことに、それが共通一次試験にヒットした。ヒットしたというよりも、他の受験生が脱落する中で、私はそういう素養のおかげで踏みとどまれた。基本、受験勉強は傾向の分析とその対策だ。過去の情報が一切なければ、それは無効になる。だが、本来の学力テストは学力(つまりは本来学校教育で身につけるべきスキルセット)があることを確認するものだ。だから、受験勉強なしでも、きっちりと素養を身につけていればある程度の点数は確保できる。このとき起こったのはそういうことだった。いまでも覚えているが、第一回の共通一次試験は基礎問題に傾斜していた。トリッキーな設問が一切なく、ていねいに文脈を追いかけていけばほとんど誤解のしようのない問題ばかりだった。だから私は、浪人生として私と同時に受験した兄(その年には旧一期校の国立大学に晴れて合格した)に1000点満点中の100点近い点差をつけて勝利することができた。過去問分析のない受験勉強がいかに脆いか、いまにして思えば非常にわかりやすい教訓だったと思う。

この高得点をもってすればどんな大学でも合格できるはずだった。ところが私は、「滑り止め」のはずの私立大学(理系としてはそこそこに優秀なところばかり)をほとんどなすすべもなく落ち続けた。そして、「本命」のはずの大阪大学の問題も、ほとんど一問も解けずに落ちた。あたりまえといえばあたりまえなのだ。私立の試験や国公立の二次試験には、過去問の蓄積がある。傾向と対策で勝ち上がれるタイプの試験なのだ。ところが私は、共通一次の成功に浮かれて赤本さえ買おうとしなかった。過去問のひとつも見たことがないような状態で、本番試験に挑めるわけがない。至極当然な結果が出ただけのことだった。

ただ、それでも私は真剣に問題に取り組んだ。大阪大学の入試では、たしか3問か4問ほど大問があった。どれもとても手に負えるものではなかったが、最後の問題、回転振り子の問題だけは、どこかに糸口がありそうに見えた。遠心力? 求心力? えっと、錘の立場にたって考えてみよう。そういうわけのわからないものは無視。重力と糸の張力しか働いてないはず。合力は三角関数だっけ。どっちがサインでどっちがコサインだ? で、この合力がどっちに働く? いや、なんで力が働いてるのに等速運動なんだ? 速度は変化してるだろう。つまり、向きが変化してる。一定なのは角速度で、えっと、ラジアンだから1周で2πで……。

本来だったらこんな基礎的なことは受験勉強のごく初期に済ませておくべきことなのだ。それを放ったらかしてきた私は、なんと受験会場で回転運動の基礎を研究しはじめた。その先に、この問題の正解が見えてくるはず、という確信があったからだ。だが、入試とはそんな悠長なものではない。トンネルの先にようやく微かに光が見えてきたと感じられるようになったそのとき、無情にも試験終了を知らせるベルがなった。いくら共通一次の持ち点が高得点でも、二次試験が零点で通るはずがないのを、会場をあとにする私はよく知っていた。

このシーズンの大学入試はこれで完全終了のはずだった。だが、オマケのようにもうひとつだけ試験が残っていた。もともと共通一次試験は大学序列を形作っていた「一期校、二期校」の格差を解消することがひとつの目的であって、すべての大学の二次試験は一斉に行われるのが建前だった。ただ、そこに法令上の縛りがあるわけではなく、掟破りをする学校が何校かあった。そのうちのひとつが大阪府立大学の工学部で、通常の入試日とは別設定のその入試には全国から志願者が殺到し、数十倍を超える大盛況だった。私は家が同じ市内ということもあったし、受けておいて損はないかとばかり、願書を出していた。ただ、連続して6校を手も足も出ない状態で落ち続けた身としては、その極端な高倍率を戦い抜ける気はまったくしなかった。もうほとんど予備校に行くつもりで、実際既に予備校の試験には通っていた。経験値を上げるのに役立つかな程度で受験した。

その入試問題、やはり不勉強な私には理解できないものばかりだったが、第三問を見てあっと驚いた。なんと、回転振り子の問題なのだ。これならわかる。なぜかといえば、大阪大学の試験時間に90分かけて基礎を研究している。あの続きをやればいいのだ。他を放り出して、その問題に全力でかかりきり、そこだけはどうにか満足のいく答えを出せた。ささやかではあるけれど、私の初めての受験シーズン、有終の美が飾れた。もちろん、大問ひとつの正解で合格できるはずがないことは理解していた。なにせ周囲は、阪大どころか東大、京大といったトップクラスの大学と併願している受験生ばかりだ。そのなかで自分がどのあたりの位置にいるのかは、いくらぼんくらな私にでもわかった。

