蚊帳を吊っている

子どもの頃、夏になると蚊帳を吊っていた。どこの家でもそうだったのかまでは知らない。田舎の方ではヤブ蚊が多いから、蚊帳は普通だったのではないかと思う。ただし、それほど長い間ではなかったようにも思う。そのうちに蚊は蚊取り線香で追い払うようになった。キンチョーのコマーシャルも一役買っていたのかもしれないが、蚊取り線香に殺虫剤が配合されるようになって除虫性能があがったことが関係しているのかもしれない。そのうちにエアコンが普及し、家の気密性もあがっていく中で、蚊帳は遠い記憶のものになった。

だから、妻と結婚したときに彼女が蚊帳をもってきたのには驚いた。なんでも奈良で誂えたこだわりの品だという。実際、結婚してすぐに引っ越したアパートは古びていたので、この蚊帳は重宝した。中に入るとその狭い空間がなんとなく落ち着く。やがて子どもが生まれ、3人で寝るには手狭になったのでやや大きめの蚊帳を新しく買った。古い蚊帳は、そっちのほうが品物がよかったこともあり、友人に譲った。そのころには、家族構成が変わることとかは考えていなかった。

やがて私たちは引っ越し、いくらかの曲折を経て最終的に新築の家に引っ越した。この家では、網戸さえきっちり立てておけば虫ははいってこない。だから長いこと、蚊帳は納戸の奥から出てくる機会がなかった。

 

去年から、父親の体調不良で実家に行くことが多い。半年ほど前からは、週のうち2回は泊まる。3〜4日、週の半分を実家で過ごすことになった。寒いうちはよかったが、だんだん暖かくなって蚊に悩まされるようになった。実家もかつての懐かしい家ではない。その後に新しくしているから決して古い築ではないのだけれど、母親が開放的なのが好きなので、蚊は好きなだけはいってくる。これは困ったなあと思って、蚊帳を思い出した。

吊ってみると、実に懐かしい。むかし3人で寝た空間に、私ひとりだ。そんなふうに、時代はどんどん移っていく。いろんなことが変わっても、この小さな空間の落ち着きだけは変わらないなあと思う。

なぜ比率の理解度が低いのか - 人間の成長の階梯と論理の要請の間で失われるもの

「%」がわからない?

日本の大学生がパーセントを理解できていないというようなブログ記事を見かけた。

toyokeizai.net日本の大学生が「%」を理解できなくなった理由 | ブックス・レビュー | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

大学生が百分率を理解していないのかどうか、特に実証的な研究というわけではないようだ。あくまでこの記事の著者の体感らしいのだけれど、少しだけ、ひょっとしたら関連するかもしれないという自分自身の観察がある。その観察もまた同様に実証的なものではないけれど、可能であれば実証的な裏付けがほしい、言い換えれば必ず実証的に正しいと証明できるはずだと思っている。そのぐらい、ほぼ例外なく普遍的に(少なくとも私の生業の半分である家庭教師の生徒になる子どもたちの間ではほぼ例外なく)見られるものである。私は大学生は教えていないから、これは小学生から高校生までの生徒を観察しての結論だ。その結論が上記の大学生の観察を支持するのか、あるいはそれを否定するものかは、どちらも実証的なものでないから言えない。ただ、関連はあるのかもしれない。

ごく短く要約すると、その観察は「小学生には比率の概念は理解できない。比率の概念が理解できるようになるのは中学2年生以後であり、高校2年生以後にはごく容易に比率の概念は理解できるようになる」というものだ。どういうことか。

比率がわかってなくても入試問題は解ける

まず、百分率を含めた比率の概念は、現行学習指導要領では小学校5年生に配当されている。中学受験をするような小学生だと学習塾では3年生、4年生あたりから教えるところもあるようだ。そして、中学受験には相当に高度に比率の概念を使った問題も出る。そして、中受をするような生徒は、そういった複雑な問題を実にエレガントに解いていく。それは、感動するほどだ。

だが、そうやって高度な問題を解く小学生だが、かなりの確率で中学の方程式問題や関数問題で躓く。難易度からいえばそれほど高度な問題でもないのだが、中学入試問題とはパターンがちがうからだろう。とはいいながら、比率の概念が体感的にわかっていれば、その間のギャップを越えるのはそんなにむずかしくないはずだ。というよりも、ギャップなんかないはずなのだ。ところがけっこう躓く。

そこで、彼らは本当にわかっているのだろうかという疑問が生まれる。確認のため、小学生に質問する。比率の概念がつかめていたらこの程度のことはわかるだろうというような質問をしてみる。すると、あれほど難しい問題に正解する能力をもっている生徒が、答えに逡巡する。あれ? わかってないんじゃないの?

そう、わかっていないのだ。彼らがやっているのは、たとえば「くもわ」の公式を覚え(これは学校で教える「てんとう虫」と呼ばれる図で、「らべるもの」「とにするもの」「りあい」を3分割された領域に当てはめて計算式を導くもの:類似のものに速さ問題の「みはじ」もある)、どれが「く」「も」「わ」に当てはまるのかの判別をするポイントを覚え、そうやって判別した数値を公式にあてはめる作業をやっているだけなのだ。そういう作業をすれば確かに正解は出る。しかし、それで比率を理解したことになるだろうか? 「なる」というのが学習産業界の言い分だが、実用的にはそうではない。そうやって身につけた比率の技能は、実生活では役に立たない。

実生活に役に立たなくてもいいではないかという議論も可能だろう。いや、実際、学問なんてそういうものだ。だが、比率の概念は、実生活で使える程度のレベルで体感的に掴んでいなければ、学問でも役に立たないものだ。それはたとえば「1万円って多いの少ないの?」という感覚だ。日常生活で1万円が大金なのかはした金なのか、それは「場合による」。財布から生活のために出す金額としては1万円はかなりまとまった金額だが、もしも1年間の収入の中で考えるならかなり小さな金額になる。ものの大小を考えるときには、文脈、つまり「何に比べての量なのか」ということを常に前提に置かなければならない。こういう感覚は、たとえば歩留まりの感覚であったり誤差の感覚であったりをつくっていく。あるいは相関関係や分散の捉え方の基礎にもなる。量を理解するときに、常に比較でもって考えるのは、工学にとどまらない多くの科学の基礎になる。だから、大小関係を比率でもって捉えるのは感覚的にできていなければならない。それは、数値操作とは無関係に身に着けておくべきものだ。

そして、小学生にはそれができない。教えてもできない。体感的につかめない。教え込んだら計算はできるが、計算の意味が体感的にわからない。ところが、同じ説明を高校生にやったら、ほんの数分で理解できる。見事なほどのコントラストだ。

そういう観察をある教育学者に話したら、「そりゃあたりまえやろ。高校生になるまでにどれだけ勉強したと思ってる?」と答えが返ってきた。小学校以降の学校での学習によって身についたのだと、ふつうならそう思うだろう。それがちがうことは、家庭教師商売をやっていればわかる。なぜなら、比率の概念の復習は、中学校以上の学校ではほとんどやってくれない。学習塾でも、中学生に対して「くもわ」式の数値操作は教えるが、そんなものでは比率の概念はわからない。典型的な実例がある(サンプル数は1でしかないが)。私が比率の概念を教えたある高校生だ。彼は中学時代からあらゆる勉強をドロップアウトした定時制高校生だった。高校でも勉強なんかするわけもなく、卒業単位が足りなくなって高卒認定試験を受けるから教えてくれと言ってきた生徒だ。小学校以降の積み上げがあるわけはない。その彼が、比率の概念を一瞬で理解できた。小学生ならいくら頭のいい生徒であっても絶対に理解できない概念が、何の苦もなくわかったのだ。

