奇妙な三輪車 - Like-t3に乗ってみた

私は、長いこと自動車の免許をもっていなかった。もともと都市部に住んでいたからその必要を感じなかったからであり、自動車学校に払う数十万円とそこに通う時間をもっとほかに使いたかったからでもある。地方都市に移住を決めたときにはちょっと不便を感じたが、そこはいい自転車を買うことでなんとかしのいだ。列車移動と輪行を組み合わせると、けっこう機動力があった。何しろ若かったしね。

その後、もっと田舎に引っ越してやむなく原付免許はとったが、それでも車には乗らなかった。40を過ぎ、子どもが生まれる直前になってようやく、必要性を実感した。そこからのドライバーだから、運転歴は浅いし、まあ、下手くそだ。郡部限定、軽オートマ限定でしか乗ってなかった。その後、都市郊外に引っ越して少しは車に乗る時間も増えたが、それでも決して車について何か語れるような人間ではない。そういう前提での話。

 

車は小さいほうがいい。むかしからそう思ってきた。もちろん、運搬のためには大きさは必要だ。引っ越し用のトラックなら、大きい方がいい。しかし、人間を運ぶだけなら大きい必要はない。そして、運転だけなら小さいほうが扱いはいい。狭い道でも通れるし、ちょっとしたスペースでも駐車できる。そんなふうに思ってきた。

日本の公道で走れる最も小さい四輪車は、実は50ccの原付きバギーだ。いまはホビー車しか売っていないが、20年ぐらい前には光岡自動車が乗用車タイプの50cc車を出していた。欲しかったがやがて製造中止になり、中古でも入手は困難になった。そしてこの車、少々難がある。50ccなので、一人乗りだ。車を使いたいケースでけっこうあるのが送迎。これには使えない。

小さくて、隣に一人ぐらいのせることができる車。そういうコンセプトの車は、実は存在する。超小型モビリティと呼ばれるものだ。ただ、このタイプの車、試験的な導入はもう何年も前から行われているのに、法改正がなぜか行われず、一般販売がされないままに過ぎている。地域限定で試験的な運用が行われているのみ。その他の地域では走れない。なんでだ? 各メーカーがいろんな試作品を出していて、すぐに製品化できそうなところまで来ているというのに。ま、あんまり金儲けにならないからだろうか。買いたくても売ってもらえない。

 

というようなことを考えていたところに、実家の両親が車を手放した。年をとってからはけっこう大きな車に乗っていたのだが、それは「この車なら安全だ」という考えから。確かに、いろいろな安全評価を調べてみても、このでかい車は安全性が非常に高い。しかし、それは搭乗者の安全だ。高齢ドライバーの危険性は広く指摘されている。そして、一旦事故を起こしたら、たとえ搭乗者は安全でも、巻き添えになるひとが出る可能性が高い。そんなとき、いくら戦車のように安全な車でも、いや、それだからこそ余計に、危険だ。そういうことを息子2人がやいやい言ってたら、ついにある夜、決断した。それが先週のこと。このあたりの踏ん切りの早さは見習いたいものだと思う。

だがしかし、これはある部分では非常に困ることでもある。というのは、足がなくなるということは、ちょっとものを運びたいとか、ちょっと徒歩では行きにくいところに行きたいとか、そういった折に、こちらが呼び出されるということでもあるからだ。車を手放すことを積極的に働きかけた兄貴はいい。彼は遠方に住んでいる。中途半端に近く(車で1時間余、電車で2時間余)の場所に住んでいるこっちの身にもなってほしい。親が年をとればそっちの用事が増えるのは仕方ないとはいえ、こっちだって貧乏暇なしだ。自立できる部分は自立していてくれる方がありがたい。

 

何か移動手段をと思ったときに、光岡自動車のLike-t3というのがあることを思い出した。

www.mitsuoka-motor.com

これは、コンセプト的にはまさに超小型モビリティ。ただ、法制度が追いつかずに販売ができない他社の製品とは違って、3輪にすることで「側車付自動二輪車」として販売が可能になっている。これが高齢の両親の足になってくれるかもしれない。

問い合わせてみると、扱っているディーラーがいくつかあることがわかった。大阪にあった1軒を紹介してもらい、今日、行ってきた。この動画はディーラーの担当の方が脇で指導しながら高齢の私の母が運転している様子。

www.youtube.com

このあと私も少し試乗させてもらった。その感想を少し書いておこう。基本的には普通車と大差ないので、気になったところだけ。

まず、操作性で気になったのは、アクセル。ふだん私が乗っているオートマ車とちがって、ドライブにしたときのクリーピングがない。これはいいことでもあるのだが、発進時にクリーピングを利用して徐々に踏んでいくクセがついているので、違和感が大きい。そして、回生電力を発電する関係で、いわゆるエンジンブレーキの効きが非常に大きい。アクセルを完全に離すと大きな制動がかかる。つまり、アクセルの踏み具合でコントロールしていく感覚がふつうの車とちょっとちがう。アクセルとブレーキの踏み分けではなく、基本的にアクセルだけで操作する感じ。

あと、バックのときに特に感じたのだが、ハンドルが重い。意外かもしれないが、これはつまり、最近の自動車がパワーステアリング標準装備なことによる相対的なものだ。おそらく昔の四輪車のハンドルよりは軽いのだと思うが、たとえば止まっているときにハンドルを動かそうとしても動かない。少しだけでも前進か後退していれば問題ないのだが、止まった状態でハンドルを切ろうとしてもなかなか腕力がいる。

そして操作性ではなく、決定的に気になるのは揺れだ。 なにせ、タイヤの直径が小さい。タイヤが小さいということは、ちょっとした道路の凹凸にも敏感に反応するということだ。もちろん、普通車に比べるとサスペンションもお手軽にできているのだろう。揺れること揺れること。低重心で安定性はいいということなのだけど、ちょっと怖くなるぐらいだ。

そういうこともあって、スピードは出せない。説明では52キロでリミッターを付けてあるらしく、そこまでしか出ないという。逆にいえばそこまでなら出るはずなのだけれど、時速30キロまで上げることもできなかった。たぶん最大に出したのは28キロぐらいで、それでも「速いなあ」という体感。むかし、背の低い軽自動車に乗っていたときには地面が近くて体感速度がずいぶんと早く感じたが、それに近いかもしれない。ふだん乗ってる車と、同じ速度で倍ほども速さの感覚がちがう。これは、車室がないことから来ているのかもしれない。

そう、一応は二輪車なので、車室は付けられないのだそうだ。だから基本は吹きさらし。オプションで風防と屋根はあるのだけれど、オープンカー状態。だから、電気自動車でエンジン音がしないことと相まって、周囲の音はよく聞こえる。視界も良好。これはこれで、ちょっとだけ嬉しい。

 