実際、不合格の発表があり、予備校への入学手続きも終え、進学の決まった友だちを祝ったり浪人が決まった友だちと慰め合ったりしている間にあっという間に時間が過ぎた。そして忘れもしないエイプリルフールのその日、一本の電話があった。大阪府立大学から補欠合格のお知らせだという。またたちの悪いイタズラをだれが仕組んだんだと思いながら電話に出ると、どうもウソではない。

国公立とはいえ一流とはいい難い大学のかなしさ、いくら優秀な受験生を集めても、合格者が入学するとは限らないのだった。優秀な人々が次々に入学辞退する中で次々繰り下げていった結果、正解1問だけれど共通一次の得点が異様に高い私がボーダーラインで浮上した。ウソのような話だが、乗らない手はない。いや、少し前の私なら、「もっと上の大学こそ自分にふさわしい」ぐらいのことを思っただろう。だが、ようやくここに来て私も受験勉強というものの世間的に正しい姿を知ることになった。傾向と対策で反復練習をしなければあんなもの勝てっこない。そして、それをこの先1年、浪人してやりたいかと言われれば、絶対に否だった。そんなアホなことに潰す時間は持ち合わせない。バタバタと手続きを踏んで、その1週間後には私は大学生になっていた。こうやって、ついに私は受験勉強実質ゼロで、どさくさ紛れに大学にもぐり込むことに成功したのだった。

 

いま、受験勉強を含めた学習指導をするプロの家庭教師として、私は絶対にこんなアホな自分の方法を生徒たちに勧めない。受験は点取りゲームだし、点取りゲームに勝利するにはゲームの攻略法をきっちりと押さえていかねばならないし、そのためには分析とトレーニングが欠かせない。少なくとも洗練されきったセンター試験で必要な点数をとるにはそういった方法しかない。世間の常識がそうなっている以上、裏技は通じない。

けれど、それって本当に子どもたちの成長に有益なのだろうかと、指導をしながら思わないわけにいかない。いったい子どもたちは不安にならないのだろうか。数学の問題で対数が出てきたときに、それがなんの役に立つのか、何のために自分はそれに取り組んでいるのか、疑問に思わないのだろうか。現代文で 「なるほど!」と膝を討つような評論が出てきたとき、その全文を読んだことがないのを恥じないのだろうか。年号や人名を選びながら、その時代の人々の暮らしに思いを馳せたりはしないのだろうか。そして、そんな思いを「受験勉強の間は仕方ない」と抑え込むことは、いったい正しいことなのだろうか。

だから私は、いくら洗練されたものであるからといえ、いや、洗練されきった科挙のような存在であるからこそ、センター試験は廃止されるべきだと思う。当然、理詰めで結果を生み出していく伝統芸能のような受験対策は無効になるだろう。そこに残るのは混乱ばかりだろう。けれど、その混乱の中でこそ、ラッキーをつかめる私のような人もいる。たとえそれがどれほどアホらしいことであっても地道な努力は必ず報われるという日本社会の思い込みを信じられない人もいる。眼の前の点数よりも、自分自身の人生に対する不安の解消のほうが優先されると思う人もいる。そういう人が何年かに一度発生する大混乱の中でどさくさ紛れの優待券を手に入れても、それはそれでいいじゃないかと、私はどうしても思ってしまう。

 

それが生存者バイアスだということは、よくわかっている。けれど、センター試験を擁護する人々の心の中に、同じような生存者バイアスは存在しないのだろうか。自分たちは立派にそこを乗り越えた。だからこそ、それよりいい加減な入試システムで若い人たちラクをするのが許せないというような、かつての体育会系のノリはそこにないのだろうか。

入試なんてクジ引きで決めればいい。クジ引きがあんまりだというのなら、何らかの試験を施してもいい。だがそこにあまりに過剰なエネルギーを注ぐことを強要する現状は、どうにもおかしくないだろうか。中学生、高校生の頃には、もっと愚にもつかない雑多な情報を海綿のように吸収していくべきではないのだろうか。そういった素養というものが、人生を豊かにしてくれるのではないだろうか。

もしも現代が競争社会であり、その競争に生き残るために多様なスキルが要求されるのであればなおのこと、あまりにも一本調子な競争をスタンダードにするべきではないのではなかろうか。そういう意味で、AO経由の入学比率を3割に上げるとかいう流れは歓迎だと思うし、さらにもっともっと多様な進学オプションがあればいいのにと思う。そして、いったん働いてから何年かして学びの場に戻れるような道筋も、もっともっと広くなればいいのにと思う。

そうなれば私の仕事も、ずっとしやすくなるんだ。

いま、学習産業に携わる意味 - 時代は変わる

家庭教師の端くれとして再び学習産業にかかわるようになってもうちょっとで丸7年になる。「再び」というのは若い頃に出版業界の片隅の「学参」とよばれる分野で仕事をするようになり、20年ばかりその周辺で仕事をしてきた過去があるからだ。そういった「子ども騙し」の仕事と縁を切ってようやくせいせいしたと思ったのもつかの間、結局はそこに戻ってきた。だが、立ち位置はかなりちがう。