そこまではっきりした事例でなくても、中学2年生でいくら言っても比率がわからなかったのに中3で同じことを復習したら一発でわかった、とかいった事例は事欠かない。正確にいつ転機がくるのかわからないが、どうやら人間の頭の構造は、ある一定の段階に達したら突然、比率の概念がつかめるように発達するようだ。自分自身を振り返っても、ちょうど中学3年生の夏、「打率」の概念がわかって急に野球中継がおもしろくなったのを覚えている。いや、それまでも「3割バッターはだいたい3回に1回ぐらいヒットを打つんやで」みたいなことは聞いていたと思う。けれど、それが試合進行にどう影響するかみたいなことは想像できなかった。「このバッター、ヒット打つん?」というのが重要であり、それが比率とか確率とかいう概念と結びつくことはなかった。根拠にもならない思い出話に過ぎないが、現在の自分自身が子どもたちと向き合う実感と照らし合わせても、やっぱり小学生に比率は理解できないのだと思う。テクニックとして比率問題は解けても、その意味はわかっちゃいないのだと。

発達段階とカリキュラムの組み立てと

実際、人間には成長の過程で、ある段階に達しなければ身につけられない能力が存在する。これは幼児教育ではむかしから知られたことであり、なんなら中学校の保健体育の教科書にさえ記載されている。空間の認識とか順序とか同一性の認識、対立の概念など、人間は年齢とともに順を追って理解できるようになっていくようだ。

同様の発達段階が、幼児期だけではなく、その後の学齢期になっても存在する。カリキュラムはそういった発達段階の進行に合わせて組まれることになっている。たとえば理科教育においては小学校低学年ではそもそも科学的な思考は発達段階から言って無理ということでかつては組みこまれていた理科を「生活科」に改め、「自然現象に親しむ」程度でとどめておく。中学年では自然現象の中に驚きを発見し、疑問をもつことまで踏み込むが、それを実証的に調べるところまでは発達段階が追いつかない。高学年になってようやく実験や観察の具体的なところまで進むが、その計画ができるのはさらに中学、高校と進まねば無理だということになる。そして数量的な解析は高校でなければできない。発達段階を追いかけるとそうならざるを得ず、したがって理科では同じテーマが繰り返し登場することになる。電気や磁石は小学校の中学年にも高学年にも配当されているし、中学校にも高校にも配当されている。同じ現象に対して、取り組むスタンスがまったく異なっている。

 

ただし、それではすべてが発達段階を意識して組み立てられているかと言うと、どうやらそうではない。それは、中学生に小学算数を(復習として)教えてみるとよくわかる。小学算数の特に四則演算と数の拡張は、しっかりと緻密な論理的組み上げでできている(だからわざわざ中学生に振り返らせる必要がある)。十進法の概念がわからなければ足し算の繰り上がりがわからず、繰り上がりの計算ができなければ繰り下がりが理解できず、足し算がわかっていなければ掛け算に進めず、掛け算がしっかりできていなければ割り算がわからない。割り算の概念ができていなければ分数に進めないし、分数と小数は並行して進めないと本質的な理解にたどりつけない。小学校の算数は、なによりも数学の論理構造をたどるように組み立てられている。

つまり、カリキュラムの組み立て方には二種類の考え方があることがわかる。ひとつは子どもの発達段階に合わせて「いま、この年齢ならこういう概念を身につけることができるはずだ」と、その発達を促すように組み立てるものである。そしてもう一つは、論理構造をもとに、「まず最初はこれがわかっていなければ次がわからないし、それがわかったら次はこれがわかるはずだ」と順序立てていくものだ。そして、この二種類の考え方は、必ずしも整合性のよいものではない。ときには対立する。順序としてはこのあたりで理解しておいてほしいことが、発達段階からいえば到底無理だというようなことが起こり得る。そして、特に算数では、発達段階の要請は論理構造の要請に打ち負かされてしまう。結果として、その学年に配当されているのに著しく理解が低い領域が発生する。それが典型的に起こっているのが、小学5年生の「比率」なのだ。

再考すべきはカリキュラム

中学校では比率的な概念を用いた学習が多くなる。理科の濃度や密度などはその典型だ。社会科でも人口密度や生産高の比較など、比率の概念が重要になる。そこに向けて、小学校の算数で比率について掴んでもらいたいという論理構造上の要請がある。小学5年に比率が配当されているのはそういう理由なのだと思う。

しかしながら、私の観察では(あくまで実証的な裏付けがないことは繰り返しておく)、小学生に比率の概念は掴めない。これは発達段階として、まだ物理的にそういう段階ではないからだ。よく英才教育的な発想として「どんなものでも早くから仕込めばそれだけ上達も早い」という思い込みがあるようだが、これはまったく事実ではない。年齢に応じて可能な能力の範囲は、それぞれの年齢に応じて平均的な身長や体重が決まっているのと同様、平均的な脳の発達にもとづいて決まっている。だから、どれほど早くにスタートしようと、ある発達段階の人には、それより上の発達段階で初めて可能になるような能力は身に着けられない。そして、比率の概念は、どうやら14歳頃を境に身につくようになっている。

しかし、数学の論理内での要請、あるいは他の教科からの要請がある。そういった論理的な組み立てからいえば、比率は小学校5年生で教えたい。その矛盾を解決するために生み出されたのが「てんとう虫図」であり、「くもわ」の呪文だ。そして、要領のよい教師であれば、どれが「く」でどれが「わ」、どれが「も」であるかを判別するコツをうまく生徒に伝えることができる。そういった努力の結果として、見かけ上は比率の問題が解けるようになり、見かけ上は小学5年生に比率の問題が理解できたことになる。そして、それを誰も疑わないから、相変わらず比率は5年生の配当から動かない。

 

けれど、決められた方式に決められたことをあてはめる能力でもって、数の大小を比較の中で把握する能力が代用できるのだろうか? それが代用できると主張することで、実は後者の能力の発達段階に合わせた成長が阻害されていないだろうか。そして、それがさらに成長し、大学生、社会人となったときのコンピテンスに影響することはないのだろうか。

これらはすべて憶測の領域だ。だが、憶測は実証的な研究の出発点になり得るのではないだろうか。そして、そのなかから何らかの実証的な知見が得られたら、あの「くもわ」に苦しむ小学生たちが、いくらか救われることになるのではないだろうか。

 

みたいなことを、こんな雑記ブログの片隅でボヤいてても仕方ないんだけどなあ。やれやれ。

なぜビジョンを語らないのか - それができれば苦労はないのだが

太陽光発電のことを書いたひとつ前のエントリがやたらとアクセスが集中して、ちょっと困惑している。確かに太陽光発電に関連するある領域は私の専門と言ってもいいのかもしれない。けれど、底の浅い専門だし、その他にもっと自分にとって重要なことはたくさんある。その一部はこのブログでも書いてきたし、思い入れもある。そういうのがあんまり注目もされず、過去の記憶を掘り起こして書いた記事が広く読まれる。ま、世の中なんてそんなものなのかもしれないが、なんだかなあと思ってしまう。

太陽光発電に関しては、それでもまだまだ言い足りないことがある。まず、そもそもなぜ太陽光発電が国家政策になったのかとか、そのあたりの歴史的経緯は、ちょっと調べればわかることなのに、あんまり話題にのぼらない。現代の人々にはどうでもいいことなのだろう。私のようにちょっと長いこと生きていると、やっぱりそこは無視できないことになる。

