学校はなんのために? - 不登校をめぐる見落とされがちな事情

学校は教育のため?

私は学校行かなくてもいいじゃない(いろんな意味で) と思っている。というのも、自分自身が高校時代にはほぼ完全に授業から精神的にエスケープしていたし(早い話が体育以外はほぼ完全に居眠りしてた)、自分の息子(中3)も天下に隠れのない不登校生だからだ。これで不登校をけしからんみたいなことを言ったら、矛盾に身がよじれて立ってさえいられないだろう。

とはいえ、子どもが生まれるまで、というよりも子どもが生まれてからだってしばらくは、そういうことを考えたことはなかった。目の前の子育てで目いっぱいで、将来この子が学校に行くとか、その学校がどういうところだとか、そういうことを考える余裕はなかった。けれど妻はちがった。彼女は彼女で、相当に学校に恨みがあったらしい。そういう場所に自分の息子を行かせることに抵抗があったようだ。そして、息子が3歳になってしばらくして、「学校をどうする?」という相談を持ちかけてきた。その日から、勉強の日々がはじまった。

類は友を呼ぶというのか、私の友人・知人には、けっこう不登校の子どもを育てているひと、オルタナティヴな教育を模索しているひとがいた。そういう人々に会って話を聞き、またいろんな本を読んで情報を仕入れた。フリースクールのようなところに見学にも行った。不登校であっても、オルタナティヴな学校やホームスクーリングなど、さまざまな選択肢があるのだということも知った。

そういう予備知識があった中で、最終的に息子をふつうの公立小学校に進学させようと決めたのは、まず第一には、子どもたち同士の関係性を重視したからだ。ホームスクーリングでは友だち関係が築けない。特別な学校に進めばそこでの友だちはできるだろうが、保育園を通じてせっかく数多くできた地元の友だちとは疎遠になる。たまたま素晴らしい保育園に通うことができたという事情が大きいのだけれど、そこでできた子ども同士の関係を尊重したいと思った。学校制度の意味は、そこで教えられている教科内容よりもむしろそこで培われる社会性にあるのではないかと、そんなふうに考えたわけだ。

ただ、これは理由の第一であるにしてもすべてではない。当初は自分でも意識していなかった。けれど、小学生の息子が保育園よりも早い時間に帰宅するようになって、改めて気づいた。親にとって、学校制度が何よりもありがたいのはその託児機能なのだと。

実際、働く女性にとっては、保育園から小学校に進む時期がいちばんのピンチなのだそうだ。それは同じ保育園から進学した子どもたちの家の人々と話していて実感した。私は結婚以後は(2年間を除き)ずっと自営業なので少々の無理は効く。たとえば学童保育からの下校のお迎えに出るとか(最初の1ヶ月はそうした)、PTAのクラス委員を引き受けるとか、仕事に差し支えないように実行することができた。けれど、ふつうに定時勤務が入っている保護者にそれはできない。特に恐怖は夏休みだ。ある程度は学童保育がカバーしてくれるとはいえ、完全ではない。6歳の子どもを家に放りっぱなしで職場にはりつかなければいけないプレッシャーに耐えかねて離職する人だっている。

私のような自営業でさえ、影響を受けないわけにはいかない。保育園は自営業でも就業と認めてくれるのだけれど、学童保育は自宅にいるかどうかが判断基準になるらしい。こっちはそんなことは知らないので当然のように利用していたのだが、ある日、それを理由に学童保育から追い出されることになった。長期休暇中、子どもが仕事場兼用の自宅にいたのでは、とても仕事にならない。「早く新学期が始まらないかなあ」と祈るようになって、ようやく気がついた。特に小学校低学年のあいだ、親にとって学校がありがたいのは何よりもその託児機能なのだと。

若衆宿と学校と

小学校も高学年までくれば安心だ。鍵を預けて留守番させることもできるし、なんなら食事を用意しておいて「6時を過ぎたら自分で食べておいて」みたいなことを言うこともできる。その頃から私の自営業も、以前からのデスクに縛り付けの翻訳業に、外回りの家庭教師が加わってのダブルワークになった。息子が休みのとき、仕事場の邪魔になるようなら「ちょっと外に遊びに行ってくれ」と追い出すこともできるようになったし、不在にするときには鍵っ子としてあとを任せることもできるようになった。そうなってくると、学校の託児機能の重要性は薄れてくる。

その一方で、託児機能とはややニュアンスがちがう「安全な居場所」としての学校がありがたくなってくる。小学校の4年生から5年生ぐらいの時期は、発達上、探検期なのだそうだ。自分の知らない場所をどんどん探検して回る。それができるだけの体力と知恵がついてきてるからそういう時期がくるのだとはいえ、親としてはやっぱり不安になる。放っておいたらどこまで行くかわからない。そんなときに、学校に行っている時間だけはふらふら遠出をしているはずがないという安心がある。

さらに、小学校6年生ぐらいから思春期に入る。ここから高校1年ぐらいまでのあいだの時期は、親子関係が大きく変わる。衝突が起こるのはふつうだ。そういう時期に、毎日決まった学校に行ってくれるのは本当にありがたい。家庭という社会単位と学校という社会単位のあいだを往復することで、子どもも親も正気を取り戻す。学校には、そういう役割もある。

息子は中学1年生のときに学校のやり方に腹を立ててフリースクールへと逃げこみ、身分的には不登校生になったのだが、多くの不登校生とちがって人間関係で学校に行けなくなったのではなかった。だから、フリースクールへは皆勤賞もので通っていた。ところが昨年のある時期、そんな息子にも人間関係の悩みができて、フリースクール不登校になるという二重の不登校生になってしまった1ヶ月余の期間が訪れた。このとき、既に身長が大人サイズになってきたいい若い者が自宅にゴロゴロしているのは、はっきりいって親である私にとっても鬱陶しかった。そして、本人も鬱陶しかったのだろう。耐えられなくなって再びフリースクールに行くようになった。「居場所」というものがこの年代の人々にとってそれほどまでに重要なのだということを、私は教えられた。

地方によってちがうが、思春期から思春期後期ぐらいの若者は、かつて若衆宿とか若者組と呼ばれる社会集団を形成していたそうだ。つまり、家庭の外側に居場所をつくっていたわけである。面倒だから、Wikipedia。ほんとは一次資料にあたりましょうね。

若者組 - Wikipedia

青年団 - Wikipedia

託児所としての機能が不要になってからも、思春期前期ぐらいまでは親は安心のために託児機能的な意味で学校を必要とする。それが一段落したら今度は、子離れのためにやはり学校を必要とするのだと思う。おそらくかつての農村では若者組や青年団がその役割を果たしていたのだろう。現代では中学から高校にかけての学校制度がその役割を担っているのではないだろうか。

不登校生への圧力は親の都合

学校は勉学の場であり、あるいは社会関係を学ぶ場である。不登校の問題は、通常、そういった文脈で語られる。不登校になれば教育機会が奪われるわけだから、その分の補習をしましょうというような話は前者、居場所をつくりましょうというような話は後者の考え方から出てくる。そして学校や教育委員会の公的な立場はあくまで「学校への復帰のために」であるのだけれど(少なくとも法制度上はそうなっているのだけれど)、それも上記の2つの学校の存在意義から説明されている。

けれど、実際には学校なんてたいしたことを教えていない。これは家庭教師のプライドにかけて断言する。本当に教科指導の内容だけを知識・技能として身につけるためだけなら、6年間の授業を半年に圧縮しても十分に足りる。さらに、社会関係を学ぶはずの場でいびつな社会関係に苦しむぐらいなら、むしろそれは有害であるとさえいえる。だから、勉学のためにも社会的成長のためにも、必ずしも学校は最適であるとは言い切れない。他の選択肢もあってかまわない。いろんな可能性を探ってみたらいいと思う。

しかし、親にとっての学校の存在意義は、実はそれだけではない。ホンネで包み隠さずにいえば、親としては子どもが学校に行ってくれるのがラクなのだ。自分自身が学校に対して疑問符をつけている私のようなひねくれ者でさえ、親としては息子にふつうに学校に行ってほしい。そうすることで、余分なトラブルを避けることができる。余分なことにエネルギーを奪われずに済む。キレイ事を抜いてしまえば、子どもは託児所に放り込みたいし、反抗的な若者はまとめてどっかで集まっていてほしい。

 

おそらく、不登校問題をややこしくしているひとつの要因は、実はこの親の都合なのだろうと思う。Webと端末の発達したこの時代、自学自習にはなんの問題もない。不登校生を特別視する風潮さえどうにかすれば、学校に行かなくても社会性を育んでいくことは十分に可能だ。だが、それでは親は困る。そのぐらいに、学校制度は社会・経済の現状と深く結びついている。しかし、子どもの問題を語るときに、そこがポイントとして議論されることはあまりないように思う。