とまあ、一通り試乗したのだけれど、さて、高齢の親が買う気になるかどうかはわからない。私でさえ30キロで怖いと感じるぐらいだから(まあ慣れたら感覚は変わるとは思うが)、親がそれほどスピードを出すとは思えない。交通事故のほとんどはスピードの出しすぎによるものだから、30キロ以下の低速で常に走っている分には不注意から事故を起こしても大きな被害はないだろう。そんなスピードで公道を走られたら周囲の車は迷惑だが、幸いに車通りの少ない道を選んで走ることができる環境に住んでいる。そういう諸点を考えてみたら、私としてはあと数年の足としては有りかなあという気がする。

ただ、値段がけっこう半端ではない。定価で140万ぐらいする上に風防と屋根のオプションをつけると200万に近い値札がつく。数年の使用と考えたら、安くない買い物だ。それも、近場の移動だけに使う限定的な用途だから、なお割高感はある。私と違って両親はそこそこに余裕がある方だが、そこまでの出費をするだろうか? それに、やっぱり乗り心地のわるさや操作性の違いは気になるだろう。

ということで、結果はどうなるかわからない。ただ、私としては、なかなかおもしろい体験をさせてもらった一日だった。楽しかった。 

保育園で国歌・国旗は強制できない(技術的にも、法令的にも)

今日もまた、我が家に7人の保育園児がやってきた。前回記事にも書いたが、年長児たちが卒園を前に、「よそのお家」に遊びにくる企画だ。こういう変な企画にノッてきてくれる保育園があって、本当にありがたいなあと思う。そして、保育園って、そういう融通無碍なところがあるからいいよなあとも思う。なにせ、学校じゃないから。

その保育園に「国歌・国旗」というようなニュースが以前あって驚いた。たとえば、こういう報道。

www.asahi.com

パブリックコメント募集中ということなので、これは一言言わなければいけないと思った。自分で調べればいいのだけれど、ちょっと手が離せなかった。こういうときには、はてな界隈の人々が頼りになる。こっちのブコメ

b.hatena.ne.jp

に「誰か、パブコメのページのアドレスを貼ってくれ!」と書いたら、さっそくid:kanflu さんが教えてくれた。私のズボラを助けてくれて、感謝しかない。

で、ようやく少しだけ手が空いたので、パブコメの下書きでもしようかと思った。厚生労働省に文句を言ってやろうというわけだ。そして、教えてもらったページにあった資料を見て、ちょっと考えこんでしまった。これ、むずかしいわ。

 

改正告示(案) には、「国旗」「国歌」がそれぞれ1回ずつ出てくる。すなわち、

第2章 保育の内容

(中略)

3  3歳以上児の保育に関するねらい及び内容

(中略)

(2) ねらい及び内容

(中略)

ウ 環境
周囲の様々な環境に好奇心や探究心をもって関わり、それらを生活に取り入れていこうとする力を養う。
(ア) ね ら い
①身近な環境に親しみ、自然と触れ合う中で様々な事象に興味や関心をもつ。
②身近な環境に自分から関わり、発見を楽しんだり、考えたりし、それを生活に取り入れようとする。
③身近な事象を見たり、考えたり、扱ったりする中で、物の性質や数量、文字などに対する感覚を豊かにする。

(イ) 内 容
① 自然に触れて生活し、その大きさ、美しさ、不思議さなどに気付く。
②生活の中で、様々な物に触れ、その性質や仕組みに興味や関心をもつ。
③季節により自然や人間の生活に変化のあることに気付く。
④自然などの身近な事象に関心をもち、取り入れて遊ぶ。
⑤身近な動植物に親しみをもって接し、生命の尊さに気付き、いたわったり、大切にしたりする。
⑥生活の中で、我が国や地域社会における様々な文化や伝統に親しむ。
⑦身近な物を大切にする。
⑧身近な物や遊具に興味をもって関わり、自分なりに比べたり、関連付けたりしながら考えたり、試したりして工夫して遊ぶ。
⑨日常生活の中で数量や図形などに関心をもつ。
⑩日常生活の中で簡単な標識や文字などに関心をもつ。
⑪生活に関係の深い情報や施設などに興味や関心をもつ。
保育所内外の行事において国旗に親しむ。
(ウ) 内 容 の 取 扱 い
上記の取扱いに当たっては、次の事項に留意する必要がある。
①子どもが、遊びの中で周囲の環境と関わり、次第に周囲の世界に好奇心を抱き、その意味や操作の仕方に関心をもち、物事の法則性に気付き、自分なりに考えることができるようになる過程を大切にすること。また、他の子どもの考えなどに触れて新しい考えを生み出す喜びや楽しさを味わい、自分の考えをよりよいものにしようとする気持ちが育つようにすること。
②幼児期において自然のもつ意味は大きく、自然の大きさ、美しさ、不思議さなどに直接触れる体験を通して、子どもの心が安らぎ、豊かな感情、好奇心、思考力、表現力の基礎が培われることを踏まえ、子どもが自然との関わりを深めることができるよう工夫すること。
③身近な事象や動植物に対する感動を伝え合い、共感し合うことなどを通して自分から関わろうとする意欲を育てるとともに、様々な関わり方を通してそれらに対する親しみや畏敬の念、生命を大切にする気持ち、公共心、探究心などが養われるようにすること。
④文化や伝統に親しむ際には、正月や節句など我が国の伝統的な行事、国歌、唱歌、わらべうたや我が国の伝統的な遊びに親しんだり、異なる文化に触れる活動に親しんだりすることを通じて、社会とのつながりの意識や国際理解の意識の芽生えなどが養われるようにすること。

(以下略。ボールド指定は本ブログ筆者)

となっている。保育の「内容」に「国旗に親しむ」が入り、「内容の取り扱い」に「国歌(に)親しんだり」と入っていることから、ここだけ読むと「ああ、保育園で国旗・国歌を扱うようにという指針なのかなあ」と思ってしまう。しかし、この「保育に関するねらい及び内容」が何なのかということを読んでみると、さらに上の方に、

第2章 保育の内容
この章に示す「ねらい」は、第1章の1の(2)に示された保育の目標をより具体化したものであり、子どもが保育所において、安定した生活を送り、充実した活動ができるように、保育を通じて育みたい資質・能力を、子どもの生活する姿から捉えたものである。また、「内容」は、「ねらい」を達成するために、子どもの生活やその状況に応じて保育士等が適切に行う事項と、保育士等が援助して子どもが環境に関わって経験する事項を示したものである。
保育における「養護」とは、子どもの生命の保持及び情緒の安定を図るために保育士等が行う援助や関わりであり、「教育」とは、子どもが健やかに成長し、その活動がより豊かに展開されるための発達の援助である。本章では、保育士等が、「ねらい」及び「内容」を具体的に把握するため、主に教育に関わる側面からの視点を示しているが、実際の保育においては、養護と教育が一体となって展開されることに留意することが必要である。