まず、太陽光発電、というか光電池の歴史だ。これは高校の物理でも習う光電効果がそもそもの発端だから、100年以上前に原理が発見されている。これが改良を重ね、最初に実用として用いられたのは人工衛星の電源としてだった。それにはそれなりの理由がある。

端的にいって、光電池は出力が小さい。電源としては実に弱々しい。けれど、光さえあればいつでもどこでも長期にわたって電圧を発生させる。送電線の接続や電池の定期的な交換などが不要である。つまり、そういうことが困難な場所で最もその価値を発揮する。地球を離れた人工衛星は端的にそういう場所だ。そして、人工衛星で用いられて以後、光電池は主にそういった場所で細々と活用されるようになった(たとえば光電池を搭載した電卓は1970年代初めに日本メーカーが世界に先駆けて開発している)。1970年頃までは、未来のエネルギーといえば原子力であり、太陽光の利用は太陽熱温水器のような熱利用とすべきだという考え方が主流だった(この太陽熱温水器の話は、実はそれはそれで非常に面白い歴史になるのだけれど、私はそれに詳しくないので興味のある方は他をあたってほしい。ただ、この少し後にくる太陽熱ブームの顛末は、実は太陽光発電の政策にそこそこの影響を与えている)。

そういった流れが急速に変化したのは、オイルショックだった。それまで化石燃料への依存を強めることで経済を高度成長させてきた日本が、ここにきてピンチに陥った。代替エネルギーという言葉が生まれたのはこの時代である。化石燃料はあてにならない。未来のエネルギーとなることが既定路線の原子力でさえ、安全保障上の理由でいつなんどきウランが止まっても不思議はない。資源小国の日本で自給できるエネルギーは何かということで、地熱や風力、太陽光が注目されることになった。通産省は1980年にはNEDO(新エネルギー総合開発機構)を設立し、新エネルギーの研究に資金を投入しはじめた。

政府の動きとともに、人々の意識も急速に変化した。「公害」が怪獣映画のテーマにさえなり、環境問題への意識が高まった。それは現代文明への批判ともなり、あるいは「もう人類はダメだ」という終末観にもなった。世界的にいっても、ベトナム戦争終結によって目標を失ったヒッピームーブメントの流れのいくつかは、反文明的、厭世的な思想へと向かった。そんな中、アメリカでは太陽光電池で電気を自給して暮らすエコなヒッピーたちが現れた。彼らは自動車用のバッテリに電気を貯めてそれでもって当時ようやく市場に出始めたばかりのパーソナルな計算機を操るような人々だった。もちろん日中には自家菜園でトマトなんかをつくるわけだ。大企業が支配する産業社会に背を向けても文明的な生活ができることを実証しようとする。こういう人々を俗に「12ボルト貴族」と呼んだそうだ(というような話は、はるか以前にどっかで読んだのだが、出典が不明。なので、風説に過ぎないかもしれない。ただ、時代の雰囲気は伝えているように思う)。

日本政府はそんな優雅で非現実的な思想とは無縁だった。当初、太陽光利用で最も成算があると考えられたのは、太陽熱発電だった。太陽光を集めることで高温の反射炉をつくることは既に19世紀に実用化されており、幕末期の日本でも実用に供されていた。この高温を利用して蒸気タービンを動かそうという発想だ。実際、これは現代でも受け継がれている技術であり、立地条件によってはソーラーパネルよりも発電コストが低くなるそうだ。日本では香川県の塩田跡に実証実験施設がつくられ、実際に発電も行われた。ただしバブルにさしかかろうとする日本では、発電コストがまるで割に合わなかった。なにしろ日本の土地を売ったらアメリカ全土が買えてしまうといわれた高地価の時代だ。人件費も安くない中で、火力発電のコストと勝負することはできなかったらしい。

1980年代には、地熱発電、波力発電、潮力発電、風力発電、太陽熱発電などの華やかな写真が中学校や高校の教科書にまで載るようになったのと裏腹に、「新エネルギー」の活用はさっぱり進まなかった。増えていったのは原子力発電で、「省エネ」への取り組みである程度は抑えられたとはいえ、石油への依存は増えこそすれ減りはしなかった。しかし、通産省の働きかけが完全に無駄だったのかといえばそうではないだろう。政策の力だけではないにせよ、この時期、日本メーカーは光電池の開発で世界のトップを走っていた。1980年代初期にフランスに設置されたソーラーパネルが2012年頃に調べたところでは世界で最も古い現役稼働中のパネルだったのだが、それは日本製だった。日本製のパネルが世界標準だった時代は、けっこう長く続いたらしい。

そういった安定したパネルの供給を受け、それを送電線に接続する技術が開発されていった。ここで注意してほしいのは、もともと光電池は送電線や電池交換が不要というのが最大のメリットだったということだ。アメリカの12ボルト貴族も、企業に支配された送電線網からの独立、すなわちオフグリッドに力点があっての太陽光発電だったといえるだろう。1979年のスリーマイル島の事故以後に特に環境派の間で評判が悪化した原子力発電は、大規模送電網の存在が前提になる。それを否定していくと、究極は分散型エネルギーになる。そして、当時「新エネルギー」とされていた自然エネルギーのほとんどは、分散型に適している。なかでも太陽光発電は最も手軽にオフグリッドの電源になり得る。実際、1990年頃に太陽光発電に興味を持った私の頭の中にあったのも分散型、オフグリッドの給電システムだ。秋葉原まで出かけてパネルの値段を調べ、何年で元がとれるかと計算したのも懐かしい思い出だ。もちろんこの計算は、電力会社との契約を破棄することを前提としている。自分が年間に支払う電気料金の何年分でパネルが何枚買えるのか。試算以上に進まなくてよかったと思う。電気に関する知識の浅い私が試行錯誤でシステムを組んでいたら、たぶん何らかの事故にはつながっていただろうから。

そんなオフグリッド派の考えと、系統接続の発想はまったく相容れないものだった。私はどちらかといえば分散型エネルギー原理主義者で系統接続なんて邪道だぐらいに思っていた。系統接続はすなわち広大な面積にソーラーパネルを配置するメガソーラーを想定するものであり、それは環境破壊につながる。そうではなく、未利用のスペースである自宅の屋根で自分が使う電気を自給するオフグリッドシステムこそが未来のあるべき姿だと考えていた。実は、根本的には私は未だにそう思っている。ただ、「系統接続は邪道」みたいな原理主義者的言説は捨てた。そのぐらいには現実はわかっているつもりだ。

なぜなら、系統接続が一般家庭に認められるようになり、補助金が出るようになって、ようやく「屋根の上にソーラーパネル」の一般住宅が現実のものになったからだ。それまでは、理想としてはそれは存在した。けれど、コスト面と実用的な運用面から、それは不可能だった。自然エネルギーに必ず発生する不安定さが、オフグリッドでは回避できない。回避しようと思えば不必要に大きいシステムと、何よりもしっかりした蓄電池が必要になる。それはコストをとてつもなく押し上げるだろう。だから、理念としては独立電源の家はあり得ても、現実にはあり得なかった(金満家のヒッピーが遊び半分で住む家ならばあり得たとしても)。ところが、系統接続によって、そういった困難が外された。余れば売ればいいし、足らなければ買えばいい。フレキシブルな設計が可能になった。補助金の助けもあって、アーリーアダプターたちが試行を始めてくれた。