私自身は、学校制度に懐疑的だ。自分が教育を受ける子どもだったら、もっと別な枠組みで多くのことを学びたいと思うだろう。だが、親の立場に立つとそれは急変する。考えてみれば「入学おめでとう」というあの言葉、「もうすぐ一年生だね」「中学は何部に入るの?」というようなわくわくするようなあの言葉たちも、ひょっとしたら親としての自分の無意識の策略の一部だったのかもしれない。人間の二重性のなんとも不可思議なことよ。

あーあ、だから大人はイヤだ。

 

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追記:なぜだかこの記事、Googleからのアクセスが多い。なんでだろうと思ったのだが、どうやらこの新年度直前の時期、「学校 なんのため」みたいな検索語でサーチしているひとが多いらしい。なるほどね。

だったら、この記事はご期待に添えなかったと思う。もしもそういうことなら、このブログのこっちの記事のほうが多分、多少は役に立つんじゃないかな? よかったらそっちに行って。

mazmot.hatenablog.com

「教育勅語を教材に」は、もちろんあり得る

私の祖母はもうずいぶん前にこの世を去っているのだが、私をずいぶんとかわいがってくれた。その祖母が小学生だったか中学生だったかの私に向かって話してくれた言葉を思い出す。

「じゅんちゃん、なんでも覚えといたらええんやで。覚えて悪いことは泥棒だけや。覚えといたらきっと役に立つ」

その当時から雑多な知識ばかりでちっとも系統だった勉強をしなかった私にとって、この言葉はずいぶんと救いになった。まあ、そのせいでこの歳になるまで人生の裏街道を歩み続ける結果になったといえばそうなのかもしれないが、それはそれでずいぶんとおもしろいことでもあったから、恨み言は言わない。

泥棒のことはさすがに学ばなかったが、実際、私はずいぶんといろんなことを学んできた。違法ではなくてもどうにも怪しいような文書の辻褄の合わせ方とか、そんなこともいくつかの職場で経験した。その一方で、高邁な思想や思慮深い分析、学術的に価値のある講演なんかも聞いてきた。それらは全て、私の役に立っている。

ただ、脱法行為が私を犯罪者にしなかったのと同様、価値ある思想や知恵が私を賢者にすることもなかった。しょせん、外部からのインプットは素材でしかない。それをどんなふうに血肉に変えていくのかは、本人の器量だ。あるいは、器量をつくっていく教育というものだ。

 

だから、教育のための素材、つまり「教材」には、あらゆるものがなり得る。厳選されたベストのものだけが教材に適しているという考えは、ちょっとおかしい。小学生が平仮名の練習をするときにはきれいなお手本が必要かもしれないが、同時に下手くそな見本もあれば、それを回避するためにどうすればいいのかを教えることもできる。モノは使いようであって、モノそのものが問題ということは、ふつうはない。

なぜこんな話をはじめたかというと、少し前、文部大臣の「教育勅語を授業に活用することは、適切な配慮の下であれば問題ないと思います」という発言が話題になっていたからだ。そりゃ、問題ないと思うよ。実際、歴史の授業では(そこまで突っ込んでやる時間があるかどうかはわからないけれど)教育勅語の原文を生徒に読ませるぐらいのことはやってもいいと思う。ただし、どうもこのときのやり取りは、そういうことではなかったようだ。

松野博一文部科学大臣記者会見録(平成29年3月14日):文部科学省

このやり取り、非常に興味深い。というのは、官僚的なソツのない回答と、どうみてもこのひとの個人的なデキが表に出てしまっているだろうっていう「おいおい、待てよ」的な回答が入り混じっているからだ。

たとえば、

教育勅語は、日本国憲法及び教育基本法の制定等をもって、法制上の効力を喪失しております。文部科学省としては、学校現場において教育勅語を活用することとした場合には、憲法教育基本法等に反しないような適切な配慮が必要であると考えております。

とか

まず教育勅語を、先ほど申し上げたとおり、憲法教育基本法に反しないように配慮をもって授業に活用するということは、これは一義的にはその学校の教育方針、教育内容に関するものでありますし、また、教師の皆さんに一定の裁量が認められるのは当然であろうかと思います。

とか

文部科学省としては、これも繰り返しになって恐縮でありますが、憲法教育基本法に反しないような配慮があって、教材として教育勅語を用いることは、そのことをもって問題とはしないという見解です。

とかの部分は、ご立派というか、そこだけ読めばまずは文句のつけようのない法治主義的な発言だろう。法律に違反しないように使うとか、法律の制限内での自由を認めるとか、よくわかってるよと思わせてくれる。ところがどっこい、

これは政治事項に関する中立等の話もありますし、まず何よりも憲法で規定されている精神でありますから、教育基本法の内容等に反する部分に関しての指導方法ということであろうかと思います。しかし、具体的には、私も繰り返しお話させていただいておりますけれども、個々の事案がそれに該当するかどうかは、所轄庁によって判断、指導されるものだと考えております。

というあたり、「おや?」と思わせてくれる。つまり、このひとは、教育基本法教育勅語を対立的に考えているわけだ。そう思ってみると、「憲法教育基本法に反しないように…活用する」ということが、別の意味で言ってるのではないかという気がしてくる。

つまり、現行の法体系に則って教育現場で「教育勅語を活用する」という意味は、あくまでそれを教材として利用するということでしかない。この場合の「教材」の意味は、「過去にこのような文書が用いられていた」という事実を伝えるものである。そういう意味では、非常に重要な教材だ。そして、そのような扱いをする限り、教育勅語の内容が教育基本法に反していようがいまいが、それは何ら問題ではない。

ところがそれをわざわざ問題であると認識しているということは、つまり、「教育勅語の活用」が、教育基本法を代替・補完するようなものとしてイメージされていることをあらわしているにちがいない。そう思って見直すと、先ほどの「一義的にはその学校の教育方針、教育内容に関するものでありますし、また、教師の皆さんに一定の裁量が認められ」のあたりも、ずいぶん怪しいものであるように見えてくる。つまり、教育の枠組みをつくるものとして法律以外の文書を「活用」することを認めているように読めてくる。これは、法治国家としてはちょっとあり得ないことではないだろうか。

そう思って読むと、

先ほど申し上げましたとおり、教育勅語を授業に活用することは、適切な配慮の下であれば問題ないと思います。それは一般論から言って、その活用の仕方、これはもう教師の教え方の問題であると思いますし、それは積極的に評価する、消極的に評価する、その項目によってそれぞれ違うものであろうかと思いますので、個々どれをもっていい、どれをもって悪いということは言及しませんが、いずれにせよ、その教えている内容が憲法教育基本法に反するということであれば、それは所轄庁の中で適切な指導がなされるものと考えております。

 

というあたり、まっすぐ読めばどうにも意味不明なのだけれど、これはもう、「教育勅語の内容を項目によっては指導方針の枠組みを形成するために使ってもよい」と言っているように受け取れる。それはもう、ダメダメだろう。なんとなれば、学校教員は、教員としての専門技能や見識以外には、ただただ法令によってのみ縛られる。教育関係の法体系は憲法に発して教育基本法、学校教育法、学校教育法施行規則と降りてきて最終的に学習指導要領となって現場に徹底される。だから、教員は専門知識の他には学習指導要領以外に自分を縛るものを持ってはならない。それ以外のもの、特に廃止された法令でもって教員を縛るのは、それはもう法治主義ではない。すなわち、上級法である憲法違反ということになってしまう。

 

ここで重要になるのが、教員を縛るもうひとつの規範、専門知識だ。「知識」と書いたが、すなわちこれは教員としての素養ということだ。いったい教員にはどのような素養が求められているのか。

これは実は、やはり現行の法体系にあらわされている。指導要領を読んでいると、現代の教育は基本的には科学的であるよう求められていることがわかる。これは、自然科学領域だけでなく、社会科学領域についても強調されている。

そして、科学的な態度の根本は批判精神だ。与えられたものをそのまま受け取るのではなく、批判し、検証し、確信が持てるまで熟慮したうえで受け入れるのが科学的な精神だ。指導要領は、あらゆる教材に対して学習者がそのような態度で臨むよう求めているのだと読み取ることができる。教員の素養とはそれを支援するため、自らも科学的な態度であらゆる教材に接することだ。

つまり、それが教育勅語であれ何であれ、まずは批判が先行しなければ科学的な態度ではない。そして、教育勅語を部分的にであれ全体であれ何らかの規範として受け入れるということは、その段階で科学的とは言いかねるだろう。なぜなら、教育勅語はその本質として一切の批判を受け付けないからだ。批判し、検証された段階で、勅語勅語でなくなる。君主の言葉とはそういうものだろう。

 

では、憲法教育基本法、さらには学習指導要領はどうなのか。現行の法体系は、無批判に受け入れるべきなのだろうか。私はそうは思わないし、実際、自分自身が家庭教師として生徒に教える際にはそうはしていないつもりだ。