学習参考書・問題集のたぐいを編集する仕事は、ひたすら地味であり、ときには何週間もだれにも会わずに原稿用紙(やがてはパソコン)とにらめっこをするような業態だった。製品のユーザーである子どもたちと接することは(ごくまれに問い合わせ対応をするぐらいのこと以外では)基本的にない。ところが家庭教師という仕事は、毎日何人かの生徒と一対一で向き合う。こちらにその気さえあれば、子どもたちがどんな問題を抱え、どんなふうにしんどい思いをしているのかが手にとるようにわかる。そして、それを解決するために、いろんな手段があることに気づく。だから、隣接する業界ではあるものの、まったくやることがちがう。たいしてカネにならない仕事だけれど、まあいいかと落ち着いて、ここ数年を過ごしている。ほかに収入の途がないわけでもないしね。

そういう業界の人間として言うのは憚れるのだけれど、学習産業なんてロクなものではない。およそこの世からなくなればいい仕事だと思っている。じゃあなんで率先してやめないのかといえば、いや、私がやめてしまえば永遠にこの業界、このままだと思うからだ。学習産業みたいな害悪を世の中からなくすためには、まずそのなかで頑張らなければならない。それっておかしなことだろうか? 私はそうは思わない。

世の中に何らかのサービスが存在するのは、人がカネを払ってでも誰かに処理してほしい問題が社会に存在するからだ。その問題が存在し続ける限り、その商売はなくならない。けれど、じゃあそのサービスは何のためにあるかといえば、問題を解決するためにある。だから、すべてのサービスは、自分自身の存立基盤を突き崩すことを目的として存在することになるはずだ。私はこのことを、もうひとつの収入の道である英文翻訳をやっているときに強く実感した。巨大な演算処理能力をもったデバイスが日常的に利用可能になっていく世の中で、翻訳者は技術者と協力することによって、自動翻訳を可能にしていくことができる。その先に、最終的には翻訳者なんて不要な世界が生まれるはずだ。それに対して拒否反応を示す業界人が多いなかで、私はそれこそが翻訳業界の目指すべき方向性だと感じた。そして、「なんだ、すべての商売がそういうことじゃないの」と、腑に落ちた。自分自身の仕事に対するニーズの向こうには、解決されていない問題がある。最終的にそれを解決することが仕事をする人間には求められているのだし、そこを理解していてこそ仕事は楽しいものだと、そんなふうに思うようになったわけだ。

 

だから、クソみたいな学習産業にも、それが必要とされている事情がある。そして、その事情を考えはじめると、やはり歴史を遡らねばならなくなる。いったいどうしてこんなアホみたいなことがのさばるようになったんだ?

家庭教師や私塾の歴史は古い。以下、文献とかにあたらずに書いているので話半分以下に聞いてもらえればいいのだけれど、家庭教師のようなものは古代にもあったし、近代日本においても戦前から存在した。現在の名門大学のなかにはもともと大学の予備校的な存在だった学校もある。学問のために費用をかけることは奇妙なことでもなんでもない。ただし、それは社会の中ではごく一部の人々の間だけで行われることであり、ある意味、どうぞ勝手にやってくれ的な世界であり、おかしなことでもなんでもなかった。

それが急速に変化したのは、日本でエネルギー革命が起こった1960年頃を境にしてのことだ。この時期の経済の大変革についてはアウトラインを描くだけでたぶん何日もかかるのであえて触れないが、それまでは中卒での就職(や家業への就業)が一般的だったのが、突然のように高校進学率が伸びはじめた。10年で高校進学があたりまえの世界ができあがり、その次の10年で大学進学があたりまえの世界がやってきた。そういう膨張期には、受け入れ側の定員がたりないから、入学をめぐる競争が激化する。学習産業が産業と呼べるほどの規模に一気に成長したのは、この時代である。

私の記憶では、1970年代初期には学習塾といえば基本的には個人塾だった。よくあるパターンとしては、学生運動で「挫折」した全共闘の闘士崩れみたいなのがうらぶれて自宅の二階ではじめるようなもの、とまで言ったら言い過ぎだろうか。それが1970年代後半から80年代にかけて一気に統合が進む。学習塾は教室化し、大規模なところは1970年代に一足先に成長を遂げていた予備校と区別がつかないほどに膨れ上がった。一方の家庭教師は、人材派遣業に対する規制をかいくぐるために擬似的な「会員制度」をとって、1970年代に拡大していき、大小の業者が林立することになった。こちらに関しては個人でもはじめられる手軽さもあり、また、講師の主要な供給先である大学が学生のアルバイトとして紹介することもあって、正確な実態といえるものさえ、なかったのではないだろうか。