この時期に太陽光発電を始めてくれた人々は、かなり経済的には「損」をした。巨額の補助金は出たが、それ以上に多くの投資をしなければならなかったからだ。だが、彼らの積み上げたデータがなければ、後のFiTによる太陽光発電推進政策はあり得なかっただろう。そういう意味で、進んで捨て石となってくれた彼らの投資は貴重なものだった。ちなみに、なぜそういう人々が儲かりもしない太陽光発電を進んで選んだのかといえば、それは個別に理由がちがうが、多くは純粋な興味関心であったり、あるいは社会貢献への意欲であったりしたようだ。「未来の子どもたちのために太陽光を」というのは、純粋に信じられるテーゼでもあった。

事実、オイルショック後に通産省が新エネルギーに対して大きく舵を切ったことには、国民的な合意があった。世論は「省エネ」と「新エネルギー」であり、だからこそ国会でも予算が通った。確かに通産省は強力な原発推進機関でもあったのだが、まったく同じスタンス(すなわちエネルギー自給率の向上)から、新エネルギーに対しても熱心だった。そして、官僚と部分的に一体化している与党自民党もそうだった。だから、誤解してはいけないのは、系統接続からFiTの導入までの太陽光発電推進政策は、自民党のもとに経産省が練り上げたものだということである。そして、その背景には、いつまでも石油依存は続けられないという国民的な共通認識があったことは絶対に忘れてはならないことだ。

 

と、こんなふうに、国家政策の推移を個人的な思い出に絡めて振り返ってみて、2009年以降の太陽光発電推進政策に何が欠けていたのか、あるいは何が誤解を呼んだのかと考えてみると、いろいろと見えてくる気がする。まず、政府はこの政策についてたいして広報をしなかったように思う。正確な情報を提供するよりも、マスコミの報道に任せた。そして、マスコミは両極端の報道しかしなかった。

ひとつの極端は、理念的な「代替エネルギーが未来を救う」的なものだ。そしてこれは、制度スタートから数年を経ずして起こった福島原発事故によってさらに増幅された。原発はダメだ。だからソーラーパワーだ、という論調だ。

そしてもう一つの極端は、あまりにもベタな「太陽光発電は儲かる」というものだった。制度スタート時点では、実はそれはかなり危うかった。スタート時点の試算では「10年では元はとれない」だった。だが、運用が始まり、設置コストの下落が始まると「だいじょうぶじゃないか」という見通しができはじめた。政策実行の末端にあった地方自治体の外郭団体なんかも、さかんに「元がとれる」「儲かる」という情報を発信し始めた。最初はおずおずと、やがて大胆に。補助金はまだまだ潤沢だったし、マスコミも報道するネタに困らなかっただろう。

さて、それがどういう帰結につながったのか。「未来は太陽光だ」という理念に走りすぎた論説は、どのような太陽光利用が未来の社会に最適かという議論をすっ飛ばして、「太陽光ならすべて善」というイメージをつくりあげてしまった。そんな中で、巨大資本がメガソーラーに乗り出してくる。両手を上げて誰もが賛成してしまう空気ができてしまっていた。だが、メガソーラーや、それ以上に中途半端なプチメガソーラーがどのような未来社会にフィットするのか、そういうことはすべてすっ飛ばされることになった。

フグリッド原理主義者の私でも、決してメガソーラーや50kW程度の小規模太陽光発電所を全面否定するものではない。ただ、そこには屋根の上の未利用空間を有効活用する家庭用太陽光発電とは異質なものがある。そこをもっときっちり詰めるべきだったのだと、いまになって思う。

そして、「太陽光は儲かる」式の論説は、逆に「儲からなければ太陽光発電なんて意味がない」的な空気をつくりだしてしまった。FiTの買取価格が下がらなかったのにも、こういうイメージが作用した部分が小さくないように思う。つまり、「儲かるから」と人々が選択する太陽光発電があまり儲からなくなったら「水をかけた」というようにとられてしまうのだ。買取価格の適正な操作を不可能にしたのは、こういうイメージではなかったのかと思う。

 

結局のところ、政府は率先して、どんな未来社会をつくっていきたいのか、その中で太陽光発電はどのような位置を占めるのか、それを実現するためにはどのようなコストが必要で、それをどうやってまかなっていくつもりなのかを、もっと真摯に語るべきだったのだ。だが、それが不可能なことも、よくわかる。

なぜなら、この時代にあって、理想を語ることはほとんど詐欺を働くことと同然になるからだ。かつて社会主義が信じられていた時代、その理想を語ることはある意味、真実であったのだろう。だが、善意が裏切られ、現実が牙を剥くことが明らかになってしまった歴史を経たいま、大きなビジョンを誰が語るだろう。政策単位にブレイクダウンしていける堅実なビジョンなど、誰が展開できるだろう。

そして、何の根拠もない「アメリカを偉大に」とか、なんとかミックスとか、スローガンだけが空中を飛び交う。あーあ、何という時代に生まれてしまったことか。といいながら、まあ、けっこうそれを楽しんでるのも私なんだけどね。

太陽光発電は終わったのか?

太陽光発電に関する政策を巡っては、当初から現在に至るまで、誤解が絶えない。そして、太陽光発電は、誤解をもとに持ち上げられたり批判されたりしてきている。太陽光発電そのものは持ち上げられるべきものでも批判されるべきものでもない。それに関する政策には、いろいろと批判されるべき点も多い。だが、現在多くの人が口にする批判の多くは、誤解にもとづいたものだ。だから、最大の批判はそれら多くの誤解が発生するに任せ、それを是正しようとしていなかった点にあるといってもいいのだが、それをいっちまったらもう何がなんだかわからなくなるだろう。ともかくも、正当な批判は、少なくともマスコミやその周辺に群がる一般のあいだにあまり見られない。そして、見当違いの批判が人口に膾炙する。

こういう状況を見て、いっぺんはこのブログでも太陽光発電をめぐる政策についてきっちり事実を確認し、その上で批判しておかねばならないと思っていた。思っていたけれど、なかなかできなかった。なぜなら、いったんそれをはじめたら長くなるし、めんどうくさいし、わずか1年だけ格安の給料をもらっただけの臨時仕事の総括をなんで何年もたってから無給でやらないかんねん、とアホらしくなるからでもある。そう、私はかつて(確か2012年のこと)、ある外郭団体の臨時職員として太陽光発電普及の末端で仕事をしていた。それはもう、単純に中高年にまともな時給がつくような仕事が他になかったからという情ない理由でしかなかったのだけれど、一応は専門職として、それなりのプライドをもって勉強もした。なので、政策がどういう考え方のもとにどういうことを目指したのかについては一般の人々よりは多少は詳しい。そういった政策が現場レベルでどのように運用され、それがどうねじ曲がっていったかは、この目で見ている。もちろん末端だし政策が実施されて以降の地方公共団体レベルでの採用だから、中央官庁で実際にどういう動きがあったのかとか、そんなことまでは知らない。現場で見たごく限られたこと以外には、法令やら解説書、一般新聞・雑誌記事レベルの、どこまでも一般向けの知識でしかない。けれど、そういうレベルの知識さえなしに批判する人々が、マスコミや知識人と言われる人々にさえ少なくないように見える。そうなると、やっぱりめんどうでも、まとめられるだけはまとめておかねばならないのだろう。とてもきっちりとはいかないのだけれど。

 