生徒によって一律ではないのだけれど、たいていの中高生に(場合によっては小学6年生でも)私はまず指導要領を教える。そのために数学と英語の指導要領は常にカバンの中に持ち歩いている。そして、「こういう目的のためにこれからこういうことをすることになる」と、教科のあらましを説明する。ふしぎなことに、学校ではこういうことをしてくれない。だから家庭教師がやるしかない。

その説明は、相当にいちゃもんの多いものになる。現場で教えていると、どうしたって指導要領の無理なところが見えてくる。そういうところも包み隠さず話す。そしてその上で、最終的に、それが学校教育の枠組みになっていることを納得してもらい、そして教えはじめる。批判をして、その上で、受け入れる。

民主主義国家の法律は、不変のものではない。それは、代議制の合意のもとで変更可能だ。変更可能なものは、批判に耐える。批判にもとづいた改正が期待できるからだ。すぐに変わらなくてもいい。変えていける可能性があるから、おかしなところをおかしいということが意味を持つ。

先々変更できないものは、そうではない。批判は愚痴にしかならない。そんなものに意味はない。そして、詔勅、勅令、勅語のたぐいは、基本的に変更を受け付けないものだ。綸言汗の如しである。それが君主制だ。そして、君主制は科学主義と相性がよくない。科学主義と民主主義は、表裏の関係にある。だからこそ、民主主義を標榜する憲法下での教育は科学的であることを要請するのだろう。

 

私は、科学万能主義を信奉しない。どっちかというとアレな異端者である。民主主義だって胡散臭いものだと思っている。もっとマシなものがどこかにあると信じている。しかし、それは少なくとも、科学主義、民主主義の先にあるものだと思う。そこを乗り越えた未来に何かもっといいものがあると信じているだけで、それ以前の過去に戻るべきだとは思わない。

だから、過去のことをネタにするのはOKだと思うが、そこに戻ることはあんまりだと思う。ま、人間なんて愚かなもので、前に進んだつもりが実は後戻りしているだけ、なんてこともあるのかもしれないけど。

 

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追記: やっぱり政府のオッサンらの考えてることは、せっかく役人が矛盾せんように工夫してタテマエ論でおさえようとしたことを遥かに超越する。こんな報道があった。

www.tokyo-np.co.jp

これは、あかんわ。この記事、書きなおさな。

 

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再追記:ということで、別記事を書いた。

mazmot.hatenablog.com

プロは信頼しても、やっぱり安心はできないという話

家庭教師の仕事をやっていると、けっこうな確率で学習障害(LD)に出くわすことになる。家庭教師というと「難関校受験対策のために金持ちが雇うもの」というイメージがあるかもしれないが、実際にはそういうケースはそれほど多くなく(もちろんある程度の比率を占めるのは事実だが)、最も多いのが「平均点もとれない子ども」であり、その極端なケースとしての学習障害者だ。ちなみに家庭の収入も決して高所得者に偏っているわけではなく、余裕のない収入の中から教育費を捻出しているらしい生徒家庭もけっこう珍しくない。だが、そのあたりは推測の域を出ないし、また別の話。

学習障害とは、公的な定義によると

学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すものである。
学習障害は、その原因として、中枢神経系に何らかの機能障害があると推定されるが、視覚障害聴覚障害、知的障害、情緒障害などの障害や、環境的な要因が直接の原因となるものではない。

主な発達障害の定義について:文部科学省

ということになる。成績が低い生徒が学習障害というわけではないが、学習障害者に学校の成績が低い場合が多いのは、上記の特徴からわかるだろう。これが、家庭教師に持ち込まれるわけだ。

ちなみに、「けっこうな確率で出くわす」と書いたけれど、私は上記の定義に該当する意味での学習障害者を受け持ったことがない。同業の家庭教師と話していると、学習障害の話がよく出る。定義上は学習障害者ではないとはいえ、「学習障害の疑いがあります」と学校教師に宣告されている生徒は何人も教えてきた。だから、いつ定義上の学習障害者を担当することになっても不思議ではないと思っている。

ただ、本当の意味での学習障害者は、家庭教師ごときでどうにかなるものではない。このあたりのことは以前、「プロの家庭教師になってしまったら読む本」というささやかな電子本で、次のように書いた。

ここで注意しておかなければならないのは、これが何らかの医学的な障害によるものではないことを確認することだ。家庭教師は指導のプロであるかもしれないが、特別な研修をしたとかその分野で経験があるとかいう場合を除いて、障害者教育に関しては素人である。素人が生兵法でおかしなことをするべきではない。ほかの教科でもそうなのだが、基本的に家庭教師は学習障害者の指導はすべきではないと思う。それはその道の専門家に任せるべきだ。確定診断のついた学習障害者ではないことは、契約前にはっきりと確認しておかねばならない。あるいは、診断がついた上で医師が家庭教師をつけることを推奨したのであれば、医師の所見・意見を確認して自分ができることとできないことをはっきりさせておく必要がある。

ただし、

とはいえ、学校の教師が自分勝手に「学習障害かもしれません」と言ったとか、親が気を回して「この子は学習障害らしいので」などという言葉は基本的に信用してはならない。たいていは単なるレッテルに過ぎない。だから、自分でかんたんなテストをしてみるべきだ。その結果、多くの場合は「学習障害ではない」と自信をもっていえるだろう。そうでない場合は、もちろん家庭に相談して医師の受診を勧めるべきだ。妙な気を遣って、正しい対応ができない状態に放置すべきではない。

ということも事実である。どうやら学校教師は、自分の指導の失敗を学習障害のせいにして問題を棚上げにしてしまう傾向があるらしい。このあたりのことも含め、学習障害に関しては、以前、こっちにも書いた。

suzurandai.weebly.com

家庭教師を含め、教科指導が専門の教師は、通常は障害者教育・支援の専門家ではない。専門家であればベストなのかもしれないが、そこまでやってられないというのが正直なところ。ただし、非専門家であっても多少の知識はあるべきだ。だから、「学習障害の疑いがあります」で放置するのはおかしな話で、簡易なスクリーニング(例えばこの程度のものはすぐに出てくる)を実施して必要に応じて医療機関への紹介を実施すべきだ。それもせずにいたずらに「学習障害かもしれませんので注意してください」と親や本人に責任をなすりつける学校教師のやり方は、(上記記事と重なるが)どうにも気に入らない。その結果として呼び出されるのが家庭教師なのだから、これはまったくのところ他人事ではない。

 

とまあ、文句は文句として、実はそれだけで話が終わるわけではない。本題は、スクリーニングをやって、シロならばそれでよし、引っかかるようなら医療へと、きれいに2つに割り切れるものではない──そこが悩ましいところ、というお話。

どういうことかといえば、つまり、学習障害とか自閉症とかADHDとかいった障害は、スペクトラムと呼ばれるぐらいに幅が広くて、そして、連続している。典型的な学習障害者ははっきりと「ああ、これは普通の指導法じゃ意味ないな」ってわかるのだろうが、そこまでいかないけれどスクリーニングの項目にはけっこう当てはまって、「境界型かなあ」って生徒はいる。そういう場合、自信をもって「学習障害じゃない」と判断しても、あるいは(いままでそういうことはなかったのだけれど)医師の診断を勧めても、やっぱり割り切れないものは残る。なぜなら、連続しているところに、人為的に決めた境界線をひくわけだから、その近傍では、「本当にこれが正しい判断だったのか」ということについて、常に疑問がつきまとうからだ。

これはなにも、診断基準に関して異議があるとか、そういう話ではない。あるいはそこで一刀両断にする行為に対する異議でもない。もしも私が専門家だったら、迷わず、診断基準を満たしたものに関しては確定診断を出すだろう。それが専門家の役割だ。診断が確定したら、それにもとづいて処方をする。特別な支援教育が必要なら、それを手配することになる。そのことに対して何ら疑いはない。

ただ、それでもなお、それがその個人にとってベストの選択であるのかどうかということに対しては、やはり確信を持てない。そのぐらいに人間は多様で、そして物事の帰結は不確実だ。

たとえば、軽度の学習障害は、けっこうふつうに乗り越えることができる。振り返ってみると私には、ちょっと学習障害の傾向があったようだ。実際、九九をいまだに完全には覚えていない。小学校のときに苦労して何度も口誦したが、どうしても出てこないものが何箇所かあった。自分自身の能力のなさに絶望していたのだけれど、乗法の交換法則を使えば半分覚えるだけで実用上はまったく問題がないことに気がついてからは、それ以上の努力を放棄した。大量の数値が並んでいると目がチカチカして見ていられなかったし、左右はかなり長いこと混乱していた(だから鏡像文字を小学校高学年まで書いていた)。けれど、最終的には工学部に進学することができたわけだし、その後はあろうことか問題集を作ったり、さらには学習指導までやることになった。