と定めてある。ここで重要なのは、「子どもの生活やその状況に応じて保育士等が適切に行う」、あるいは、「実際の保育においては養護と教育が一体となって展開されることに留意すること」と規定されていることだ。つまり、上記の「内容」や「内容の取り扱い」は、それを一律に実施することはもとより求められておらず、子どもの発達段階に応じて専門家である保育士が必要と認めたときに実施可能な内容を網羅してあるものと解釈すべきものだ。そして、保育園児と実際に付き合ってみればわかるが、国旗や国歌をたとえば儀式的な国旗掲揚や国歌斉唱のような形で導入できるかといえば、それは適切な発達段階を考えたらどう考えても無理。技術的にいって、もう絶対に無理。そう思ってみると、「親しむ」という文言になっている理由もわかる。「親しむ」というのは、たとえば幼児が赤い丸を描いたら「日の丸だねえ」とそれが国旗のモチーフであることを知らせるとか運動会の万国旗の中から日の丸を指摘するとか、「変な歌がテレビから聞こえる」という子に「ああ、それは国歌なんだよ」と教えるとか、そういった程度のことだろう。真正面からきちんとこの「保育所保育指針」を読むなら、それ以上のことは考えられない。そして、その程度のことが何らかの問題になるとはとうてい思えない。

 

じゃあ、すべてOKなのかといえば、ここではたと困ってしまう。私の解釈から言えば、この法令を根拠に国歌・国旗を保育園児に強制することは不可能。むしろ国歌・国旗の強制に反対する論拠になるぐらいの法令だと思う。ところが、同じ文言でも、常に別な解釈は存在する。「指針」の「ねらいおよび内容」の中に記載された「内容」と「内容の取り扱い」なのだから、これは一律に実施しなければならないというような解釈をするひとだって出てこないとは限らない。「親しむ」の意味は、当然、国旗・国歌に対する「正しい」接し方を学ぶことであると、儀礼的な対応を強制する根拠にしたがるひとが出てこないとも限らない。

そういう人々にとっては、今回、たとえ一言でも「国旗」「国歌」の文言が入ったことは大きなことにちがいない。そして、そういった曲解を防ぐために、そういった文言が入ることを防ぎたいと考える人にとっても、重大事。その気持ちは、わからなくはない。

けれど、この文言をそういった曲解の可能性があるからといって批判するのは不可能だろう。なぜなら、ふつうに読めば、国旗・国歌を強制するものではないことが明らかだからだ。書いていないことを想像でもって批判するのは、書いていないことを書いてあると曲解して喜ぶことと基本的には同じこと。それをやっても説得力はない。

 

結局は、法令の文言ではないのだと思う。どんなに素晴らしい法体系があっても、それを運用する人間がおかしければ、現実はどんどん変になる。たとえば学習指導要領だ。現行の指導要領も、今後改定される予定の案も、あるいは過去の学習指導要領だって、それぞれは、それぞれなりに立派なことが書いてある。批判したい箇所がないわけではない。というか、あちこち批判したいところだらけだ。それでも、もしもそこに書いてあるとおりの教育が行われていたなら、いまあるようなひどい学校の状況は大きく変わっていたはずだ。ここまでくだらない教育は行われてこなかったはずだ。

指導要領そのものはそこそこ立派なのに、それにもとづいて行われるはずの現実はそこからかけ離れている。次回の改訂があっても、状況は変わらないだろう。改革のための指針がそこに示されていても、現場がそれを手前勝手に解釈してしまうからだ。

だから、法令は、そこによっぽどのことが書かれていない限り、ある程度はどうでもいいのだと思う。そうではなく、それを正しく運用できる人材をつくっていくことが重要。じゃあその人材はどうやってできるのかというと、それはもう幼児教育から連綿と続く教育制度の中で育てていくしかないので、そうなったらやっぱり保育指針とか指導要領が重要で、そのためにもパブコメしなきゃなあと…

 

ああ、もうわけわかんなくなってきたよ。やれやれ。

「毎年やってるから」を理由にするのはやめよう

今年も、保育園の年長組の子どもたちが我が家にやってくる。息子が保育園の年長さんだったときに始まったこの行事、今年で9回目。よくここまで続いたもんだと思う。

中身は至って単純。保育園の子どもを5〜8人ぐらい(年によってちがう)のチームに分けて自宅に招待する。お茶(といってもふつうのお茶)を飲みながら、1時間ほどおしゃべりをする。それだけのことだ。ま、少し趣向がないこともないのだが、それは重要なことではない。長いこと続けてきて、このイベントの最大の効用は子どもたちに「よそのお家」を見てもらうことだと思うようになったからだ。

私が子どもの頃には小さな子どもは基本的に世界がフリーパスで、よその家に上がりこんでも、「子どもだから」と許されるところがあった。まあ、狭い世間で、誰がどこの子だかもわかっていたしね。だから、よその家の暮らしが自分のところとちがうことぐらいすぐにわかった。子どもたちは無意識のうちに多様性に対する耐性を身につけていた。ところが最近では、密室性の高いよその住宅に足を踏み入れることは安全性の上から想像さえできなくなった。必然的に、生活空間は自分の家や親戚、親しい友達の家ぐらいしか知らなくなる。そういう子どもが、往々にして「ふつう」という言葉を口にする。たとえば、「おうちではどんなストーブを使ってる?」と尋ねたら、「ふつうの」という返事。自分の家のふつうがひょっとしたらよその家のふつうではないんじゃないかというような想像力は働かない。だから、「よその家」を訪問する価値は十分にあると、ここ数年は特にそう思うようになった。

理屈はそのぐらいでいい。このイベントのことを細かく書くつもりで書き始めたのではない。そうではなくて、このイベント、よく9回も連続したなあと、そんなふうに思う。来年はできないんじゃないかなあと、そんなふうにも思う。今年で最後かもと、毎年どこかで思いながらやってきた。その周辺のことを書こうと思う。

 

あるきっかけで始まったこのイベント、その次の年の年長組の担任が親しくしてもらっていた保育士さんだったので、翌年、ほぼ自動的に「今年もやりましょう」となった。そして次の年、これは恒例になるなと思って4月に保育園に相談したら、「じゃあ、また連絡ください」とのこと。特に日時を決めるわけでもなく、「いま言われてもなあ…」って反応。ああ、そうだ。ここはそういう場所だったんだと、改めて思った。

どういうことなのかというと、これは息子がこの保育園に入る前に半年だけ在籍した幼稚園との比較をするのがいちばんだろう。ちなみに息子は、親の引っ越しの関係その他で、3つの保育園と1つの幼稚園を転々とした。だから、これらの施設の運営方針が園によって大きく異なることは、実感としてわかる。やっていることは似たようなものであっても、よくよく見ればまったく別物。あと、もちろん幼稚園と保育園は組織もちがう。だからやることも多少はちがうのだけど、たぶんそのちがいは経営のポリシーのちがいによる方が大きい。