前置きが長くなった。まず、私が個人的に太陽光発電をめぐる政策で最も批判されるべきものを何だと考えているのかを明らかにしておこう。上記のように「人々を誤解させた」ことは特に罪深いのだが、これはマスコミの責任でもあるし、あえて誤解をしたいと願った人々の側の問題でもあるので、それに関しては話は別になるだろう(話せば長いよ)。政策として「ああ、ここは誤りだったなあ」とはっきりいえるのは、2点だ。

  • 本来は小規模分散型で設計された政策をメガソーラーに拡大し、さらに中途半端な発電設備を容認したこと。
  • 買取価格を早期に下げなかったこと。

これらに関しては、政策がおかしかった。本来の政策理念を政治家が理解していなかったのではないかと思う。固定価格買取と補助金の2本立てでスタートした太陽光発電普及政策は、本来の屋根の上の太陽光パネルに対する事業に徹していれば、もっと健全に進行したはずだ。だが、そこを話し始めると、それはそれで非常に長くなる。だから、少なくともこの記事では後者に絞って話を進める。前者は機会があれば別途書こう(そっちのほうが現場での実際の見聞が活かせるので話としては面白いのだけれど)。ということで、以下は、「政府は太陽光発電に対する金銭的なインセンティブをもっと早くに下げるべきだった(当然、もっと早くに制度をやめるべきだった)のになぜそれをやらなかったのか」という話になる。

 

まず、固定価格買取制度(フィードイン・タリフ:FiT)がどういう発想で生まれたのかということを明確にしておかねばならない。私がこの話を最初に聞いたのは確か1990年代半ばのことだった。「太陽光発電を劇的に普及させる方法がひとつあるんです」と、あるセミナーで紹介されていたのだが、それは「劇薬」とも表現され、また、「大多数の人々の理解が得られなければ無理でしょう」とも言われていた。その「理解」とは、すなわち、「太陽光発電を普及させることは未来の世代にとって良いことである」という共通認識のことだ。もしも多くの人々が太陽光を利用することが良いことであると考えるのであれば、最も合理的な方法はFiTである、というわけだ。

では、なぜFiTなのか。その時代、太陽光発電の普及を阻んでいた最大の要因は、設置コストの高さだった。だからそれを埋め合わせるための補助金も用意されていたのだが、補助金で埋め合わせてもなお、太陽光発電は割に合わなかった。割に合わない太陽光発電の設備をつけようという個人は、よっぽどのソーラーマニアでしかない。けれど、もしもこれが割が合うようになったら、多くの人々が自宅の屋根にソーラーパネルを載せるだろう。じゃあ、どうなったら割が合うようになるのか? それは、設置コストが下がることだ。たとえば、10年間で100万円の電気代を払う家庭があるとする。この家庭が太陽光発電設備を備えることで完全に電気を自給できるのなら(このとき既に系統接続はできるようになっていたので、売電分と買電分の差し引きゼロでかまわない)、設置コスト100万円なら10年でもとがとれる。その場合には、「じゃあ、11年目からは電気料金が無料になってお得じゃないか」と設置に前向きな人は増えるだろう。だから、何としても設置コストを下げねばならない。

資本主義の世の中では、価格は大量生産によって下がる。当時の太陽光発電で最も費用の大きな部分を占めていたのはソーラーパネルの価格だった。それが高止まりしているのは、量産効果が出ていないからだ。だとしたら、ソーラーパネルが大量に売れる状況をつくればいい。多くの人々が競って屋根の上にソーラーパネルを載せるような状況が出れば、必ず価格は下落する。

ここで、「卵が先か鶏が先か」の状況が生まれていることに有能な人が気づいたわけだ。普及のためには価格が下がらなければいけないし、価格が下がるためには爆発的な普及が必要になる。では、どちらかを人為的に起こしてやればいい。もしも太陽光の普及が国家レベルで追求すべき目的であるのなら、そこに税金を投入するのもありうるだろう。

ただし、補助金では効率が悪い。補助金は1990年代当時に既に存在したが、補助金だけでは元がとれない。そして補助金の額を増額して普及を目指すには、財源が足りない。しかし、もしも電気の買取価格を高めに設定し、差額を国が負担することにすれば、補助金の予算よりも遥かに低額で「元がとれる、割が合う」太陽光設備の設置が可能になる。なぜそうなるのかはかなり面倒な計算式があったはずなので、興味のある方は調べてもらえれば出てくるはず。同じ予算を使うのなら、補助金よりも買取価格保証だというのが、経済学者の算出した答えだった。

ただし、もしも固定買取価格を長期に維持したら、最終的には補助金を出すよりも政府支出は高額になる(政府が出さずに電気料金に上乗せという形にするのなら、最終的には消費者の負担が増加する)。だが、その心配はない。なぜなら、FiTを導入したら、メーカーはどう対応するか。当然、ソーラーパネルの需要拡大が見込めるから、増産態勢に入るだろう。増産によってソーラーパネルの価格は下落する。下落したら、それに合わせて固定買取価格を下げる。固定買取価格が下がっても設置コストが下がるので、消費者はやはりソーラーパネルを設置するだろう。そうすれば需要が続くから、さらに設置コストは下がる。下がった分だけまた固定買取価格を下げるということを継続的に繰り返していけば、最終的には固定価格による買い取りを廃止しても太陽光発電は設置したほうがお得だという状況が生まれるはずだ、というのが、FiTの筋書きだ。

 

つまり、FiTの導入にあたっては、設置コストのモニタリングを厳正に行い、その結果を素早く固定価格の変動に反映させていき、最終的に固定価格買取制度からの離脱を行うという微妙な舵取りが必要であると、これは制度導入前の経産省のレポートにも明記されていることだった。それをやらなかったらどうなるか? 価格が高止まりしたら、太陽光発電を設置した人々が不当に儲けることになり、それを補償する税金が無駄遣いということになる(結果的には税金ではなく電気料金への割増となった)。そういった不公平は、許されるものではないだろう。一方、低く設定しすぎたとしたら、設置へのインセンティブははたらかず、設置コストが下がらないままに推移し、制度からの離脱ができなくなる。それはそれでやはり税金の無駄遣いだろう(もちろん実際には電気料金の負担の増加に帰結する)。

だから、これは「劇薬」であり、「多数の人々の理解が得られなければ無理」な政策であるわけだ。そして、たとえ多くの人々の理解が得られても(実際、国会でこの制度が承認されたわけだから、その時点での理解はあったわけだ)、運用をほんの少し間違えるだけで大きな副作用に苦しんでしまう「劇薬」であるわけだ。だが、運用は、それほど難しいわけではない。設置コストの相場を算出し、それに機械的に合わせていけばいいだけだ。制度のスタート時点では、誰もが楽観していた。

 

さて、現実はどう推移したか。最初の数年でソーラーパネルの価格は急速に下落した。太陽光発電設置業者の数は雨後の筍のように増え、業者間の競争から工事費も下落し、制度開始前に比べれば設置コストは数年でほぼ半額にまで落ちた。これを受け、政府や自治体は、それぞれが用意していた設置時点での補助金を急速に縮小したり廃止したりした。補助金がなくなっても買取価格が保証されていたので、設置へのインセンティブは下がらなかった。新築一戸建てには太陽光発電装置がセットされるのが標準のひとつになった。すべては順調に見えた。

しかし、そこから設置コストは底を打ってしまった。ソーラーパネルの増産効果による価格下落が限界に近づいてきたからでもあるし、増産効果のないその他のコスト、施工費などが占める部分が相対的に大きくなってきたからでもある。現在、政府の調査では1kWあたり設置コストが30万円程度と見積もられている(実際には規模を上げ、いろいろ工夫することでもっと下げられるが、それはおいておく。あくまで平均的な見積)