そんなふうに、軽度のものであればたいした問題もなく乗り越える(あるいは回避する)ことができるのが学習障害だ。じゃあ、どこまでが「軽度」なのか。確かにどこかで線をひくことはできる。だが、連続した程度の変化の中にひかれた線一本で、なにかが根本的に変わるのだろうか。そんなわけはない。線の向こう側の人だって案外と軽快に障害を乗り越えられるのかもしれないし、線のこちら側にいたってうまくいかないのかもしれない。それは個人の資質だけでなく、周囲の環境や運のようなものにも左右されるだろう。時間が解決する部分も、決して無視はできない。そういう要因をプラスにもっていけるかマイナスにしかならないのかもまた、個人に固有の諸条件に依存する。単純な診断基準でそれらの全てを予想することは不可能だ。

だから、たとえそれがプロによるまちがいのない判定であったとしても、それによって行われる対応策に関しては、常に「これでいいのかなあ」という割り切れない思いがつきまとう。これは、事例を多く知る専門家であればあるほど感じることではないかと思う。

 

それでもプロは、そんな不確実な未来を相手にベストを尽くさねばならない。プロというのはそういうものだ。そして失敗もする。失敗のない仕事なんてものはない。予期しない結果、予期したことと正反対の結果が出ることもあるだろう。それでもやらないよりはやったほうがいい。そのぐらいの覚悟でプロは仕事をしている。プロに任せることは、そこまでの幅を含めてのことだと心得るべきだ。

だから、私は何事であれ、「プロに任せれば安心」という気持ちにはなれない。特に、それがLDやAutism、ADHD、あるいはその他さまざまな人間の精神に関わることであれば、たとえ専門家が適切な対処をしているのだということがわかっていても、やっぱり「本当にそれがよかったのかなあ」と思わずにいられない。だからどうすることができるのだと問われても何も返せないのだけれど、気持ちは割り切れない。ただただ、当惑するばかりだ。

 

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この記事は、こちらの記事

note.mu

につけたブコメに対して id:bottomzlife さんから

性の悦びおじさんを笑った人へ|yuzuka|note

id:mazmot なに言ってんだかわからん。反知性主義? 単にその分野の仕事を一生懸命やってる人のほうが向いてるってだけの話だろ/id:abcd0035 じゃあ、おまえのアヌスの動画もおもしろいから公開しろ。PIPで顔も映せよ

2017/03/13 23:09

b.hatena.ne.jp

というコメントをもらったことをきっかけにいろいろ考えていたことからできた。ちなみに、元記事に対する他のブコメを見ているとどうやら元記事の方にも何らかの事実の誤認があるようだが、もともと私はそこで取り上げられている事件に関しては過去の報道を含めて何も知らないので、論評する立場にはない。ただ、元記事がかなり一生懸命に、奥歯にモノの挟まったような言い方に聞こえながらも、伝えようとしているところには共鳴した。そして、そのモノの挟まったような感覚がどこからきているのかなと思ったときに、実はプロである元記事筆者そのものが、そのプロの仕事の限界をよく知っているからではないかなと思った。そんな思いつきをメモしたコメントではあったのだが、外部から見ればそういう読み取り方はできなかったのだろう。

反知性主義」というような大層な言葉も頂いたが、私が反知性主義だったら、本物の反知性主義が顔を赤らめて逃げ出してしまうだろう。「知性」に関して何らかの疑義がないわけではないが、どっちかといえば反知性主義の反対側に位置するのが自分だと思っている。定義に当てはめていっても、私は反知性主義者ではないと思う。ま、他の人がどう呼ぼうとかまわない。ただ、本物の反知性主義に対して、気兼ねをしてしまう。

なんにせよ、しばらく書けなかったブログにネタを提供してくれたブコメ主には感謝するしかない。

軍歌を歌う小学校は実在したか

軍歌ってなんだろう?

先日来、「軍歌をうたわせる幼稚園」というのが話題になっている。「そりゃないだろう」とか「時代錯誤だ」みたいな感じで多くの顰蹙をかっているわけだが、そういう話を見ていて、なんか「軍歌」のイメージがちがうんじゃないかという気がしてきた。

もちろん、軍歌についてはたとえばWikipediaでさえ、かなりまっとうな記述をしている。

軍歌(ぐんか)とは、広義には主に軍隊内で士気を高めるために作られた歌のことである。歴史的な出来事を扱ったものから、戦死した犠牲者を悼むことを目的とするものまで、内容は様々である。

日本の軍歌
日本では、厳密(狭義)には軍隊によって作られた歌を軍歌とするが、一般的(広義)には戦時歌謡(軍国歌謡・国民歌謡、一部の唱歌)や軍楽など、軍隊・軍人・兵器・戦争・国体・国策などを題材とする歌や曲をまとめて軍歌と通称とする。
軍歌の分類

  • 部隊歌
    連隊歌や艦歌など、各部隊ごとに作られた歌。
    (例、「飛行第六十四戦隊歌(加藤隼戦闘隊)」、「関東軍軍歌」等)
  • 兵隊ソング(軍隊小唄、兵隊フォーク)
    主に軍人(将兵、兵隊)の間で愛唱された俗謡。
    (例、「ほんとにほんとにご苦労ね」、「海軍小唄(ズンドコ節)」、「可愛いスーちゃん」、「同期の桜」等)
  • 軍楽
    行進曲に代表される器楽曲。
    (例、「陸軍分列行進曲」、「軍艦行進曲」、「連合艦隊行進曲」等)
  • 愛国歌・時局歌(戦時歌謡との戦後名あり)
    民間が制作した流行歌。映画主題歌なども含む。
    (例、「露営の歌」、「燃ゆる大空」、「空の神兵」、「暁に祈る」、「出征兵士を送る歌」、「麦と兵隊」等)
  • 国民歌謡
    日本放送協会や新聞社(マスメディア)、政府機関などが主導して制作した流行歌。戦時歌謡に含める場合もある
    (例、「愛国行進曲」、「紀元二千六百年」、「日の丸行進曲」、「爆弾三勇士」、「アッツ島血戦勇士顕彰国民歌」等)
このほか、戦地で愛唱された一般の歌謡曲(流行歌)や唱歌の一部も軍歌と称する場合もある。

軍歌 - Wikipedia

ちなみに、ロックギタリストを自認する私ではあるが、上記にあがっているうちの何曲かを含め、有名な軍歌なら10曲ぐらいはそらで歌える。あまり自慢したくない能力。小学生時代に父親の車のカーステレオ(8トラックのテープといってもいまのひとにはわからないだろう)用のテープが3本か4本しかなく、そのうちの1本が軍歌で、そればっかり聞いていたから覚えてしまったわけだ。右翼街宣車から流れてくるような歌は、だいたい歌える。まあ、歌うことはないのだけれどね。

 

右翼街宣車が流している「軍歌」は、ほぼ「戦時歌謡」。上記にあるように愛国歌・時局歌と国民歌謡を区別する必要はない。これらの歌は、「軍隊内で士気を高めるために作られた歌」という定義にはあてはまらない。兵隊ソングも同じ。これらが軍隊内で公式に歌われることはあり得なかった。せいぜい、酒保で憂さ晴らしに歌われる程度だったようだ。厳しい日本軍の日常では、それ以外の場所で鼻歌などうたっていたらたちまち鉄拳制裁だっただろう。正しい意味での軍歌は、たとえば海軍なら「海ゆかば」のような軍楽で演奏されるもの。そういう意味では、たいていの右翼は本来あり得ないことをやっている。そのあたりは、こちらのブログに書いてあるようなことでもあったりする。

gendai.ismedia.jp

ただ、「戦前だったら不敬罪」というのは、調べてみると案外ちがうということがわかったので、その話。

軍歌はツイート? 

まず、「軍歌」が上記Wikipediaの記事で通常の定義と日本における定義がちがうように書かれている点だが、これはどうも歴史的にそういう使われ方をしてきたのだからしかたない、というしかないようだ。

明治時代出版「軍歌集」にみる軍歌の変遷について(長谷川由美子,綿抜豊昭)

によると、「軍歌」という言葉の初出は明治18年であり、当初より「行軍中欠ク可ラサルモノトス盖シ行軍途上之ヲ諷唱ス」とされながら、実態としては流行歌であったようだ。こちらの論文

明治30年の宮内省式部職雅楽部(塚原康子)

によると、軍隊内での使用を想定されて作曲された「軍歌」は、海軍が依頼してできた明治13年の「君が代」と「海ゆかば」を初めとするらしいが、 こちらの論文

ci.nii.ac.jp

あるいは上記の長谷川論文によるとその数年後からは軍歌集の出版が相次ぎ、唱歌集の出版点数を超えるほどであったらしい。明治27年から翌年にかけての日清戦争時には一気に出版点数が増加し、この頃に「戦時歌謡」的な軍歌の下地ができたようだ。こちらの古いエッセイ「明治の戦争歌」(小島吉雄 昭和13年3月)には、