こういった学習産業に対して、当初、学校は強い拒否感を示した。それは、学習産業が「テスト対策」をその事業の本質としていたことから避けられないことだった。

このブログで何度も書いているのだけれど、本来、学力試験とか、学力考査とか、テストとかよばれているものは、教育の成果を測定するために行われる。そして、(いまではすっかり無視されるようになったことではあるのだけれど)学習指導要領に定められた学校教育の本質は、論理的な思考力やコミュニケーション能力を高めることであって、「問題に正解すること」ではない。そういったコンピテンシーを高めた結果として、学力試験を実施すれば、その得られた能力に応じた得点が測定できるはずだ、というのがテストの意味であった。

ところが、そういったテストは、実はそんな回りくどいことをしなくったって、対策をすれば高得点をゲットできる。たとえば、本質を理解し、思考を積み重ねることによって正解に至ることができる図形証明問題なんか、正解を丸覚えしてしまったほうが短期間でずっと効率的に点数を稼ぐことができる。それはわかっていても、かつて学校ではそれはチートであって、そんなことをして点数を稼ぐやつはダメだぐらいの建前を掲げていた。そりゃそうだろう。コンピテンシーを身につけてほしいのに、どうでもいい正解の暗記みたいなことをされたんじゃ、テストをつくる方も萎えてしまう。もちろん、そんな教師ばかりでなかったことも事実なのだけれど、少なくとも建前上はそうだった。

たとえば、私は1970年代後半に地域でトップと目されるある進学高校に在籍したのだけれど、その時代にはそういった正統派教師と「いや、それでも進学のためには反復練習を」といった現実派教師の対立みたいなものがあった。そして、学校は建前として正統派であったため、ドリル系の宿題とか進学のための補習とか授業時間を使っての入試過去問の問題演習とか、現在の進学校であたりまえに行われているようなことはほぼなかった。学校は学問の基礎を生徒に教える場であり、大学受験の予備校ではない。建前としてそれは一貫していたし、多数派の教師は実際に受験対策を一切やらなかった。(実際には建前はどうであれ、多くの生徒がいろいろな方法で受験対策に勤しんでいた。そういうことに一切気づかない鈍感な生徒であった私は素直に何の対策もせず、大学受験は相当悲惨な結果となった。だがまあ、そのあたりは別の話だ。)

 

テストで生徒に高得点をとらせることが教育の目的ではない。そう掲げる学校は、当然ながら学習塾を異端視した。しかし、それは1980年代半ばを過ぎて急展開する。「そんなことを言っても対策しなけりゃ生徒は合格しないじゃないか。合格してこそ生徒は幸福になるのだし、学校の評価も上がるじゃないか」という現実派が勝利をおさめるようになったのだ。その理由は知らない。単なる推測なのだが、1960年代後半の「受験地獄」とよばれた時代をくぐり抜けた人々が教師になって、現場に影響力をもつようになっていったからではないだろうか。学習塾をはじめとしたツールを活用して「対策」を積み重ねることで勝ち組になった人々だ(当時は教職は安定したラクな職場として非常に人気があった)。「受験は対策で乗り切るもの」という価値観をもっていても不思議ではない。

そして、「校内暴力」とよばれる学校現場の荒廃(として大々的にマスコミに報じられた現象)が、そういった学校改革の後押しをした。学校が機能していないと報じられるなか、学習塾仕込みの猛勉強をやらせて治安を回復し、進学の実績を上げる教師たちに世間は高い評価を与えるようになった。そして、学習塾や予備校の「ノウハウ」が学校教育に取り入れられるようになった。このようにして、1990年代頃には、学習産業と学校との敵対関係は終了してしまった。予備校が全盛期を迎えたのもこの時代だ。駅前が予備校の教室だらけという風景は、全国に広がった。そして、2000年代から2010年代にかけて、学校の予備校化が完成した。いまでは、中学校や高校の教師でまともな講義をする人のほうが少ないのではなかろうか。ほとんどの教師は学問のおもしろいところなんかぜんぶすっ飛ばして「ここ、試験に出るから重要!」みたいなことばかり叫んでいるような気がする。もちろんこれは実際に見たわけではなく、家庭教師で教えている生徒たちを通して見える風景でしかない。いくらかのバイアスはかかっているだろう。けれど、生徒たちがもらってくるプリント類や彼らの報告を聞く限り、もう学校はすっかりむかしとはちがうと思わざるを得なくなっている。

 

だからといって私は、「むかしはよかった」的な話をしようというのではない。そうではなく、学校を補完する立場にある学習産業としては、学校がむかしと同じでない以上、自分たちもむかしと同じであってはならないと思うのだ。ところが、見渡してみると、むかし以上に荒廃した風景が広がっている。だから学習産業はクソだというのだし、そして、この業界を変えることができればムチャクチャおもしろいだろうと、そんなふうに思うのだ。

学校が学問を捨てたのなら、学習産業がそれを拾えばいい。私はそう思っている。そして、そう思ったら、いくらでもやることが見えてくる。目の前に無限のブルーオーシャンが広がっている。実にワクワクする。