ともかくも、息子が通った幼稚園の方は、いつお迎えに行っても職員室で先生が残業をしていた。私たちはこの園のほとんど隣に住んでいたので、お迎えの時間どころか多くの先生が夜の9時過ぎまで残業していたことも知っている。夜遅くなって帰宅するときとかによくすれちがったからね。幼稚園は午後2時くらいまでが授業で、ウチのように保育園代わりに利用している家庭の子どもは3時半ぐらいから別クラスに入る。だから、担任の先生たちは園庭から子どもたちが消える3時半ぐらいからあとは事務仕事になる。その事務仕事が終わらない。夜遅くまで、終わらない。何をやっているのかといえば、たいていはイベントその他の下準備だ。このイベントは親の参観を前提としたものも、子どもたちだけのものもある。たとえば子どもの日が近づいたら鯉のぼりとか五月人形の折り紙、みたいな感じだったのだと思う。遠い記憶なのではっきりしないが、恒常的になにやかやと行事の多い園だった。

いろいろあったほうが、確かに子どもたちは飽きずに済むのかもしれない。けれど、非日常の連続が日常になっているというのも変だなあと思っていたのだが、ある日、何かのきっかけで謎が解けた気がした。息子が怪我をしたときだったかなんだったか、職員室に呼ばれて待ち時間があったのだと思う。あるいはお迎えに行ったときに職員室の中が見えるから、そのときだったのかもしれない。「○○園の取り組み見学」とか、「××の実践研究会」とか、やたらと研修系の行事が組まれていた。そういうのをぼうっと見ていて、「取り組み」とか「実践」って業界用語なのかなあとか考えていた。成果とか、けっこうみんな真剣に考えてるんだなあとか。そして、気がついた。全国いろんな園で、いろんな工夫が行われる。そういう「取り組み」とか「事例」をどんどん学んで取り入れていく。だから、あれだけ多種多様な行事ができる。そういうことなのか、と。そして、だからこそ、あれだけ先生方が忙しいのだと合点がいった。これは、まあ感謝すべきなのだろうと思った。それだけ仕事熱心な人々が幼児教育を支えている。その割に、いまひとつ息子の顔が冴えないのは、まあそういう時期なのかもしれないと思ったりもした。気のせいか他の園児たちもストレスフルな顔をしている。3歳児って、そういうものなのかもしれないとか。

この幼稚園から保育園に替わったのは、完全に親の都合だった。幼稚園は休みも多く、なにかと時間をとられる。働く親には保育園のほうが都合がいい。だから保育園に入りたかったのだが、まずは待機リスト入り。待っている間も仕事はやってくるから、つなぎのつもりで幼稚園に通わせた。そして半年、ようやく保育園の空きができた、というわけだ。

この保育園、ちょっと変わった園で、「運動会とか、やらないんですよ」と言う。「親御さんを呼ぶのは子どもにとっても負担ですからね。その代わり、運動会ごっことかやる年もあります」とか、入園前の面接のときに言う。なるほど、親を呼ばないから「運動会」という名前じゃないのかと思ったら、「まあ、やるかどうかは子どもたちの様子を見てになりますけどね」と、やらない可能性もある、という。一時が万事こんな感じで、「畑とか、やってるんですよね」とホームページの情報を元に聞いたら、「むかしは近所で借りてたんですけど、いまは園庭の隅にちょっとさつまいもを植えるくらいです」とか、伝統みたいなのにはぜんぜんこだわらない。

じゃあそれだけ手抜きなのかといえば、確かにこの園に残業らしい残業はない(後に知ったことだが、まったくないわけではなく、それこそ渾身のイベントみたいなときにはけっこう遅くまで残っていたりしていた)。早番の保育士さんなんかは、子どもと一緒に帰っている。遅番の保育士さんは子どもより後に出てくる。けれど、手は抜いていない。それどころか、かゆいところに手の届くような細かな心配りを見せてくれる。

そして「今日は天気がよかったので遠くまで散歩に出かけました」とか、「みんなでくふうして洗濯バサミでこんなものを作りました」とか、とにかく毎日とてつもなく楽しそうな出来事が起こっている。予め準備が必要なものもあれば、即興でやってしまったようなものもある。けれど、「子どもの様子を見ながら」必要と思ったときに的確なイベントを繰り出してくる。そして何よりも息子が活き活きとしてくる。毎日が楽しくてしかたないという顔をする。

しばらくそういう園のやり方を見ていて、ようやくわかった。「素晴らしい取り組み」とか、「指導の工夫」とか、「期待する成果」とか、そんなものは子どもたちの状況によって一律にはいえないのだと。どんなに評判のいいイベントを実施した実績があっても、そして仮にそれによって子どもたちも大きく伸びるようなことがあったとしても、次の年に同じことをやって同じことが起こるという保証はない。むしろ、同じことは基本的には起きないと思ったほうがいい。なぜなら子どもの集団というのは同じ年齢の同じ時期に同じ反応を示すようなものではないからだ。これは私も年に1回、年長児さんたちを毎年見てきて思う。子どもたち一人ひとりに個性があるように、その集団にも個性がある。去年通じたネタが今年通じないことはザラにある。もちろん、毎年同じような反応が来るものもあったりするのだけれど、これも「必ず」といえるものはひとつもない。

ここにきてようやく、なぜあの幼稚園で、あれほど勉強熱心、仕事熱心な先生たちが毎日残業をして子どもたちのために尽くしながら、なぜあれほど子どもたちがしんどそうだったのか、理解できた。つまり、過去にやって「よかった」と評価されたこと、さらに他の園の実践の中から「これはよかった」と評価の高いことをできる限り導入し、そして、いったん導入して「よかった」と評価したものに関しては基本的に次年度以降もやる。「よかった」ことをやらない理由がない。去年よかったことなら今年もいいはずで、そうやっていいことがどんどん蓄積していけば子どもたちにとっても素晴らしい幼稚園生活になるはずと、無条件に考える。だから仕事はどんどん増える。そうであっても、子どもたちのことを思えば、がんばれる。そうやって実際に若い先生たちは頑張っていたのだろう。だが、それは結果として子どもたちの負担を増やしていた。

一方のこちらの方の保育園では、過去の成果は、知識・経験としては蓄積されているが、それを自動的にスケジュールに組み込むことはしない。やってもいいし、やらなくてもいい。ただ、「ここで必要だな」と思ったら、すばやく実施に移す。その機動力、瞬発力は感心する。それよりなにより、子どもたちのニーズを的確に把握する能力は、ほんと、プロだなあと思う。そして、子どもたちはその保育士たちの手助けに敏感に反応する。心の底から笑い、そして成長する。

 

息子は結局その保育園を卒園した。そして、彼が年長児のときに私の思いつきに飛びついた保育士さんのおかげで、年一回のイベントが誕生した。しかし、そんな園だ。「今年はやめておきましょう」というのがいつあってもおかしくない。

そして、私の方も思う。「去年までやってたから今年も」と、惰性でやるのは子どもたちに失礼だと。本当に子どもたちがそれを望み、そしてそれが子どもたちの成長に役立つことをていねいに確かめながらでなければ、続けてはいけないことだと思う。

そして、いつかはこのイベントも終わりにしなければならないとも思う。長く続ければ、いつかそれは習慣のようなものになる。それはちがう。本当に必要なことをゼロから工夫して生み出すことを、人間は常に続けなければいけないのだと思う。そういう意味では、車輪は何度再発明されてもいい。

 