日清戦争の時のことである。軍樂隊が廣島大本営に於て御前演奏をした時、外国の軍歌を奏しあげたところ、日本の軍歌をやれとの御下命があった。然し、その時は叡聞に達し上げる程の適當な軍歌が未だなかった。止むを得ず樂手の一人たる菊闇義清が豫て試作しておいた「喇叭の響」といふのを俄に作曲して演奏申上げた。ところが、一両日後、大元帥陛下には御製の軍歌を下し給はつたといふ挿話がある。

と、音楽としての「歌」と文芸としての「歌」(短歌)を完全に同一視した記述が見える。ちなみに昭和13年というのはまだ戦時色がそれほど強烈でもないのか、与謝野晶子の「君死に給ふことなかれ」に関しても触れているが、「西欧的個人主義」と切り捨てている程度で強い非難はしていない。ともかくも、日清戦争時には多数の「軍歌」がつくられたが、それは歌詞を重視したものであり、どちらかといえば文芸作品、あるいは現代のTwitterの短文投稿のような感覚ではなかったのかと思われる。ネットのない時代だから、歌でメッセージを拡散させたんだろうな。

つまり、「軍歌」は、草創期には「君が代」「海ゆかば」に代表されるような軍楽曲として創作されたが、すぐにそれを離れて大衆流行歌として受け入れられるようになった。これがすなわち、日本において「軍歌」の用法が本来の定義から離れて「戦時歌謡」や「兵隊ソング」をもっぱら指すようになった理由だろう。だから、軍隊で公式にそれらの俗謡が歌われることはなかったのだし、それをあたかも自分たちのテーマソングのようにしている右翼私兵隊は噴飯物だということにもなる。

軍歌を歌う小学校

そういった文芸、しかも日本古来の「うた」と結びついた軍歌であったから、それは決して歌いやすいものではなかったようだ。そこに新風を吹き込んだのが日露戦争を受けてつくられた「戦友」である。

京都府福知山市 真下飛泉資料室

右翼の街宣車がよく流している「ここはお国を何百里…」という大陸侵略の歌であるが、実はこれは戦時中は厭戦気分を煽るものとして禁止されていた。それもそのはず、教育者であった真下飛泉が日露戦争前線の悲惨さを聞いてそれを小学生にも歌える口語詩としてつくりあげたのがこの歌であるからだ。このあたりは、こちらの論文に詳しい。

「真下飛泉伝」の試み - 「戦友」成立を中心として -

これによると、戦友は反戦詩なのだそうだが、そこまでいったら言い過ぎなような気もする。「お国のためだ」のような言葉もある。戦争そのものを批判する言葉はどこにもない。だが、上述の小島吉雄が明星派を「西欧的個人主義」と批判した言葉そのままに、大義や国家とはまったく別次元の個人的視点から見た戦争の現実がそこにある(真下飛泉は明星派だったらしい)。これが「戦友」が戦時下に当局から睨まれた原因であろう。

ともかくも、「戦友」は、軍歌に言文一致隊という新しい流れを持ち込んだ。だが、それが何のためだったのかというのが実はポイント。上記論文から引用すると、

 飛泉は唱歌や軍歌の用語を問題にしているが、当時の小学唱歌の歌詞はどのようなものであったのか。弥吉菅一氏によれば、日本の国家的新体制が要求した学校唱歌が整備されたのは伊沢修二編の『小学唱歌』が出版された明治25、6年であり、当時の学校唱歌の特徴は、大体において、
(1) 詞章が文語調でこどもには難解。
(2) 内容が教訓的でありすぎる。
(3) 伝承童謡が抹消されている。
の3点に要約できるという。このような唱歌に加えて、明治25、6年から同40年頃にかけては軍歌流行の時代となり、軍歌が兵士のためのものにとどまらず、「小国民ヲシテ奮テ義勇奉公ノ壮志ヲ誘興シ、敵愾ノ心ヲ喚起セシムル方法」(「大捷軍歌」緒言、明治27−8年)として、「高等小学校教科用ニ充ツル」(「戦争唱歌」明治37年)ことになった。軍歌が教育の場に流れ込んできたのであった。

 と、積極的に軍歌を学校で歌うことを推奨する流れがあったらしい。また、上記の長谷川論文には、

初出が《軍歌集》でありながら、唱歌に再録された作品は多い。曲の再録が《軍歌集》の中でなく、学校教育の現場で使われた唱歌でくりかえしなされたことにより、「軍歌」は「唱歌」に変身を遂げた。レコードは入手困難な時代で、曲の流布は学校における唱歌教育と出版物によっておこなわれた。

と、軍歌がひろまるうえで学校教育が果たした役割が述べられている。「戦友」も、作者の真下飛泉が勤務していた小学校で子どもたちが上演した演劇中で用いられたものである。つまり、大衆歌、俗謡としての軍歌が歌われる場は、もともと、実は軍隊ではなく学校だったわけだ。

そう思えば、数年前に亡くなった伯母が子どもの頃の思い出の歌として「水師営の会見」や「一列談判破裂して」などをうたっていたのが頷ける。そういう歌を学校でやっていたのだろう。もともと映画音楽である加藤隼戦闘隊や麦と兵隊のようなあまりに流行歌的なものが学校で歌われたかどうかは疑わしいが、戦意高揚的な歌が学校教育の中で盛んに用いられていたことはやはり確実なようだ。

平和な最期を迎えるために

例の「軍歌をうたわせる幼稚園」で、どのような「軍歌」がうたわれているのかは知らない。選曲によってはかなりツッコミどころもあると思うし、おそらく戦前教育そのものではないというのはほぼまちがいないと思う。せいぜい想像にもとづいた劣化版。だとしても、「学校で軍歌を使った教育」というものがかつて存在したことは事実だし、それを復活させようという動きが怪しいこともいうまでもない。

最期は老人施設で自由を制限された生活を余儀なくされた伯母だったが、私は彼女の話を聞くのが好きだった。だが、その口から出てくる歌が、他国の人々を一方的に武力でいためつけるような内容のものでしかなかったのが返す返すも残念だ。年老いて、軍歌しか歌えないような未来はほしくない。もっとも、年とってI can't get no satisfaction!なんて歌しかうたえない自分も想像したくないのだけれど。

奇妙な三輪車 - Like-t3に乗ってみた

私は、長いこと自動車の免許をもっていなかった。もともと都市部に住んでいたからその必要を感じなかったからであり、自動車学校に払う数十万円とそこに通う時間をもっとほかに使いたかったからでもある。地方都市に移住を決めたときにはちょっと不便を感じたが、そこはいい自転車を買うことでなんとかしのいだ。列車移動と輪行を組み合わせると、けっこう機動力があった。何しろ若かったしね。

その後、もっと田舎に引っ越してやむなく原付免許はとったが、それでも車には乗らなかった。40を過ぎ、子どもが生まれる直前になってようやく、必要性を実感した。そこからのドライバーだから、運転歴は浅いし、まあ、下手くそだ。郡部限定、軽オートマ限定でしか乗ってなかった。その後、都市郊外に引っ越して少しは車に乗る時間も増えたが、それでも決して車について何か語れるような人間ではない。そういう前提での話。

 

車は小さいほうがいい。むかしからそう思ってきた。もちろん、運搬のためには大きさは必要だ。引っ越し用のトラックなら、大きい方がいい。しかし、人間を運ぶだけなら大きい必要はない。そして、運転だけなら小さいほうが扱いはいい。狭い道でも通れるし、ちょっとしたスペースでも駐車できる。そんなふうに思ってきた。

日本の公道で走れる最も小さい四輪車は、実は50ccの原付きバギーだ。いまはホビー車しか売っていないが、20年ぐらい前には光岡自動車が乗用車タイプの50cc車を出していた。欲しかったがやがて製造中止になり、中古でも入手は困難になった。そしてこの車、少々難がある。50ccなので、一人乗りだ。車を使いたいケースでけっこうあるのが送迎。これには使えない。

小さくて、隣に一人ぐらいのせることができる車。そういうコンセプトの車は、実は存在する。超小型モビリティと呼ばれるものだ。ただ、このタイプの車、試験的な導入はもう何年も前から行われているのに、法改正がなぜか行われず、一般販売がされないままに過ぎている。地域限定で試験的な運用が行われているのみ。その他の地域では走れない。なんでだ? 各メーカーがいろんな試作品を出していて、すぐに製品化できそうなところまで来ているというのに。ま、あんまり金儲けにならないからだろうか。買いたくても売ってもらえない。

 

というようなことを考えていたところに、実家の両親が車を手放した。年をとってからはけっこう大きな車に乗っていたのだが、それは「この車なら安全だ」という考えから。確かに、いろいろな安全評価を調べてみても、このでかい車は安全性が非常に高い。しかし、それは搭乗者の安全だ。高齢ドライバーの危険性は広く指摘されている。そして、一旦事故を起こしたら、たとえ搭乗者は安全でも、巻き添えになるひとが出る可能性が高い。そんなとき、いくら戦車のように安全な車でも、いや、それだからこそ余計に、危険だ。そういうことを息子2人がやいやい言ってたら、ついにある夜、決断した。それが先週のこと。このあたりの踏ん切りの早さは見習いたいものだと思う。