とはいいながら、結局は私ではない誰かがそこの成果をさらっていくんだろうとは思う。それでもいい。大きな変化を見届けるのにいちばん見晴らしのいい場所を確保すること、それだけでも残りの人生をかけてみるだけの価値があるのではないかと思っている。

最も公平な入試制度 - たとえそれが実現しても、平等は遠い

「入試制度改革」とそのドタバタ劇(特に「民間試験導入」をめぐるもの)を、私は冷ややかな目で見ている。高校生も教える家庭教師として無関係ではないし、実際その動向は商売にも大きく影響するのだけれど、どっちかというと「アホなことは勝手にやってくれ」と、関心は低い。なぜなら、どんなに工夫をこらそうが、公平で公正な入試制度など、現在の社会を支配する思想からは生まれっこないからだ。あるいは、公平性を最大限にするのであれば、それは志望者全入を前提として定員をオーバーする部分に関してはクジ引きにする方法しかないだろうと思っている。志望の意思確認のための面接ぐらいはおこなってもいいかもしれない。ただし、それを合否に使った途端に公平性は崩れるだろう。大学受験資格の制限、たとえば一定以上の学力を有しなければどんな大学も受験できないといった足切り制度さえ、厳密には公平性を損なう。最も公平な入試制度は志願者全員を公平に扱うことであり、員数的に受け入れ不能な部分はクジ引きで決めること。それ以外にはないはずだ。

こういう極論を提示することの意味は、それが現在の制度を支えている無意識の思い込みを明らかにしてくれるからだ。あまりにもあたりまえだと思っていることは、こうやってあぶり出さないと表面に出てこない。だから、「最も公平な入試制度」は、思考実験だ。

なぜクジ引きが不都合なのか。たとえばそれは、能力の不足した志望者に入学の機会を与えてしまうからだと説明されるだろう。大学はお遊びではない。大学での学習や研究に必要な能力がない者が学生になっては困る。そして学生に必要とされる能力は、講座ごとに、学科ごとに、学部ごとに、学校ごとに異なる。だから大学はそれぞれに学力考査を実施して入学者を決めるのだというのが、入試制度の存在理由ということになるだろう。そして、入試制度改革はその選別がうまく機能しないということから必要とされる。

なぜ入試改革が必要か?

実際、現状の選抜制度はうまく機能していない。たとえば、困難な学力テストをくぐり抜けてきた学生が優秀かといえば、必ずしも一概にそうとは言えない。優秀な学生もいるが、学力テストとは別な道、たとえばAO入試であるとか、途中編入とか、そういった別の方法で入ってきた学生の方が優秀である場合が少なくない(というような話は、噂程度のことではあるのだけれど、大学教員からはよく聞くことだ)。言い換えれば、学力テストは十分に機能していない。

さらに、受験対策で獲得する得点力は、「学力」そのものではない。昨今は得点でもって測る能力を「学力」と定義づけるのが常識になってしまったのでそういう立場からはこれは矛盾するのだが、本来、教育によって身につけるべき(と学習指導要領で定められた)コンピテンシーは、そうではない。このあたりのことは、別エントリに詳しく書いた。「対策」で身につける得点力は基本的にチートであって、コンピテンシーそのものではない。ただ、チートを練習することでコンピテンシーが獲得できる場合があるのは否定しないし、実際多くの人がそうやって成長している。とはいえ、それがチートで終わってしまう学生の方が多いのは目を覆うほどだし、もしもコンピテンシー獲得が最終目標であればチート訓練は非常に効率がわるいものだ。こういうのは家庭教師やってるとすぐにわかる。だが、現状の入試制度では、効率のわるさに目をつぶって生徒の状況によってはチート優先でやらねばならないことが多い。そうしなければ生徒が不利益を被るからだ。教育の目的と実行手段を乖離させているのは受験システムなわけで、そういう意味からも受験システムの終端に位置している大学受験制度はうまく機能していないといえる。

したがって改革が必要だ、ということになるのだが、私はそこで「いや、ちょっと待てよ」と思うことになる。改革をするといったって、それは「いかにして確実に優秀な学生をピックアップするのか」「いかにして優秀な志願者を育てるプロセスを合理化するのか」という観点でしかない。そして、そういう観点からは、どうあがいたって、本当の公平性は生まれない。なぜなら、それは、「優秀な人はそうでない人よりも優遇されるのが当然である」ということを前提にしているからだ。