過去の取り組みに学ぶことは大切だ。過去にどんなことがあり、どんな成果が出たのかは、その道のプロであれば常に関心の対象になるはず。そこから引き出しを増やしていくことは、プロとしての成長になる。

しかし、そういった過去の成果を無条件に現在に当てはめることは誤りだ。そして決まり事をつくってしまうのはちがう。同じように見えても、去年と今年は同じではない。毎年続けてやっていることに「やめる理由」を見つけるのはむずかしいかもしれない。けれど、毎年のことであっても、「今年やる理由」を考えるべきだ。もしもそこに「去年よかったんだから」という理由しかないのなら、それはやめるべきだ。

惰性で生きるのだけは、やめにしよう。自分に言い聞かせながら、今年も年長児さんたちとひとときの楽しい時間を過ごす季節になっている。

 

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この記事は、こちら

makomako108.net

の記事にインスパイアされて書いた。「2分の1成人式」、場合によっては面白いイベントになると思うし、それが子どもたちの成長の糧になる場合もあり得ると思う。けれど、「去年やって評判がよかったから」とか、「他校の取り組みとして評価が高いから」みたいな理由だけでやるんなら、それはやめといたほうがいい。上記記事にあるように、否定的な理由だっていくらでもある。だからといって無条件にすべて廃絶すべきだというのもちがう。そうではなく、それが本当にその年度のその子どもたちにとって必要なのかどうかを真剣に考えて、その上でやるならやればいいと思う。 

ちなみに、小学校、中学校では、年中行事は既に年度初めには決まっている。それが必要かどうかを子どもたちの様子から判断するのではなく、「この年齢の子どもにはこれが良かろう」的な決め付けで行事が組まれているように思えてしかたない。それって、仕事を増やすだけで実効性が薄いんじゃないかと思うのは、ちょっと理想論過ぎるのだろうか? 

「敬語」は「敬語」じゃない - 文法教育に存在するバグ

敬語は不要ではないか。誰もがそう思う一瞬があるだろう。けれど、なくならない。それには理由がある。

anond.hatelabo.jp

敬語がなければ、日本語が日本語にならない。なぜかといえば、敬語は日本語文法の中にしっかりと食い込んでいるからだ。だから、敬語は本来文法知識として整理して教えるべきなのだが、なぜだか国語教育ではそういう扱いをされていない。おい、言語学者!なにをやってる!

敬語(デジタル大辞泉
話し手または書き手が相手や話題の人物に対して敬意を表す言語表現。日本語では敬意の表し方によって、ふつう、尊敬語・謙譲語・丁寧語の3種に分けられる。敬譲語。→尊敬語 →謙譲語 →丁寧語 →待遇表現

これ、ちがうからね。いや、確かに「敬意を表す」場面で使われる。けれど、それが何のためにという説明が根本的に抜けている。目的がわからないから、「敬意は態度と気遣いで示せばいいやろ」というような誤解が出てくる。「敬意を示すこと」が目的なんじゃないから。

じゃあ、敬語というものを使う目的はなんなのかといえば、それは日本語を使ったコミュニケーションを円滑に進めるためだ。耳で聞いて(あるいは文字として読んで)理解しやすい表現をつくりあげるためだ。どういうことか?

 

日本語の特徴として、「主語がない」というのがよく指摘される。これは和文英訳なんかしてるとすぐに気がつくことだ。あるいは、下手くそな和訳を読んでいて目につくこと。英語の「I」とか「You」をいちいち「私」「あなた」と訳していたら、可読性が著しく低い日本文ができあがる。日本語に主語がないわけではないが、出現頻度が著しく低い。

だが、意味論からいえば、これはおかしなことだ。「主語」とは動作の主体のことであり、動詞があったら必ずその主体としての主語がなければならない。英語は神経質なぐらいにその主語を特定していく文章構造を持っている。日本語はそうではない。そうではないけれど、やはり動作主体としての主語は存在する。ただ、文法規則によって、それを明示的に書かない。言わない。


その文法規則の第一は、「いったん主語が特定されたら、次の主語が出てくるまではその主語が主語としての地位を継続する」というものだ。あ、これって学校で教えてくれないからね。なんでこんな重要な文法規則が中学校の教科書に載ってないんだと思うんだけど、そのぐらい、自分が使う言語についてはみんな見えなくなってしまっている。けど、ちょっと意識して文章を見てほしい。たとえば作文で、「私は就活に失敗しました。いま、コンビニでアルバイトをしています」みたいなことを書くときに、絶対に2番めの文に「私は」を書かないはず。もしも書いたら、「まともな日本語も書けないから就職できないんだ」みたいに皮肉を言われるかもしれない。主語を改めて書くのは、前から続いてきた主語が変化するときだけ。ただし、ここで言う主語は、代表的には「は」系統の助詞で特定される主語。「が」系統の主語は臨時の主語だから、1回限りしか使えない。こういう「は」と「が」の使い分けは、主語を省略していくうえでものすごく重要だから、これが下手くそな人の文はだんだん何が言いたいのだかわからなくなってくる。

そして主語を省略する文法規則のもうひとつが、「敬語」だ。たとえばここまでの文で私は文例中以外では「私」という主語を使ってこなかったが、たとえば「なんでこんな重要な文法規則が中学校の教科書に載ってないんだと思うんだけど」という部分の「思う」の動作主体が書き手である「私」だということは書かなくてもわかる。つまり、ここでは主語を省略している(英語だったらもちろんI thinkと主語と動詞をセットにしなければならないのは言うまでもない)。なんで省略できるのかといえば、「思う」という敬語を含まない表現に対応する主語は基本的には「自分」でしかないから。

つまり、敬語表現は、それが存在することによって主語が特定できる、という機能を担っている。いったん特定できた主語は次の主語が出てくるまでは主語であり続けるから、うまくすれば最後まで主語が文字(あるいは音)としては出てこない文というものをつくることができる。たとえば「本企画についてご検討いただけませんでしょうか」というような文では、「検討いただく」という敬語表現が入っているから、主語は相手であることが明瞭になる。「先日ご来訪いただい折にご説明申し上げた内容についてご理解いただけるならすぐに進めさせていただきます」というようなややこしい文でも、「来訪」したのは相手で「説明」したのは自分で、「理解する」のは相手で「進める」のは自分だということが、敬語表現からはっきりする。もしも英語でこれをやろうと思ったら、「I would like to start right away if you think it is alright to go along with the idea I described at the meeting when you visited our office」みたいに「I」やら「you」やらがどっと入ってくるはず。日本人的感覚だと、こういうのは非常に煩雑で、コミュニケーションを阻害する。そこで動作の主体を的確に表す方法として、「敬語」というものが導入されたと、まあ「導入の経緯」はウソだけど、そう思ってもいいんじゃないだろうか。