だがしかし、これはある部分では非常に困ることでもある。というのは、足がなくなるということは、ちょっとものを運びたいとか、ちょっと徒歩では行きにくいところに行きたいとか、そういった折に、こちらが呼び出されるということでもあるからだ。車を手放すことを積極的に働きかけた兄貴はいい。彼は遠方に住んでいる。中途半端に近く(車で1時間余、電車で2時間余)の場所に住んでいるこっちの身にもなってほしい。親が年をとればそっちの用事が増えるのは仕方ないとはいえ、こっちだって貧乏暇なしだ。自立できる部分は自立していてくれる方がありがたい。

 

何か移動手段をと思ったときに、光岡自動車のLike-t3というのがあることを思い出した。

www.mitsuoka-motor.com

これは、コンセプト的にはまさに超小型モビリティ。ただ、法制度が追いつかずに販売ができない他社の製品とは違って、3輪にすることで「側車付自動二輪車」として販売が可能になっている。これが高齢の両親の足になってくれるかもしれない。

問い合わせてみると、扱っているディーラーがいくつかあることがわかった。大阪にあった1軒を紹介してもらい、今日、行ってきた。この動画はディーラーの担当の方が脇で指導しながら高齢の私の母が運転している様子。

www.youtube.com

このあと私も少し試乗させてもらった。その感想を少し書いておこう。基本的には普通車と大差ないので、気になったところだけ。

まず、操作性で気になったのは、アクセル。ふだん私が乗っているオートマ車とちがって、ドライブにしたときのクリーピングがない。これはいいことでもあるのだが、発進時にクリーピングを利用して徐々に踏んでいくクセがついているので、違和感が大きい。そして、回生電力を発電する関係で、いわゆるエンジンブレーキの効きが非常に大きい。アクセルを完全に離すと大きな制動がかかる。つまり、アクセルの踏み具合でコントロールしていく感覚がふつうの車とちょっとちがう。アクセルとブレーキの踏み分けではなく、基本的にアクセルだけで操作する感じ。

あと、バックのときに特に感じたのだが、ハンドルが重い。意外かもしれないが、これはつまり、最近の自動車がパワーステアリング標準装備なことによる相対的なものだ。おそらく昔の四輪車のハンドルよりは軽いのだと思うが、たとえば止まっているときにハンドルを動かそうとしても動かない。少しだけでも前進か後退していれば問題ないのだが、止まった状態でハンドルを切ろうとしてもなかなか腕力がいる。

そして操作性ではなく、決定的に気になるのは揺れだ。 なにせ、タイヤの直径が小さい。タイヤが小さいということは、ちょっとした道路の凹凸にも敏感に反応するということだ。もちろん、普通車に比べるとサスペンションもお手軽にできているのだろう。揺れること揺れること。低重心で安定性はいいということなのだけど、ちょっと怖くなるぐらいだ。

そういうこともあって、スピードは出せない。説明では52キロでリミッターを付けてあるらしく、そこまでしか出ないという。逆にいえばそこまでなら出るはずなのだけれど、時速30キロまで上げることもできなかった。たぶん最大に出したのは28キロぐらいで、それでも「速いなあ」という体感。むかし、背の低い軽自動車に乗っていたときには地面が近くて体感速度がずいぶんと早く感じたが、それに近いかもしれない。ふだん乗ってる車と、同じ速度で倍ほども速さの感覚がちがう。これは、車室がないことから来ているのかもしれない。

そう、一応は二輪車なので、車室は付けられないのだそうだ。だから基本は吹きさらし。オプションで風防と屋根はあるのだけれど、オープンカー状態。だから、電気自動車でエンジン音がしないことと相まって、周囲の音はよく聞こえる。視界も良好。これはこれで、ちょっとだけ嬉しい。

 

とまあ、一通り試乗したのだけれど、さて、高齢の親が買う気になるかどうかはわからない。私でさえ30キロで怖いと感じるぐらいだから(まあ慣れたら感覚は変わるとは思うが)、親がそれほどスピードを出すとは思えない。交通事故のほとんどはスピードの出しすぎによるものだから、30キロ以下の低速で常に走っている分には不注意から事故を起こしても大きな被害はないだろう。そんなスピードで公道を走られたら周囲の車は迷惑だが、幸いに車通りの少ない道を選んで走ることができる環境に住んでいる。そういう諸点を考えてみたら、私としてはあと数年の足としては有りかなあという気がする。

ただ、値段がけっこう半端ではない。定価で140万ぐらいする上に風防と屋根のオプションをつけると200万に近い値札がつく。数年の使用と考えたら、安くない買い物だ。それも、近場の移動だけに使う限定的な用途だから、なお割高感はある。私と違って両親はそこそこに余裕がある方だが、そこまでの出費をするだろうか? それに、やっぱり乗り心地のわるさや操作性の違いは気になるだろう。

ということで、結果はどうなるかわからない。ただ、私としては、なかなかおもしろい体験をさせてもらった一日だった。楽しかった。 

保育園で国歌・国旗は強制できない(技術的にも、法令的にも)

今日もまた、我が家に7人の保育園児がやってきた。前回記事にも書いたが、年長児たちが卒園を前に、「よそのお家」に遊びにくる企画だ。こういう変な企画にノッてきてくれる保育園があって、本当にありがたいなあと思う。そして、保育園って、そういう融通無碍なところがあるからいいよなあとも思う。なにせ、学校じゃないから。

その保育園に「国歌・国旗」というようなニュースが以前あって驚いた。たとえば、こういう報道。

www.asahi.com

パブリックコメント募集中ということなので、これは一言言わなければいけないと思った。自分で調べればいいのだけれど、ちょっと手が離せなかった。こういうときには、はてな界隈の人々が頼りになる。こっちのブコメ

b.hatena.ne.jp

に「誰か、パブコメのページのアドレスを貼ってくれ!」と書いたら、さっそくid:kanflu さんが教えてくれた。私のズボラを助けてくれて、感謝しかない。

で、ようやく少しだけ手が空いたので、パブコメの下書きでもしようかと思った。厚生労働省に文句を言ってやろうというわけだ。そして、教えてもらったページにあった資料を見て、ちょっと考えこんでしまった。これ、むずかしいわ。

 

改正告示(案) には、「国旗」「国歌」がそれぞれ1回ずつ出てくる。すなわち、

第2章 保育の内容

(中略)

3  3歳以上児の保育に関するねらい及び内容

(中略)

(2) ねらい及び内容

(中略)

ウ 環境
周囲の様々な環境に好奇心や探究心をもって関わり、それらを生活に取り入れていこうとする力を養う。
(ア) ね ら い
①身近な環境に親しみ、自然と触れ合う中で様々な事象に興味や関心をもつ。
②身近な環境に自分から関わり、発見を楽しんだり、考えたりし、それを生活に取り入れようとする。
③身近な事象を見たり、考えたり、扱ったりする中で、物の性質や数量、文字などに対する感覚を豊かにする。

(イ) 内 容
① 自然に触れて生活し、その大きさ、美しさ、不思議さなどに気付く。
②生活の中で、様々な物に触れ、その性質や仕組みに興味や関心をもつ。
③季節により自然や人間の生活に変化のあることに気付く。
④自然などの身近な事象に関心をもち、取り入れて遊ぶ。
⑤身近な動植物に親しみをもって接し、生命の尊さに気付き、いたわったり、大切にしたりする。
⑥生活の中で、我が国や地域社会における様々な文化や伝統に親しむ。
⑦身近な物を大切にする。
⑧身近な物や遊具に興味をもって関わり、自分なりに比べたり、関連付けたりしながら考えたり、試したりして工夫して遊ぶ。
⑨日常生活の中で数量や図形などに関心をもつ。
⑩日常生活の中で簡単な標識や文字などに関心をもつ。
⑪生活に関係の深い情報や施設などに興味や関心をもつ。
保育所内外の行事において国旗に親しむ。
(ウ) 内 容 の 取 扱 い
上記の取扱いに当たっては、次の事項に留意する必要がある。
①子どもが、遊びの中で周囲の環境と関わり、次第に周囲の世界に好奇心を抱き、その意味や操作の仕方に関心をもち、物事の法則性に気付き、自分なりに考えることができるようになる過程を大切にすること。また、他の子どもの考えなどに触れて新しい考えを生み出す喜びや楽しさを味わい、自分の考えをよりよいものにしようとする気持ちが育つようにすること。
②幼児期において自然のもつ意味は大きく、自然の大きさ、美しさ、不思議さなどに直接触れる体験を通して、子どもの心が安らぎ、豊かな感情、好奇心、思考力、表現力の基礎が培われることを踏まえ、子どもが自然との関わりを深めることができるよう工夫すること。
③身近な事象や動植物に対する感動を伝え合い、共感し合うことなどを通して自分から関わろうとする意欲を育てるとともに、様々な関わり方を通してそれらに対する親しみや畏敬の念、生命を大切にする気持ち、公共心、探究心などが養われるようにすること。
④文化や伝統に親しむ際には、正月や節句など我が国の伝統的な行事、国歌、唱歌、わらべうたや我が国の伝統的な遊びに親しんだり、異なる文化に触れる活動に親しんだりすることを通じて、社会とのつながりの意識や国際理解の意識の芽生えなどが養われるようにすること。