公平でないからこそ必要とされている

ここのところは実はかなり面倒な話になってくる。経済の話が分かちがたく絡んでいるからだ。だが、まず切り分けよう。大学で学び、研究していくためには、それなりのコンピテンシーが必要になる。特に、先端的な教育・研究を実施している大学では、かなり多くのスキルセットが必要になる。意欲だけあってもそういった能力を欠いた学生は迷惑でしかない。あるいは、意欲さえない学生は、たとえ多少の能力があったとしても、邪魔でしかない。これはだれだってあたりまえだと受け止めるだろう。けれど、本当にそうなのだろうか? それはつまり、大学にとって学問で成果をあげていくことが重要であるということで、大学が何のために存在するのかを考えれば当然だ。けれど、さらに本質的なことでいえば、大学がどの程度のスピードで、どの程度のアウトプットを出さねばならないのか、客観的な基準があるわけではない。つまり、教育・研究機関としてベストを尽くしていればそれで十分なはずだ。ところが現実はそうではない。他大学と比較して(たとえば論文数とか目立つ研究成果とか)で常に優位にたたねばならず、あるいは卒業生の進路で少しでも高い評価を(たとえば就職率であるとか、就職先企業のリストなどで)得なければならない。すなわち、大学の存続には競争が前提になっている。競争を前提にすれば、少しでも競争に有利なようにしなければならない。つまり、競争に勝てるような素材である優秀な学生を獲得しなければならない。

もともと大学には(なにせ資本主義社会なので)競争原理はあったわけだけれど、これが制度的にもはっきりとしてきたのは前世紀末に始まった大学改革の中でのことだろう。競争に生き残るためには、大学はその教育・研究機能を充実させる以上に、まずは優秀な学生を他大学に先駆けて奪わなければならない。すなわち、「優秀な人を優遇する」のが常識になる。言葉をかえれば、もしも競争原理がなければ、それは単なる不平等でしかないということになるはずだ。

そして、「優秀な人を優遇する」ことは、実は学生にとってより重要なのだ。なぜなら、大学が「優秀な人」を選別して入学させ続けてくれる限り、大学には序列が形成される。そのなかで少しでも上位の大学にもぐりこめば、それは大学が自分を優秀であると認定してくれたことになる。事実、社会は大学の名前でもって新卒者の待遇を決める。現代の日本に厳として存在する正社員と非正規の身分差別で正社員側にのぼりつめるには、大学の序列とその大学卒の経歴は、最も確実で安心できるものである。さらにいえば、これは大学間だけの話ではなく、大学に進学できなかった人々と大学を選べた人々との間の格差をもつくり出す。そういった序列づけのシステムを産業社会が利用し、そしてそこに加わっていく若い人たちも利用するからこそ、「優秀な人を選別する」システムである大学入試制度は本質を変えられない。入試システムは格差をつくり出すものであるが故に、社会に不可欠のものとなっている。

格差を正当化する理屈

では、なぜ格差をつくり出すことが正当化されるのだろうか。それは、現代の経済社会が、格差の存在をその動力源にしてしまっているからだ。これに関しては以前にも別エントリで書いたのだけれど、現代の経済は、つねに「いまよりもより良いもの」を求めることによって成り立っている。そして、より良いものを生み出すには、一定以上のコンピテンシーのセット、優秀な能力が必要になる。その優秀な能力を選別し、それを適切な部署に配置しなければ、成長は維持できない。成長が維持できなければみんなが不幸になる。そのためには、「優秀な人は優遇する」と、格差の存在を認めなければならない。なぜなら、優遇しなければ優秀な人は埋もれてしまうからだ。社会がその人の能力を活用できなくなるからだ。

そして、入試制度改革は、根本的には「このままじゃ優秀な人をその能力に応じて評価することができないじゃないか」という危機感にもとづいている。実際、受験英語をいくらマスターしたって英語でのディベートはできないので、「それならまだそういう能力に近い能力を測定する民間試験を活用したほうがいいじゃないか」という議論も説得力をもつ。そして、「それでは受験機会が家庭の経済力や地理的条件によって左右されてしまうじゃないか」という反論も、「その結果、優秀な生徒が入学機会を失う」という文脈でのみ説得力をもつ。私がしらけてしまうのは、そこなのだ。

「能力」の測定が無意味になる時代

いったい、「平等」とは何なのだろう。それは、「能力に応じて等しい機会を与えられること」なのだろうか? そうなのかもしれない。けれど、その「能力に応じた」結果が生涯賃金の差であり、結局は経済的な格差であるという現実は、それでいいのだろうか? 優秀な人々は、「はあ?」と思うかもしれない。けれど、子どもの頃からたいして優秀ではなかった私のような人間から見れば、それはけっこう切実な問題だ。ときには生死に関わる問題だ。一方の人々がなにやらこちらが一生かかっても手に入らないような高尚な趣味に没頭できる一方で、こちら側では1食600円の外食をケチるために300円の自炊にしているのをなお100円に縮小できないかと苦慮するなどというのは、本当に平等といえるのだろうか? 能力が低いやつはそれが相応だというのだろうか? 正直なところ、私はたまたまこの数年はそこまで経済的に落ち込んではいない。若い頃にそういう時代もあったが、それは通り過ぎたつもりだ。それでも大きな格差は感じるのだし、たとえ自分がそのどちら側にいたとしても、それが正しいことには思えない。