また、英語をやってて気づくのは、所有格がやたら出てくることだ。たとえばfatherとかmotherというような名詞は、通常は必ず所有格とセットで用いられる。なぜかといえば、父親や母親は、必ず誰かから見ての父親・母親なのであって、だれから見てのものかを特定しないことにはその身分になれない。だから、my fatherとかhis motherのように、ふつうは所有格をつける。ところが日本語では、ふつうはそうしない。その代わり、「父」といえば話し手の父親だし、「お父さん」とか「お父上」といえば相手の父親だとわかる。自分の親のことを「ご尊父」なんていったらおかしいというのは、敬語表現としておかしいということ以上に、だれの「父」なのか特定が混乱するからだ。「お許し」といったら、相手の許可であって自分の家族の許可ではないことは、敬語表現から明らかなわけだ。

 

つまり、敬語というのは本来は敬意を表すためのものではなく、動詞の動作主体や名詞の所有者を特定するために必要な文法要素だ。敬意なんてのは、本来はどうでもいい。ただし、そこに古来の長幼の序という常識を当てはめないことには、正しい使用法ができない。そして長幼の序みたいなのが時代遅れじゃないか的感覚が生まれると、「敬語不要論」みたいなのが出てくる。

しかし、重要なのは、日本人にとって、動詞や名詞の変化によって主語を特定する方法が文法規則に組み込まれているということなのだ。だから、何も封建的な序列を使う必要はない。もしも必要なら、それに代わった語形変化を導入すればいい。ただし、そういった語形変化を一切廃止したら、一行ごとに「私」とか「あなた」とか「彼」「彼女」が出てくる変な日本語を喋らなきゃいけなくなる。ま、それが変だと思うのが変な時代が来るのかもしれないが、当面は、それが変だと主張する方に歩があると思う。

 

だから、敬語は廃止できない。「敬語」という呼び方は、廃止したほうがいいと思うけどね。あー、国語教師! なんとかしてくれ!

 

 

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追記:

この内容、以前、id:zetakunさんのこちらの記事

www.chishikiyoku.com

を見て書きたかったのが、タイミング逃して今頃になった、というものでもあったりする。ほんと、日本語って、けっこう誤解されてるよ。

PTAの義務的参加は教育上よろしくない

PTAの問題は、巨大すぎてちょっと正面からは触れない。けれど同時に、子どもをもったら避けて通れない。PTA改革は地域差が大きくてそこそこに進んでいるところでは進んでいるようなので一概に批判ばっかりしているのもなんなのだけれど、少なくとも私の身近では、「入学したら原則全世帯加入、クラス役員は義務」というのがふつうなので、それがふつうになっている世界に対しては批判はしてもいいのじゃないかと思う。ちなみに、「原則」は原則で民法上は強制加入できないから、「PTA入りません」というひともなかにはいる。けれど、それはPTAの内部では「会費の未払い問題」的な扱いでしかなく、それがPTAの内部改革を促すものにはなっていない。そのあたりもなんだかなあ、という感じなんだが、あまり踏み込むのはやめておこう。

 

私は「そもそも論」が好きなので、そもそもPTAって何なのかというところに少しだけ触れておくと、これは2つの大きな歴史的事情を抜きにしては語れないと思う。1つは明治の学制発布だし、もうひとつは戦後の学制改革だ。後者に絡んでは、アメリカのPTA運動も絡んでくる。

学校と地域を語る上で何より重要なのは、明治の学制発布で創設された各地の小学校は、基本的に「むら」の財産だったということだ。どういうことかといえば、中央政府は「義務教育を実施する」と声高に宣言したものの、財政的な措置は何ら行わなかった。義務教育を実施するための資源を用意するのは地域に丸投げされた。この時代の行政単位はコロコロと変化したが、実体として存在し機能していたのは室町時代以来の歴史がある「むら」だったから、多くの場合(特に山村部では)「むら」が自力で小学校をつくった。詳しい資料とかを見てると面白いのだけれど、そのあたりを全部省略していうなら、「むら」の人々が金銭や労力を出しあって創り上げた小学校が、やがて町村制とともに自治体に吸収されていき、現在の公立学校になっていった。けれど、もともと「むら」のものだという意識は、強く地元に残った。だから、むらの運動会を小学校でするのはあまりに当たり前の感覚として、長く残った。むらの小学校を地元の人々が応援するのは当然の感覚だった。実際、私の祖父は戦後しばらくしてある小学校のPTAの会長をつとめたのだけれど、それは既に子どもたちが成人して以後のことだった。つまり、学校を支援する組織は、地縁によって形成されていたのであり、単に「子どもが学校に通っているから」といった直接的な利害関係によって成立していたのではないわけだ。第二次大戦前には、「学校を地域で支える」感覚がふつうだったこととその背景は、PTAを考える上で忘れてはならないことだと思う。

そういう素地があったところに、戦後の「民主化政策」のなかで、アメリカのPTAをモデルにしたPTAが生まれることになった。合衆国のPTAは、全国組織として最古・最大のボランティア団体ということになっているそうだが、その歴史は1897年の母親大会に遡るらしい。その理念を日本に持ち込もうとしたのがGHQであり、戦後の教育制度改革のなかでそれが定着していく。このあたりは、シロウトの私がどうこう言うよりも、専門家の文献でも見てもらったらいいだろう。

PTAの歩みと現状(仲田陽一, 1981)

「むらの小学校」という素地があった上にアメリカのかたちを乗っけたPTAは、合衆国で果たしていたアドボカシー的な役割を放棄し、単なる学校の下請け、学校の支援組織として日本に定着した。そういうふうにまとめてもいいのかもしれない。言葉を替えれば、明治政府が音頭はとったものの実施を地域に丸投げにした伝統を受け継いで、公的な教育において不足するリソースを地域から吸収するための機関としてPTAが必要とされたといってもいいのかもしれない。「全加入」の原則がなぜ生まれたかを考える上で、このあたりは重要。

 

さて、そういう歴史を踏まえてみると、複数の立場からPTAの批判が可能なことがわかる。根本的には「そもそも公教育は公的なリソースの配分によって行われるべきである」とする立場からの批判だろう。つまり、無償で行われるべき義務教育においてそれが子どもたちの家庭に何らかの負担を強いるのは実質的な有償であって、おかしいのではないかという視点だ。もうひとつは、ある程度の受益者負担を認めるにしても、それが現状のPTAでは機能していないのではないかという視点だ。他にもあると思うが、この2つはしっかりと分けておく必要がある。

私は根本的には前者の立場で批判をしたいのだけれど、「じゃあ、本当に税金だけで学校が運営できるのか?」という実務的な財政論にまで踏み込まれたら、しっかりした議論ができる自信がない。あるいは、そこまで踏み込むのならそもそも公教育がどのように運営されるべきかという理念にまで遡らないとやってられないという気がする。だから、この立場はとりあえず封印するとする。

その上で、「現在のPTAは学校の下請け機関、支援機関としての役割を果たせていない」ということを、自分自身の経験から主張したい。小さな経験であり、一地域のささやかな事例である。当然、「それは一般論ではない」という指摘は十分に予想できる。だが、問題提起としては十分だろう。

 