(以下略。ボールド指定は本ブログ筆者)

となっている。保育の「内容」に「国旗に親しむ」が入り、「内容の取り扱い」に「国歌(に)親しんだり」と入っていることから、ここだけ読むと「ああ、保育園で国旗・国歌を扱うようにという指針なのかなあ」と思ってしまう。しかし、この「保育に関するねらい及び内容」が何なのかということを読んでみると、さらに上の方に、

第2章 保育の内容
この章に示す「ねらい」は、第1章の1の(2)に示された保育の目標をより具体化したものであり、子どもが保育所において、安定した生活を送り、充実した活動ができるように、保育を通じて育みたい資質・能力を、子どもの生活する姿から捉えたものである。また、「内容」は、「ねらい」を達成するために、子どもの生活やその状況に応じて保育士等が適切に行う事項と、保育士等が援助して子どもが環境に関わって経験する事項を示したものである。
保育における「養護」とは、子どもの生命の保持及び情緒の安定を図るために保育士等が行う援助や関わりであり、「教育」とは、子どもが健やかに成長し、その活動がより豊かに展開されるための発達の援助である。本章では、保育士等が、「ねらい」及び「内容」を具体的に把握するため、主に教育に関わる側面からの視点を示しているが、実際の保育においては、養護と教育が一体となって展開されることに留意することが必要である。

と定めてある。ここで重要なのは、「子どもの生活やその状況に応じて保育士等が適切に行う」、あるいは、「実際の保育においては養護と教育が一体となって展開されることに留意すること」と規定されていることだ。つまり、上記の「内容」や「内容の取り扱い」は、それを一律に実施することはもとより求められておらず、子どもの発達段階に応じて専門家である保育士が必要と認めたときに実施可能な内容を網羅してあるものと解釈すべきものだ。そして、保育園児と実際に付き合ってみればわかるが、国旗や国歌をたとえば儀式的な国旗掲揚や国歌斉唱のような形で導入できるかといえば、それは適切な発達段階を考えたらどう考えても無理。技術的にいって、もう絶対に無理。そう思ってみると、「親しむ」という文言になっている理由もわかる。「親しむ」というのは、たとえば幼児が赤い丸を描いたら「日の丸だねえ」とそれが国旗のモチーフであることを知らせるとか運動会の万国旗の中から日の丸を指摘するとか、「変な歌がテレビから聞こえる」という子に「ああ、それは国歌なんだよ」と教えるとか、そういった程度のことだろう。真正面からきちんとこの「保育所保育指針」を読むなら、それ以上のことは考えられない。そして、その程度のことが何らかの問題になるとはとうてい思えない。

 

じゃあ、すべてOKなのかといえば、ここではたと困ってしまう。私の解釈から言えば、この法令を根拠に国歌・国旗を保育園児に強制することは不可能。むしろ国歌・国旗の強制に反対する論拠になるぐらいの法令だと思う。ところが、同じ文言でも、常に別な解釈は存在する。「指針」の「ねらいおよび内容」の中に記載された「内容」と「内容の取り扱い」なのだから、これは一律に実施しなければならないというような解釈をするひとだって出てこないとは限らない。「親しむ」の意味は、当然、国旗・国歌に対する「正しい」接し方を学ぶことであると、儀礼的な対応を強制する根拠にしたがるひとが出てこないとも限らない。

そういう人々にとっては、今回、たとえ一言でも「国旗」「国歌」の文言が入ったことは大きなことにちがいない。そして、そういった曲解を防ぐために、そういった文言が入ることを防ぎたいと考える人にとっても、重大事。その気持ちは、わからなくはない。

けれど、この文言をそういった曲解の可能性があるからといって批判するのは不可能だろう。なぜなら、ふつうに読めば、国旗・国歌を強制するものではないことが明らかだからだ。書いていないことを想像でもって批判するのは、書いていないことを書いてあると曲解して喜ぶことと基本的には同じこと。それをやっても説得力はない。

 

結局は、法令の文言ではないのだと思う。どんなに素晴らしい法体系があっても、それを運用する人間がおかしければ、現実はどんどん変になる。たとえば学習指導要領だ。現行の指導要領も、今後改定される予定の案も、あるいは過去の学習指導要領だって、それぞれは、それぞれなりに立派なことが書いてある。批判したい箇所がないわけではない。というか、あちこち批判したいところだらけだ。それでも、もしもそこに書いてあるとおりの教育が行われていたなら、いまあるようなひどい学校の状況は大きく変わっていたはずだ。ここまでくだらない教育は行われてこなかったはずだ。

指導要領そのものはそこそこ立派なのに、それにもとづいて行われるはずの現実はそこからかけ離れている。次回の改訂があっても、状況は変わらないだろう。改革のための指針がそこに示されていても、現場がそれを手前勝手に解釈してしまうからだ。

だから、法令は、そこによっぽどのことが書かれていない限り、ある程度はどうでもいいのだと思う。そうではなく、それを正しく運用できる人材をつくっていくことが重要。じゃあその人材はどうやってできるのかというと、それはもう幼児教育から連綿と続く教育制度の中で育てていくしかないので、そうなったらやっぱり保育指針とか指導要領が重要で、そのためにもパブコメしなきゃなあと…

 

ああ、もうわけわかんなくなってきたよ。やれやれ。

「毎年やってるから」を理由にするのはやめよう

今年も、保育園の年長組の子どもたちが我が家にやってくる。息子が保育園の年長さんだったときに始まったこの行事、今年で9回目。よくここまで続いたもんだと思う。

中身は至って単純。保育園の子どもを5〜8人ぐらい(年によってちがう)のチームに分けて自宅に招待する。お茶(といってもふつうのお茶)を飲みながら、1時間ほどおしゃべりをする。それだけのことだ。ま、少し趣向がないこともないのだが、それは重要なことではない。長いこと続けてきて、このイベントの最大の効用は子どもたちに「よそのお家」を見てもらうことだと思うようになったからだ。

私が子どもの頃には小さな子どもは基本的に世界がフリーパスで、よその家に上がりこんでも、「子どもだから」と許されるところがあった。まあ、狭い世間で、誰がどこの子だかもわかっていたしね。だから、よその家の暮らしが自分のところとちがうことぐらいすぐにわかった。子どもたちは無意識のうちに多様性に対する耐性を身につけていた。ところが最近では、密室性の高いよその住宅に足を踏み入れることは安全性の上から想像さえできなくなった。必然的に、生活空間は自分の家や親戚、親しい友達の家ぐらいしか知らなくなる。そういう子どもが、往々にして「ふつう」という言葉を口にする。たとえば、「おうちではどんなストーブを使ってる?」と尋ねたら、「ふつうの」という返事。自分の家のふつうがひょっとしたらよその家のふつうではないんじゃないかというような想像力は働かない。だから、「よその家」を訪問する価値は十分にあると、ここ数年は特にそう思うようになった。

理屈はそのぐらいでいい。このイベントのことを細かく書くつもりで書き始めたのではない。そうではなくて、このイベント、よく9回も連続したなあと、そんなふうに思う。来年はできないんじゃないかなあと、そんなふうにも思う。今年で最後かもと、毎年どこかで思いながらやってきた。その周辺のことを書こうと思う。

 

あるきっかけで始まったこのイベント、その次の年の年長組の担任が親しくしてもらっていた保育士さんだったので、翌年、ほぼ自動的に「今年もやりましょう」となった。そして次の年、これは恒例になるなと思って4月に保育園に相談したら、「じゃあ、また連絡ください」とのこと。特に日時を決めるわけでもなく、「いま言われてもなあ…」って反応。ああ、そうだ。ここはそういう場所だったんだと、改めて思った。

どういうことなのかというと、これは息子がこの保育園に入る前に半年だけ在籍した幼稚園との比較をするのがいちばんだろう。ちなみに息子は、親の引っ越しの関係その他で、3つの保育園と1つの幼稚園を転々とした。だから、これらの施設の運営方針が園によって大きく異なることは、実感としてわかる。やっていることは似たようなものであっても、よくよく見ればまったく別物。あと、もちろん幼稚園と保育園は組織もちがう。だからやることも多少はちがうのだけど、たぶんそのちがいは経営のポリシーのちがいによる方が大きい。