そして、実際、こういった「能力による格差はしかたないよ」という考え方に私が強く反発するのは、これまでの人生で多くの人に接してきて、さらにいま、家庭教師として多くの子どもたちに接することができるからなのだ。どういうことかといえば、実際には人の能力など、単線的な評価軸で測れるものではない。特に、知的産業社会といわれるようになって以来、たとえひとつの能力が大きく落ち込んでいても、その他の能力で他人に引けをとらない活躍ができる部署はどこかに必ず用意されていると思えるようになった。手が動かない、足が動かない人であっても、コンピュータの助けで一人前以上の仕事ができる。評価軸は数多くあり、それを正確に評価することなど誰にもできない。だから、どんな人であっても、社会の幸福に寄与することができるのだと、そんなふうに感じることが多いからだ。

 

とはいいながら、あらゆることにダメダメで、それでも生きていたいという人だっているわけで、私はやっぱり、どっちかというとそういう人に共感してしまう。何か価値があるから生きていていいなんて功利主義的なことは冷え冷えとする。何も価値がなくても人間だから生きていていいのだし、そのときに能力のせいで苦しむなんて、ただでさえ苦しいのにやってられない。

やっぱりクジ引きが最も公平な入試制度だと思うんだよなあ。

EVオーナーへの道は遠い - タイムリミットは近づいているのに

太陽光発電の買取制度で定められた固定価格での買い取り期間が、我が家でもあと半年で終了する。制度の開始から10年、ウチは開始年度の申込みは逃したが、まだまだ高値で売れた2010年には間に合った。ちなみに、当初買取価格の42円とか、次の年度の38円とか、それが高い、不公平だというような話はよく聞くが、当時は太陽光発電システム一式の価格が現在とは比べ物にならないぐらい高価だった。比較のしかたによって大きく変わるが、10倍ほどもちがったといっても大げさに過ぎないぐらいには高かった。それでは誰も買わないから、普及策としての買取価格保証だった。実際、38円の買取価格で儲かったのかと言われたら、10年でようやくかつかつ設置額の元がとれたかとれないか程度でしかない。それはウチのライフスタイルやその変化が大きく影響したので、一般には元さえとれなかった家庭も少なくないだろう。太陽光発電で儲けたのは設置価格が急落した割に買取価格が高止まりした2013年以降の数年間に設置した人々であって、当初は制度の運用はうまくいっていたと私は評価している。このあたりのことは別エントリに(メガソーラーの報道を家庭用のものと誤解して書いたちょっと恥ずかしい記事として)詳しく書いている

で、たまたま運良く設置金額ぐらいは回収できそうではあるのだが、太陽光発電、実は10年を過ぎてからが本番である。というのは、太陽光パネル(光電池)そのものは耐用期間が10年やそこらではないことが次第に明らかになってきている。20年くらいは余裕で発電しそうだし、うまくすれば30年、40年、それ以上にわたって電圧を発生し続けるだろう。可動部のないシリコンでしかないわけだから、いくら紫外線に晒され続けるといっても、そうそう急激に劣化するものではない。ただし、システム全体で見れば、そんな楽観はできない。太陽光パネルにはプラスチック部分もあり、それは素子や表面を覆うガラス、枠のアルミ合金よりは劣化が早いだろう。だいたいからして、配電周りの耐用年数は、それほど長いわけはない。いくら直射日光の当たらないところに配線されているとはいえ、古い電線は決して安全とは言えない。それよりなにより、直流として発生する電流を系統連結のために交流に変換するために不可欠であるパワーコンディショナ(通称パワコン)の寿命が早ければ7年ぐらい、長くても15年はもたないとされている(ウチは幸いにも10年の固定価格買取期間に壊れることはなかったが)。これが安くない。いまの相場は知らないのだが、たぶん取り替えるには工事費を入れて20万〜30万円ぐらいはする。修理も不可能ではないのだが、コンデンサの取替えになるらしく、基盤ごとごっそり替えることになるし、長期使用する関係で部品の在庫があるかどうかもわからないから、かえって高く付くことが十分に予想される。

そうなると、10年をとりあえず1区切りとして、そこから先、どうするのかという決断を再び求められることになる。やめてしまうというのもひとつの考えかただ。だが、その場合、発電しないパネルが屋根の上に乗っているのはあまり感心したことではない。取り外すとなると工事費で数十万円かかるだろう(現在では足場を組まねばならないと基準が上がっているので、もっとかかる可能性もある)。取り外したパネルには中古品としての価値はあるが、まだまだ中古市場が成熟していない現状では二束三文だろう。結局、経済的なことだけ考えたら、ここでやめるのはもったいない(経済的なこと以外でもやめる理由はあんまりない。たとえば「地球環境のために!」みたいな意気込みで導入した人は、途中でやめる理由はない)。