しかし、じゃあ太陽光発電は割が合わないのかといえば、実は固定価格買取制度のもとでは元がとれるどころか、大儲けできる。現在の買取価格は1kWあたり24円であり、運用のしかたによって大きく異なるのだが、年間で1kWあたり7〜8万円4〜5万円ぐらいの儲けになる(「儲け」というのは、売電収入と自家消費による電気料金の低減分を合わせた漠然とした数字だからだ)。つまり、10年どころか4〜5年6〜7年で設置コストが回収でき、それ以後は継続的に儲かってしまう。(注:当初の計算がかなりズレていた! 現場からしばらく離れているうちに感覚が衰えていた! 「大儲け」まではいかない。少しの儲け。これも雑な計算なので、あくまで参考値

つまり、kWあたり30万円という設置コストは、実は固定価格保証を外してもかなりいいところに近づいている数字なのだ。いま、完全に制度から離脱するには、10年で計算するとまだまだ元がとれない。けれど、FiT導入から10年、これまでの実績からみると、太陽光発電設備の耐用年数は10年どころではないことが明らかになってきている。パワーコンディショナの交換などのメンテナンス費用はかかるが、20年、30年と使い続けられることがわかってきている。となると、それだけの年数で設置コストとメンテナンスコストの合計を割り算するつもりがあれば、実は既にkW30万円というのは合理的な人なら「新築するなら太陽光載せるのは当たり前じゃない」と判断できるだけの数字になっている、ということなのだ。

 

さて、そうなると、この度、経産省が制度からの離脱を検討し始めたというのは、遅きに失したと批判を受けても、「太陽光発電を見捨てるのか!」という批判にはまったく当たらないことがわかるだろう。

headlines.yahoo.co.jp

むしろ、遅すぎるのだ。もう5年も前にやめてもよかったし、その数年前に買取価格はいまの半額にしてもよかった。なのにそれをやらなかったから、「太陽光を設置できる金持ちをなぜ優遇しなきゃいけないんだ!」という批判にも晒されることになった。本来金持ち優遇ではなかったし、そうであってはならない。ちなみに私の家も2010年に太陽光発電設備を設置しているが、当初の計算では「10年では元がとれない」だった。幸いにいろいろなラッキーが重なってどうにかこうにか10年で設置費用ぐらいは回収できそうになったが、当初はむしろ、「未来の世代のために代替エネルギーを普及するのだから少しは負担をしよう」ぐらいの考えだった。本来はそれでいいのだ。

 

さて、ここからは現場から見た経験を踏まえての批判なのだが、では、なぜ買取価格を政府は下げられなかったのか、そして買取価格保証制度の廃止をもっと早期にできなかったのか、その理由だ。それは、一言でいってしまえば利権だろう。

太陽光関係の仕事をしていたとき、業者が暗い顔をしてはよく愚痴ったものだ。「来年は買取価格が下がるそうですね。政府はいったい、太陽光を普及したいのかどうか、私らにはわからんですよ。もっとやれと補助金を出してるからどんどん儲かるのかと思ってこの仕事を始めたら、ハシゴ外されるでしょう。私ら振り回されてばっかりですわ」。そんな感じの政治不信は、業界では普通だった。

私としては、「アホか」と言いたいのをぐっとこらえるのが精一杯だった。さいしょっから、政策は価格を下げていくと明言している。それを「これからは太陽光だ! 親方日の丸だ!」と誤解して過剰な投資をやったのはおまえらの不勉強だろうと、呆れるしかなかった。だが、そんなふうに思いながら事務仕事をしている脇で業者と話している担当者は、「いや、だいじょうぶですよ。これからの時代、太陽光に政府が力を入れることはもうまちがいないですから」みたいに根拠のない慰めをしていたのだ。それは、担当者自身がそう信じていたからにちがいない。つまり、不勉強だったのは、業者だけではない。役所の人間さえ、自分たちの親方が何を目論んでいるのかを知らなかったのだ。

 

だから、急速に伸びた太陽光業界が、「いまここで買取価格を下げられたら私らは潰れる、失業率が増加する、それでいいんですか」と政治に脅しをかけたら、政府としては業者のアホさなんて指摘するわけにもいかず、諾々と高価格を維持するしかなかったのだろう。また、行政の末端で太陽光発電の普及に当たる人々も、過剰なインセンティブがあったほうが仕事がしやすいので、買取価格が高値維持されることは歓迎だった。情ないのは、行政の人間が、「これだけ儲かるから」と業者の片棒をかつぐような広報をしていたことだ。むしろ、金銭的なインセンティブは市場に任せて、なぜ代替エネルギーが必要なのかとか、それをどのように実現したいのかとか、そういったことを広報すべきだっただろう。そして、FiT制度が正しく運用されるように世論を誘導すべきだったのだと思う。

長くなったが、書きたいことの半分にも届いていない。それでも、これだけでも現状の批判がどれほど的外れか、少しは想像してもらえるのではないかと思う。少なくとも、「政府が太陽光発電を見放した」みたいな捉え方や、「太陽光発電なんて元々おかしいんだ」みたいな考え方が思いっきり的外れだってことは、理解してもらえるんじゃなかろうか。

 

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追記:時間の隙間で書いたんで勘違いしてた。どうやら今回の話はメガソーラーが対象のようだ。ということで、私の批判点の第一の項目の方を書かねばならなかったようだ。やれやれ、また宿題が増えた。

畑ぐらい手伝えよ、の理想と現実

あまり自分とは関係のない増田(通称アノニマスダイアリー、いや、逆だ)記事に雑なコメントをつけたらそこそこに星がついた。雑なコメントをだったなあと思うけど、書き直すには長くなるので、こっちで追記みたいなことをしておこう。ま、元記事の趣旨とは全く関係ないのだけれどね。

anond.hatelabo.jp

49歳ひきこもり歴15年の男性ですが結婚は可能でしょうか?

畑ぐらい手伝えよ

2019/06/12 09:26

b.hatena.ne.jp

まず、このコメントに星がついたことそのものは、ちょっと嬉しい。というのは(承認欲求とかはおいておくとして)、私はかつて「自給的な農業こそが未来をつくる」みたいな思想をベースにした小さな雑誌の編集をやっていたこともあって、あまりに生産現場から離れた発想の言説が世間に多いことにいまだに危機感をもっているからだ。そんななか、「畑ぐらい手伝え」という田舎ならごくあたりまえの言葉に共感が得られたのは、心強い。まだまだ日本も捨てたもんじゃないな、と、おおげさかもしれないが、そのぐらいに思う。

その上で、畑を手伝うというのは、実はかなり難易度の高い行為だということをすっ飛ばしてしまっていた。これはいけないなあ、と思い直したわけだ。どういうことか。

まず、「畑」といってもそこで行われている実際は千差万別だということをことわっておかねばならない。10町歩を越える広大な北海道の畑から1坪ほどのキッチンガーデンまで、およそ野菜が育っていればそれはすべて畑と呼ばれる。大雑把にいっても生産物を出荷して販売する営業用の畑と、自家消費用の畑とでは、やることがまったくちがう。そして、田舎の方ではその中間的な畑、つまり、営業用といってもたいして儲かりはしないけれど、自家消費分もあるし、まあこのぐらいはつくっておくか的な畑も少なくない。そういうところにはそういうところなりのやり方がある。さらに、施設園芸や、集団的な管理が必要になる水田など、それぞれに特別な仕事がある。そして、規模や施設にかかわらず、農業はその主の考え方によって、やることが大きくちがう。