ともかくも、息子が通った幼稚園の方は、いつお迎えに行っても職員室で先生が残業をしていた。私たちはこの園のほとんど隣に住んでいたので、お迎えの時間どころか多くの先生が夜の9時過ぎまで残業していたことも知っている。夜遅くなって帰宅するときとかによくすれちがったからね。幼稚園は午後2時くらいまでが授業で、ウチのように保育園代わりに利用している家庭の子どもは3時半ぐらいから別クラスに入る。だから、担任の先生たちは園庭から子どもたちが消える3時半ぐらいからあとは事務仕事になる。その事務仕事が終わらない。夜遅くまで、終わらない。何をやっているのかといえば、たいていはイベントその他の下準備だ。このイベントは親の参観を前提としたものも、子どもたちだけのものもある。たとえば子どもの日が近づいたら鯉のぼりとか五月人形の折り紙、みたいな感じだったのだと思う。遠い記憶なのではっきりしないが、恒常的になにやかやと行事の多い園だった。

いろいろあったほうが、確かに子どもたちは飽きずに済むのかもしれない。けれど、非日常の連続が日常になっているというのも変だなあと思っていたのだが、ある日、何かのきっかけで謎が解けた気がした。息子が怪我をしたときだったかなんだったか、職員室に呼ばれて待ち時間があったのだと思う。あるいはお迎えに行ったときに職員室の中が見えるから、そのときだったのかもしれない。「○○園の取り組み見学」とか、「××の実践研究会」とか、やたらと研修系の行事が組まれていた。そういうのをぼうっと見ていて、「取り組み」とか「実践」って業界用語なのかなあとか考えていた。成果とか、けっこうみんな真剣に考えてるんだなあとか。そして、気がついた。全国いろんな園で、いろんな工夫が行われる。そういう「取り組み」とか「事例」をどんどん学んで取り入れていく。だから、あれだけ多種多様な行事ができる。そういうことなのか、と。そして、だからこそ、あれだけ先生方が忙しいのだと合点がいった。これは、まあ感謝すべきなのだろうと思った。それだけ仕事熱心な人々が幼児教育を支えている。その割に、いまひとつ息子の顔が冴えないのは、まあそういう時期なのかもしれないと思ったりもした。気のせいか他の園児たちもストレスフルな顔をしている。3歳児って、そういうものなのかもしれないとか。

この幼稚園から保育園に替わったのは、完全に親の都合だった。幼稚園は休みも多く、なにかと時間をとられる。働く親には保育園のほうが都合がいい。だから保育園に入りたかったのだが、まずは待機リスト入り。待っている間も仕事はやってくるから、つなぎのつもりで幼稚園に通わせた。そして半年、ようやく保育園の空きができた、というわけだ。

この保育園、ちょっと変わった園で、「運動会とか、やらないんですよ」と言う。「親御さんを呼ぶのは子どもにとっても負担ですからね。その代わり、運動会ごっことかやる年もあります」とか、入園前の面接のときに言う。なるほど、親を呼ばないから「運動会」という名前じゃないのかと思ったら、「まあ、やるかどうかは子どもたちの様子を見てになりますけどね」と、やらない可能性もある、という。一時が万事こんな感じで、「畑とか、やってるんですよね」とホームページの情報を元に聞いたら、「むかしは近所で借りてたんですけど、いまは園庭の隅にちょっとさつまいもを植えるくらいです」とか、伝統みたいなのにはぜんぜんこだわらない。

じゃあそれだけ手抜きなのかといえば、確かにこの園に残業らしい残業はない(後に知ったことだが、まったくないわけではなく、それこそ渾身のイベントみたいなときにはけっこう遅くまで残っていたりしていた)。早番の保育士さんなんかは、子どもと一緒に帰っている。遅番の保育士さんは子どもより後に出てくる。けれど、手は抜いていない。それどころか、かゆいところに手の届くような細かな心配りを見せてくれる。

そして「今日は天気がよかったので遠くまで散歩に出かけました」とか、「みんなでくふうして洗濯バサミでこんなものを作りました」とか、とにかく毎日とてつもなく楽しそうな出来事が起こっている。予め準備が必要なものもあれば、即興でやってしまったようなものもある。けれど、「子どもの様子を見ながら」必要と思ったときに的確なイベントを繰り出してくる。そして何よりも息子が活き活きとしてくる。毎日が楽しくてしかたないという顔をする。

しばらくそういう園のやり方を見ていて、ようやくわかった。「素晴らしい取り組み」とか、「指導の工夫」とか、「期待する成果」とか、そんなものは子どもたちの状況によって一律にはいえないのだと。どんなに評判のいいイベントを実施した実績があっても、そして仮にそれによって子どもたちも大きく伸びるようなことがあったとしても、次の年に同じことをやって同じことが起こるという保証はない。むしろ、同じことは基本的には起きないと思ったほうがいい。なぜなら子どもの集団というのは同じ年齢の同じ時期に同じ反応を示すようなものではないからだ。これは私も年に1回、年長児さんたちを毎年見てきて思う。子どもたち一人ひとりに個性があるように、その集団にも個性がある。去年通じたネタが今年通じないことはザラにある。もちろん、毎年同じような反応が来るものもあったりするのだけれど、これも「必ず」といえるものはひとつもない。

ここにきてようやく、なぜあの幼稚園で、あれほど勉強熱心、仕事熱心な先生たちが毎日残業をして子どもたちのために尽くしながら、なぜあれほど子どもたちがしんどそうだったのか、理解できた。つまり、過去にやって「よかった」と評価されたこと、さらに他の園の実践の中から「これはよかった」と評価の高いことをできる限り導入し、そして、いったん導入して「よかった」と評価したものに関しては基本的に次年度以降もやる。「よかった」ことをやらない理由がない。去年よかったことなら今年もいいはずで、そうやっていいことがどんどん蓄積していけば子どもたちにとっても素晴らしい幼稚園生活になるはずと、無条件に考える。だから仕事はどんどん増える。そうであっても、子どもたちのことを思えば、がんばれる。そうやって実際に若い先生たちは頑張っていたのだろう。だが、それは結果として子どもたちの負担を増やしていた。

一方のこちらの方の保育園では、過去の成果は、知識・経験としては蓄積されているが、それを自動的にスケジュールに組み込むことはしない。やってもいいし、やらなくてもいい。ただ、「ここで必要だな」と思ったら、すばやく実施に移す。その機動力、瞬発力は感心する。それよりなにより、子どもたちのニーズを的確に把握する能力は、ほんと、プロだなあと思う。そして、子どもたちはその保育士たちの手助けに敏感に反応する。心の底から笑い、そして成長する。

 

息子は結局その保育園を卒園した。そして、彼が年長児のときに私の思いつきに飛びついた保育士さんのおかげで、年一回のイベントが誕生した。しかし、そんな園だ。「今年はやめておきましょう」というのがいつあってもおかしくない。

そして、私の方も思う。「去年までやってたから今年も」と、惰性でやるのは子どもたちに失礼だと。本当に子どもたちがそれを望み、そしてそれが子どもたちの成長に役立つことをていねいに確かめながらでなければ、続けてはいけないことだと思う。

そして、いつかはこのイベントも終わりにしなければならないとも思う。長く続ければ、いつかそれは習慣のようなものになる。それはちがう。本当に必要なことをゼロから工夫して生み出すことを、人間は常に続けなければいけないのだと思う。そういう意味では、車輪は何度再発明されてもいい。

 

過去の取り組みに学ぶことは大切だ。過去にどんなことがあり、どんな成果が出たのかは、その道のプロであれば常に関心の対象になるはず。そこから引き出しを増やしていくことは、プロとしての成長になる。

しかし、そういった過去の成果を無条件に現在に当てはめることは誤りだ。そして決まり事をつくってしまうのはちがう。同じように見えても、去年と今年は同じではない。毎年続けてやっていることに「やめる理由」を見つけるのはむずかしいかもしれない。けれど、毎年のことであっても、「今年やる理由」を考えるべきだ。もしもそこに「去年よかったんだから」という理由しかないのなら、それはやめるべきだ。

惰性で生きるのだけは、やめにしよう。自分に言い聞かせながら、今年も年長児さんたちとひとときの楽しい時間を過ごす季節になっている。

 

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この記事は、こちら

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の記事にインスパイアされて書いた。「2分の1成人式」、場合によっては面白いイベントになると思うし、それが子どもたちの成長の糧になる場合もあり得ると思う。けれど、「去年やって評判がよかったから」とか、「他校の取り組みとして評価が高いから」みたいな理由だけでやるんなら、それはやめといたほうがいい。上記記事にあるように、否定的な理由だっていくらでもある。だからといって無条件にすべて廃絶すべきだというのもちがう。そうではなく、それが本当にその年度のその子どもたちにとって必要なのかどうかを真剣に考えて、その上でやるならやればいいと思う。 

ちなみに、小学校、中学校では、年中行事は既に年度初めには決まっている。それが必要かどうかを子どもたちの様子から判断するのではなく、「この年齢の子どもにはこれが良かろう」的な決め付けで行事が組まれているように思えてしかたない。それって、仕事を増やすだけで実効性が薄いんじゃないかと思うのは、ちょっと理想論過ぎるのだろうか?