もう8年近くも前になる。息子が小学校に入ったときに、私はクラス役員に立候補した。これは、「クラス役員は6年間の間に絶対に回ってくる。高学年になって役員になったら、いろいろ大変だ。1年生の間は『何も知りません』で通せるから、同じやるなら早いうちにやっといたほうがいいよ」というアドバイスを妻がもらってきたからに過ぎない。なにもPTA活動を積極的にやろうなんてボランティア意識が強かったわけでも何でもない。ちなみに、その時点で妻は毎日勤めに出ていたし、私は自営業なので比較的時間に自由がきいた。だから、PTAは私が分担するのが当然の成り行きだった。

さて、配属された委員会では、しょっぱなから代表選びで揉めた。案の定、1年生の親である私は「何も知りませんから」で選考対象からは落ちたが、最後にはじゃんけんで数名が決戦をした。このとき、不在者が何人かいたのだけれど、それは代理がじゃんけんに参加するというかたちだった。結果、不在者が代表に決まった。

「そんなんでええのん?」と思ったが、「公平」をたてにそれで進むことになった。結局その代表者は1回だけ集まりに顔を出したが、仕事があるからということで基本は欠席となった。それでも、副代表ががんばってくれたおかげで、活動はそれなりに進んだ。

だが、その「活動」、「前年度を参考にしてもいいですけど、基本的にはみなさんがやりたいことをやるようにしてください」と、タテマエは会長が強調していたものの、完全に前年度のコピーでしかなかった。それも、およそ誰も価値があると評価しないような印刷物の作成だったりアンケートの実施だったりだ。「これって意味ないよね」みたいなことを、先輩委員たちは平気で言う。「じゃあ、やめましょうよ」って思い切って言ってみたら、「でも、することがなくなっちゃうし」との反応。「もっといい企画とか考えましょうよ」的な誘い水をかけても、迷惑そうな顔。

ここで気がついた。誰も「PTAで学校をよくしよう」みたいな理想でPTAに参加していない。そうではなく、(私を含め)「義務だから」来ている。もしもそこで「何が本当に学校のため、子どもたちのためになるか考えましょうよ」みたいなことを言っても、それは嫌々来ている参加者に新たな負担を強いるだけにしかならない。「私は最低限の仕事をしてさっさと帰りたいのに、余分な仕事をふやしてほしくない」というのがどう考えてもホンネだ。そして、最低限の仕事なら、前年度のものをそのまんまやるのがベストだ。新たな企画を立てるのはエネルギーを必要とする。そんな余分なエネルギーなど、誰がくれてやるものか!

そして、結果として作業は非常に非効率的になる。もともと獲得目標が曖昧なものだから「去年こうしていたみたいだから、同じようにやりましょうよ」という姿勢から一歩も出ない。「こういう目的ならこの方が絶対に手数がかからず楽なのに」というアイデアがあっても、その目的が本当にそうなのかどうか、誰も確認しようとしない。結局、アイデアは潰れる。

それでも、たとえば多少エクセルやらワードのスキルがあるひとがそこに参入すると、その作業の部分だけでも効率化する。効率化すると、時間が余る。その余った時間、さっさと帰らせてくれるかといえば、他のチームが終わるまでは帰れない。無駄話でもするしかない。

それが「情報交換」的な価値をもつのなら、そういうのもいいだろう。けれど、そういう有意義な話にはなぜかならない。私自身は別に女性を苦手にすることもなくけっこう世間話ぐらいはできる方だと思うのだが、やっぱり基本的に女性しかいない場所に一人男性がまじると、敬遠されるようだ(その年度のPTAクラス役員、本部役員全員のなかで男性は私一人だった)。仕事もなく、かといって何か改善する提案ができるわけもなく(それは仕事を増やす有り難くない申し出になってしまう)、無意味な時間を過ごして帰ることになる。ちなみに、この学校では教室使用の関係で、基本的にPTAの集まりは平日午前と決まっていた。そのためにわざわざ仕事の都合をつけて来ているひともいたのに、あの無意味さはほんと、つらかった。

 

このPTA活動を通じてつくづく思ったのは、義務で人を集めておいてもろくなことはない、ということだった。もちろん、義務で集められてそれなりの貢献になると思えるような場面もある。たとえば夏祭りの準備とか、そういうのにはそれ以後も何度も駆り出されたけれど、目的と仕事が非常にはっきりしているから大丈夫だ。ところが、目的もないまま(あるいは漠然と「子どもたちの安全を守りましょう」みたいな具体像を欠いた目的を提示するだけで)「義務だから」と人を集めても、そこには何も生まれない。理念としてはその目的も人々が集まって作り上げていくものではあるのだけれど、義務的に集まった人々の間からは目的そのものが生まれない。

目的がなく義務的に集まっているだけだから、最低限の労力で義務が果たされればそれがベストということになる。日本ではどういうわけか成果よりも「マジメであること」のほうが評価されるから、欠席せず、出てきたら与えられた仕事をきっちりとこなすことが、義務を果たす最良の方法となる。そのためにはまず仕事が与えられていることが重要だ。そして、前年度の実績は、その参照項目として最も説得力がある。こうして、それが必要かどうかの評価は一切なく、同じことが繰り返される。

泣きたくなるのは、そうやって耐え忍ぶ一年間を過ごして、「私は最初PTAは嫌だと思っていましたけれど、1年やって、みんなと力を合わせることの大切さを知りました」とか、「同じ学校のお母さんたちと知り合いになれてよかったです」とか、なんなんだろう、このポジティブな評価は、と思うような感想が続出していたことだ。力なんか合わせてないだろう、愚痴を言ってただけだろうとか、親睦が目的なら黙ってケイタイの画面ばっかり見てないでなんか言ったらどうだったのとか、よっぽど私の洞察力が足りないのか、ホンネとはかけ離れたようなことを、それもまるで本心からのように言っている人たちがいた。危うく人間不信に陥るところだった。

 

まあ、社会とはそういうものだと肩をすくめてしまってもいいのかもしれない。だが、問題は、それが行われているのが子どもたちの教育の場である学校だということだ。子どもは親の背中を見て育つ。親が、「無意味だけれど評価される」ことにうつつを抜かしているのを見た子どもたちは、それが正しいことだと思いはしないだろうか。あるいは、親が愚痴をいいながらPTAに出掛けているのを見た子どもたちは、文句をいいながら意にそぐわない職場に出るのが人生だと思わないだろうか。

 

もしもPTAが学校の下請け、学校の支援をするための組織であるのなら、そしてその現状を急激に変えるわけにいかないのなら、せめてこの無意味な義務感だけはやめて欲しいと思う。そうでなければ、誰も幸せにならない。膨大なムダがここで消費されて、結局は学校だってそれで助からない。これは本当。PTAからの学校の貢献って、教師がPTA関係で負担する時間的拘束や事務作業に比べたら、ほんと、たかが知れてるんだから。

日米首脳会談を延期すべきたったひとつの理由

来月、日本の首相がアメリカを訪問して日米首脳会談が開かれることになったそうだ。やめといたほうがいい。そう思うのはもちろん私がトランプ大統領に嫌悪感をもっているからというバイアスが強いのだけれど、それを意識的に割り引いても、やめておいたほうがいい。なぜなら、これは日本の国益にとってマイナスになるから。