だから、一概に「手伝う」といっても、要求されることは同じではない。たとえば大規模な農場で「手伝う」といったら、それは単純作業に従事することになるケースが多い。季節によってやることはだいたい決まっている。朝から晩まで中腰になってポット苗の間引きをするとか、どこまでも続くトマトの列を支柱に固定していくとか、黙々と菜っ葉を束ねるとか、めんどうだけれど誰かがやらないといけない作業の人手になることが「手伝い」に要求されることになる。

一方、家庭菜園の延長のような畑では、ひとつひとつの作業は短時間で終わる。10本やそこらのキュウリに支柱を立てるのも、5メートルぐらいでしかない大根の畝にトンネルをかけるのも、それだけなら1時間もかからないだろう。だが、自給的な菜園には、無限に多種類の作業がある。そういった場に「手伝い」に入ると、次から次へと仕事を言いつけられることになる。「それが終わったら次はあれ、あれが終わったら次はこれをやっといて」みたいな感じだ。そして、指示はあまり具体的にならない。なぜなら、1種類の作業を1日やるんならインストラクションに数十分をかけても割は合うが、何種類モノ作業の一つ一つに細かな説明をするくらいなら、「ええい、自分でやったほうが早いわ!」ということになるからだ。

で、どちらの場合も、「手伝う」側には相当なストレスがたまる。大規模農園の場合にはキツイ仕事をあまり儲からない事業のためにやることになるので、「なんでこんなことせないかんねん!」という感覚が生まれてしまう。よっぽど好きでもなければバカバカしくなってしまう。自給的な畑の場合だと、「指示がいい加減だ」「こっちは良かれと思って手伝ってるのに文句ばっかり言われる」という不満が蓄積する。もちろんそれ以外にも畑の主とのあいだではさまざまな軋轢が発生する。家族農業であれば、そこには家族内の人間関係も絡んできて、けっこうたいへんなことになったりもする。

 

畑は、共同でやるとうまくいかない。細かなところに好みや性格が反映されるため、衝突が起こりがちだからだ。家族で畑をつくっている場合でも、だれの畑なのかを決めておいたほうがうまくいく。営業的な農園の場合は従来の家父長制の中で当主が管理権を握り、家族はそれに従うことが多かった。それはそれでかなり問題だ。1970年代以降には従来の家長に相当する人々が稼ぎ仕事に出てしまうので、主婦や隠居世代に管理権が移るようなことも普通になった。一方、自給的な畑はたいてい一家の主婦が管理権をもっていて、男は立ち入らないのが古くから普通だったようだ。そういった管理権のない畑で、成人男性が気兼ねなく「手伝う」方法が、農村にはひとつある。それは、農業機械を使うことだ。女性や高齢者が苦手とする(と決めつけて)トラクターのような農業機械でもってたまに作業をすることだ。鼻歌交じりにエンジン音を響かせたあと「きれいにしといたったで」みたいに言い捨てるのは、農村男性にとってストレスのたまらないいいリクリエーションであったようだ。だが、いまの農村では、そういうふうにやってきた担い手がそのまま高齢者になっているので、若い(多くの農村では60歳でもまだ若手に分類される)男性には、そういうおいしい「手伝い」の余地も残されていない。

 

ということで、「畑を手伝う」というのは、口でいうほど簡単ではない。忍耐力とコミュニケーション能力が要求される高度な技である。畑仕事が好きでも、それに耐えられずにあえて畑は手伝わないという人はザラにいる。そういう人が畑に立てるようにするには、畑を分割して自分専用の畑を用意するしかない。だが、自給的な畑ではそれは使いみちのない野菜を生み出すだけだし(なぜならすでに主婦は自分の畑を確保しているのだから)、それで農業収入をと思っても雀の涙程度の現金にしかならない。

なかなかに畑仕事へのハードルが高いのが、日本の農村の現実らしい。そういうことを抜きにすれば、種をまいて野菜を育てることは楽しみでしかないのだけれどなあ。

機械の文章がむしろ標準となる時代に向けて

以前、機械翻訳の進化について翻訳者として感じることを記事に書いた。実のところ、この記事以前にも何度もあちこちで書いていることではある。時代が進むにつれて、アップデート的に書いているわけだ。

mazmot.hatenablog.com

そしてまた少し変化があったらしく、アップデートしておこうと思う。変化というのは、上記記事で取り上げたみらい翻訳がまた能力をあげたらしい。こんな記事に大量のブクマがついていたので気がついた。

forest.watch.impress.co.jp

細かい話はともかく、前回記事と同じ文章をこのエンジンで翻訳してみよう。まず原文は私のブログから、

上記の記事にあるように、多くの砲弾は戦場から帰還した軍人が記念として持ち帰り、奉納したものだろう。だが、平和な時代を数十年過ごし、神信心とも縁遠くなってしまった私達の感覚では、それでも「なぜ?」という疑問は晴らせない。たとえば、いかに元軍人とはいえ、武器をそう簡単に持ち出せるものでないことは明らかだ。一発何億円もするミサイルほどではないにせよ、砲弾はそれなりの有価物だ。演習での使用済み品や不良品その他の理由で不要とされたものであったとしても、下げ渡しにはおそらく相当に面倒な手続きが必要だっただろう。

そして、翻訳結果。

As mentioned above, many shells may have been brought back and dedicated by soldiers who returned from the battlefield as memorials. However, as we have lived in peaceful times for 10 years and have become estranged from divine piety, we cannot dispel the question of "Why?". It is clear, for example, that no former soldier can bring up a weapon so easily. Although not as expensive as a missile costing hundreds of millions of yen, artillery shells are a valuable asset. Even if it had been used in the practice, defective, or otherwise unneeded, it would probably have required a rather cumbersome process to deliver it.

うん。たしかに以前のバージョンよりは良くなっている。もちろん、不適切な訳語選択はみられる。「持ち出す」を文字通りにとれずに「取り上げる」「話題に出す」意味でbring upと訳したり、「下げ渡し」が「配達」の意味で訳されていたりと、まあそのままでは「誤訳」とされてしまうだろう。後半の文脈を見失っているのも、旧バージョン同様だ。

だが、考えようによっては、これは役に立つ。というのも、こうやって英文にすることで「ああ、この単語は理解しにくいのだなあ」とか「ああ、この構文はちょっとこみいってしまったのかなあ」ということが発見できるからだ。ネイティブ話者である日本人が日本語を書くときには、あまり構文を理論的に考えない。結果として、日本人にとっても解釈しにくい文章、いわゆる悪文を書いてしまうことにもなる。そういうことに気づかせてくれるレベルにまでは、このエンジンは進化している。

 

そして思う。「正しい日本語」は、これから機械が書く手本が標準になっていくのではないかと。なぜならそれは理論から決してはみ出さないからだ。AIがもう少し進化すれば、文脈がおかしいかどうかの判定もできるようになるだろう。そうなると、自分が正しい日本語を書いているかどうかのチェックを機械で行うことができる。

実際、英文ライティングでは、そういったWebサービスが存在する。これはけっこう役に立つ。

www.grammarly.com

そういうサービスが日本語でも遠からず標準になるだろう。そして、元編集者としての立場から言わせてもらえれば、これは非常に歓迎すべきことだ。悪文は編集の敵だ。そこをなんとかしてくれるだけで、どれだけ書籍編集は楽になることか。

 

しかし、その先に、より大きな難問が待ち構えている。いったい、機械に補助されて書く文章の、どこまでが自分なのだろうか。言葉とは、文章とは、そしてそれによって組み立てられる思考や、そこに表現される思想とは、いったい自分にとって何なのだろうか。