 

ということで、どう続けるかということなのだけれど、これまた、続けることでちょうど「儲かりはしないが元がとれる」状態にはなる。どういうことかというと、このあいだ関西電力からお知らせが来て、固定買取価格以降はkWあたり8円で買い取るという。現在のウチの売電状況から類推すると、これは年間でおそらく2万円程度の売上になる。一方、自家消費による電気料金節約分というのがあって、これが家庭によってちがうのだが(さらに季節によってもちがうのだが)、現状だとおそらく年間3〜4万円ぐらいになる。合計すると5〜6万円で、遠からずやってくるパワコンの交換などのメンテナンス費用が今後の10年間の積立でちょうど賄えることになる。よくできているといえばよくできている。

 

さて、このkWあたり8円という金額、実は予想していたよりもかなり高い。それにしたところで、二束三文感は否めない。それに比較すれば電気料金節約分のほうがずっと大きいのだが、それはkWあたりの電気料金が、買う側になればずっと高額になるからだ。ならば、自家消費分を全部自家発電分で賄えばもっと節約分は大きくなる(つまり儲かる)のではないかという発想が生まれる。発電量と消費量がどちらも大きい家庭ではこれは実に真実で、したがって、家庭で蓄電システムを備えることが経済的にもインセンティブとして高まる(蓄電システムには、その他にも災害対応などのメリットがあるので、実際のところオススメではある)。ただし、ウチの電気料金の請求書は実につつましいものだ。全部を自家発電分でゼロにしたところで、たいして儲からない。そして、蓄電システムは安くない。ウチのような小規模なシステムでは、とても蓄電システムを入れて割が合うようなことはない。

ただし、もしも電気だけではない全エネルギー消費までを含めて考えれば、自家消費を増やすことでメリットが生じる可能性がある。ということで業者は「オール電化」を売り込んだりするのだけれど、実際のところウチではガス料金も安いので、全然メリットがない。ただし、移動のためのエネルギー消費、つまり自家用車のガソリン代まで含めれば話は大きく異なる。ガソリン代はここ数年、ライフスタイルの変化とともに増えて、年間で20万円にもなる。これを半減できれば、それだけで8円で売るよりもずっと経済的なメリットは大きい。そしてちょうど、自家用で10年以上乗った軽自動車が買い替えどきだ。これは電気自動車(EV)を導入しない手はない。

 

ということで、3年ほど前からEVを探してきた。軽でEVとなると、選択肢は三菱のi-MiEVしかない(現在は軽から外れたのかもしれない)。それの商用車タイプのワゴンを購入しようと、業者を前にあと3秒で契約完了、という状況になったのが2年前だ。その瞬間、業者が「200ボルトの工事の方は説明しましたよね」と確認したところですべては止まった。

現在の状況は知らないのだけれど、その段階で、iMiEVは100ボルトの充電が可能だった。ということは、昼間、太陽の出ている時間帯に家庭用コンセントから充電すれば、EVはほぼ全て太陽光発電の電気で走ることになる。私が車を使うのはたいてい夕方以降なので、その運用でうまくいく計算だった。ところが、充電は基本的に専用コンセントからでないといけないと、このときになって初めて業者が説明してきた。専用コンセントは基本は200ボルトだが、100ボルトにすることもできなくはない。だが、その場合でも電力契約をした充電専用のものにする必要があるという。これでは私の目論見は完全に狂う。私は机の上に出した印鑑証明とハンコを引っ込めるしかなかった。

言い分はわかる。まず、電気料金を考えたら通常の家庭用の契約ではなく、電力契約にすべきだ。さらに、電圧が高いほど充電は短時間でできるので、電圧は高いほうがいいに決まっている。そして、安全性を考えたら大電流が流れる回路は家庭用のものと別にしたほうがいい。一般的にはいちいちもっともなのだけれど、太陽光発電の電気を有効に使いたいという私の希望とは相容れない。

こっちには、kWあたり8円という超格安の電気がある。金銭的に新たに電力契約にするメリットはない。さらに、1日の走行距離はたかが知れていて、おまけに充電には十分の時間がかけられる。低電圧でゆっくり充電することに何の問題もない。ゆっくり充電するなら大電流による危険性もなかろう。だから、100ボルトでそのまま使いたいのに、それでは売れないと業者はいう。EV計画は頓挫した。

その後、父親の入院などもあって結局この計画は放置されたままなのだが、そうこうするうちに、以前から注目していた「超小型モビリティ」がいよいよ販売になるのではないかという噂が聞こえてきた。そういう型式になるかどうかはわからないが、来年にはトヨタがそれっぽいのを出す。当然、他のメーカーも追随するだろう。いまも類似のものは中華製で手に入るが、それらは概ね100ボルト充電だ。さあ、どう出るか、注目している。