それは、いくらAIが進歩しても解決できない問題なのだろうな。なに、人間のやることは、どこまでいっても尽きることがない。

学校の始業時間を遅らせることは、少なくとも子どもたちにとっては益が大きい、らしい

不登校の話が出る度に関連の話題として自ブログのリンクを貼っていたら、けっこうアクセスがあった。この記事だ。

mazmot.hatenablog.com

上記の記事では不登校の無視できない部分を占める起立性調節障害に関してサマータイムが悪影響を与えるだろうということ、そして何だったら逆に始業時間を遅くしたほうがいい、というようなことを書いた。その根拠となる論文も引用した。ただ、この記事はけっこう勢いでサッと書き上げたものだったので、とりあえず検索してたまたま出てきた関連ありそうなやつを引っぱってきたに過ぎなかった。言い換えれば、その関連では思春期の睡眠パターンがプレ思春期のそれとも大人時代のそれとも大きく異なっているということが常識だということでもあったわけだ。たまたま拾ったもので事足りるほどなのだからね。

そして、引用しそこねたのが、

アメリカでは登校時刻を通常よりも1〜2時間遅らせることで全体の成績が向上したという研究結果もあるらしい。

という部分に該当する研究だ。引用しようにも、聞きかじりで詳しい情報を覚えていなかったので、検索する手掛かりがなかった。もちろん時間をかければなにか出てきたかもしれないが、根性がその前に尽きた。いい加減なものだ。

ところが、それでもブログを書くことに意味はある。なぜなら、ブコメで情報元を教えてくれる人が現れたからだ。id:natu3kan さんにご教示いただいた記事はこれ。

natgeo.nikkeibp.co.jp

そうそう、この記事を以前、生徒の起立性調節障害について調べていたときに読んでいたんだった。この記事の上記リンクに続くページによれば、

この試みは、米国ロードアイランドの私立校に通学している9-12年生(日本の中学3~高校3年生に相当)を対象に行われた。2カ月間にわたって始業時間をそれまでの午前8時から8時半へと30分遅くしたのだ。親の同意が得られた201名の学生が試験に参加している。

 その結果、参加した学生の睡眠時間は試験前の平均7時間7分から7時間52分へと45分長くなり、授業中の眠気が顕著に減り、集中力が上がるようになったのだ。

ということで、明らかに子どもたちにとって良好な結果が得られている。ちなみに、この情報をもとに検索してみると、もとになった研究はおそらく1995年のこの論文(Early school schedules modify adolescent sleepiness)だろう。その原文は見つけられなかったが、同じ研究チームによってたとえばこのあたりの研究(Adolescent Sleep Patterns, Circadian Timing, and Sleepiness at a Transition to Early School Days)があるなど、継続的に研究は続いてきたらしい。上記引用によれば最近の話のようだが、実はもう20年以上も前から知られていたことになる。

ただ、上記引用を読んで「そりゃあ、始業時間が遅くなったら最初のうちは睡眠時間が伸びるだろう。けど、そのうち寝る時間も遅くなって、結局は同じなんじゃない?」というツッコミが入ることは十分に予想される。実際、前のブログについたブコメの中にも、睡眠サイクルは習慣であって、既日リズムとは関係ないのだという立場に立ったものあった。しかし、実際にはそうではない。それは研究によって実証されている。

たとえば、2002年のこの研究だ。

Changing Times: Findings From the First Longitudinal Study of Later High School Start Times

これは、ミネアポリスのハイスクール(日本の中学から高校に概ね相当)で始業時刻を7時15分から8時40分に遅らせてから数年間の結果を調査したものである。生徒の平均的なウィークデイの睡眠時間は約1時間伸びた。ここで特筆すべきなのは、その1時間の増加が始業時刻の変更後4年たっても継続していたということだ。つまり、「起きるのが遅くなっても寝るのが遅くなるだけじゃないか」という仮説は、完全に否定されている。

そして、この論文でも、あるいは同時期のこちらの論文:

Assocciation of Sleep and Academic Performance

あるいは、少し遅れてこちらの論文:

School Start Time and Its Impact on Learning and Behavior

さらには、最近の:

Impact of Delaying School Start Time on Adolescent Sleep, Mood, and Behavior

や:

Later School Start Time Is Associated with Improved Sleep and Daytime Functioning in Adolescents

などに至るまで、一貫して、出席率の向上、交通事故の減少、うつの軽減、幸福感の増加、学力向上などの好影響が報告されていることは重要だ(ま、「学力」に関しては、そんなものきちんと測定できるのかよ、と私は思っているわけだが)。

これらは主にアメリカ合衆国での研究になるわけだが、文化がちがうと始業時刻の変更の影響は多少異なってくるらしい。合衆国とオーストラリアの比較の研究もあった。

A Cross-Cultural Comparison Of Sleep Duration Between U.S. And Australian Adolescents: The Effect Of School Start Time, Parent-Set Bedtimes, And Extra-Curricular Load

このように、学校の始業時刻を遅らせる効果についての研究は、少なくとも過去20年以上にわたって連綿と続いてきている。では、それらの蓄積にもかかわらず、なぜ大部分の学校の始業時刻は変わらないのだろうか。

それに関しては上記の論文内でもいろいろと検討がなされている。結局のところ、学校の始業時刻は決して生徒のためだけではなく、さまざまな社会的な都合で決められている、というのが合衆国での状況らしい。なあんだ、日本と同じじゃないか。

ただ、それにしても、日本の場合は特に周辺からの圧力が強いように思う。それにはいくつかの種類がある。ひとつは、以前にも書いたが、子どもにはさっさと学校に行ってもらいたいという親の都合だ。できることなら仕事に行く前に子どもを学校に送り出して安心して働きたい。だが、これに関しては、現実に子どもよりも早い時刻に仕事に出かけなければならない親も少なくないことを思えば、やってみれば案外と問題がないのかもしれない。

それ以上に強いのは、おそらく、「勤勉」に対する信仰に近い思い込みだろう。クラブの朝練習をやったから体格が向上するわけでもないし、早朝から詰め込み勉強をやったからといって一時的なカンフル剤程度の成績向上以上のことは見込めない。けれど、「がんばっている」という姿を見せれば、たとえ効果はなくとも誰もが納得する。そういう奇妙な風潮が、この日本を覆って長い。

それは確かに競争に負ける弱者を救済する効果はあるのかもしれない。「結果は出なかったけど頑張ったからエライ」というのは、結果を出せなかった私のような出来の悪い生徒にとっては救いにもなった。だが、それが度をすぎれば、「結果を出さなくても頑張ればOK」という感覚に行き着く。そして、それは生産性にほとんど影響しない儀式的な仕事を繰り返す多くのオフィスワークにもつながってしまう。

科学でガチガチに詰めていくのは好きではないが、少なくともみんなが幸せになることが科学的に明らかになっているとき、それを無視するのはやっぱりちがうんじゃないかと思う。「がんばり」を評価するのはひとつの知恵であったかもしれないが、知恵はアップデートしてこそ本当の知恵になる。そろそろ、学校の始業時刻を少し繰り下げてはどうなのかなあと、改めて思う。

 

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ちなみに、上記の論文、大半はちゃんと読んでない。全部リンクを貼ったのは、そのうちきちんと読もうというメモとして、だ。なあんだ、科学だエビデンスだといっても、読んでなきゃしかたないじゃないかと、自分にツッコんでおく。