政治とは、取引ではない。ビジネスではない。私はそう信じている。けれど、この際、私の信じていることは脇に置こう。トランプ大統領は政治を取引(ディール)だと思っているし、日本の政治家のかなりの部分は政治と商売を混同している。彼らがとりあえずの当事者なのだから、彼らの次元で考えてみる。すると、もちろん取引は有利に進めたい。有利に進めるにはタイミングが重要だ。

新政権の発足時には、まだ政策の細部が固まっていない。その時期に会談を行って自分の側の主張を相手に認めさせておく。ふつうなら、これは重要。だから、新政権発足時にはできるだけ早く首脳会談を行う。このあたりまでは常識。だが、相手は常識の通じないトリックスターだ。おまけに、いまは就任直後の強気がトランプにある。まだはじまったばかりで失敗がない。開業したての医者のところに幽霊が現れないという落語のオチ同様、いまのところ失政のマイナス点がない。だから強気で攻めてくるだろう。これがまず、交渉を進めるにあたっては有利ではない。このあたりは、こちらの記事にも同じような論調がある。

www.zakzak.co.jp

上記記事では「半年ぐらいしてから交渉を」と書いてある。交渉以前に顔をつないでおくことは否定しないどころか、首相に「自分の印象を強く残す」ことを勧めている。これはやめたほうがいい。

なぜなら、ビジネスマンは交渉のしやすいところから切り込んでくるからだ。だから、ゴルフの趣味が合うとかファーストネームで呼び合うとか、うっかりそういう糸口をつけてしまったら、向こうのペースでどんどん食い込んでくる。トランプ大統領のスローガンが「アメリカ第一」である以上、彼が求めてくるのはロクなことではないということが最初っからわかっている。ならば、できるだけ取り付く島をなくしておいたほうがいい。

いや、交渉は、相手の要求を確認して、それに対してこっちの要求をぶつけることだというもっともな考え方もあるだろう。だから、アメリカファーストで要求をぶつけてくるこのタイミングはチャンスでもある。しかし、そのチャンスを最大限に活かすには、向こうの方からアプローチさせなければならない。これは交渉事のポイントだ。お互いの要求があるとき、最初の第一歩を譲歩したほうがだいたいは負けに決まってる。御用聞きのようにこっちからご機嫌を伺いに行ったら、その時点で負けは決まったようなもの。まずは向こうがアプローチしてくるのを待つというのが、こういう強気のセールスマンを相手にしたときの正しいやり方。

 

そして、何よりも重要なことは、トランプ大統領の好調は長く続かないということだ。これは就任前からもうわかりきっている。実際、既に、移民を巡って全国的に司法との対立がはじまっている。

www.fnn-news.com

www.jiji.com

アメリカは三権分立の本場だ。ここからその本領が発揮される。トランプがクーデターでも起こして憲法を停止しない限り、いつまでも「大統領令」だけに頼った政権運営はできない。

となると、もしもいま交渉を始めたら、1年後には身動きのとれないレームダック状態の政権と命運をともにしなければならなくなる。首相の個人的な趣味ならそれもいいのかもしれないが、日本全体がそれに巻き添えを食うのは御免蒙りたい。

トランプ相場も終わりが見えてきた。終わりが見えてきた相場に参入するのは単なるカモだ。ここで突っ込んではいけない。手控えて、様子を見守るべきだ。交渉は、そこからでも遅くない。

ベストのタイミングは、相手が焦って動き出したとき。だから、いま、安倍首相はワシントンに行くべきじゃない、と思う。むしろメキシコとカナダを訪問したほうが、相手は嫌だと思うよ。相手の嫌がることをするのが勝負の鉄則じゃなかったっけ?

www.youtube.com

 

 

追記: なんだ、自民党のお偉方も似たようなこと言ってるんじゃないの? 首脳会談をやめろとまでは言ってないけど。

mainichi.jp

真実以後にモノを書くこと - あるいは私小説家とブロガーと

若い頃、「気軽に『真実』という言葉を使うな」と釘を刺されたことがある。もう記憶もはっきりしていないのだけれど、たぶん酒の席かなんかで、「君の言う『真実』は、単なる『事実』だろう。事実をいくら積み上げても真実には至らない」というような話ではなかったかと思う。出版業界の末端でアルバイトをしていた時代という以上の具体的なこと、相手も文脈も一切忘れたが、それ以来、真実とか事実という言葉を使うにはことさら慎重になった。だからそういう会話があったのは事実なのだろうと思っている。

「事実」はfact、「真実」はtruthの訳語であると考えてほぼまちがいないようなので以下はそのようにして話を進めるのだけれど、一応、定義がどうなっているのかを見てみる。

じ‐じつ【事実】

[名]
1 実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。「意外な事実が判明する」「供述を事実に照らす」「事実に反する」「事実を曲げて話す」「歴史的事実」
2 哲学で、ある時、ある所に経験的所与として見いだされる存在または出来事。論理的必然性をもたず、他のあり方にもなりうるものとして規定される。

デジタル大辞泉

 

しん‐じつ【真実】

[名・形動]
1 うそ偽りのないこと。本当のこと。また、そのさま。まこと。「真実を述べる」「真実な気持ち」
2 仏語。絶対の真理。真如。

デジタル大辞泉

 

fact
1:  a thing done: such as
a obsolete : feat
b : crime <accessory after the fact>
c archaic : action
2   archaic : performance, doing
3:   the quality of being actual : actuality <a question of fact hinges on evidence>
4  a : something that has actual existence <space exploration is now a fact>
b : an actual occurrence <prove the fact of damage>
5: a  piece of information presented as having objective reality <These are the hard facts of the case.>

(Merriam-Webster)

 

truth
1  a archaic : fidelity, constancy
b : sincerity in action, character, and utterance
2  a (1) : the state of being the case : fact (2) : the body of real things, events, and facts : actuality (3) often capitalized : a transcendent fundamental or spiritual reality
b : a judgment, proposition, or idea that is true or accepted as true <truths of thermodynamics>
c : the body of true statements and propositions
3  a : the property (as of a statement) of being in accord with fact or reality
b chiefly British : true 2
c : fidelity to an original or to a standard
4  capitalized, Christian Science : god

(Merriam-Webster)

となっている。つまり、一般的には「事実」は「実際にあったこと」であり、「真実」は「嘘のないこと」である。英語ではtruthは部分的にfactと重なるが、大きく括っていえば日本語とよく対応している。

ということから、「事実はひとつだけれど、真実は人の数だけある」というような説明がよく見られる。つまり、話す人が「嘘偽りないこと」と信じていればそれは「真実」なのであり、人間の感覚が偽りを含んでいる以上、それは「事実」と異なるのが普通である、という解説である。

トランプ当選以後にpost-truth、ポスト真実という言葉が語られるようになった。この言葉も、この「事実」と「真実」の理解に沿って語られることが多いように思う。たとえば、

brighthelmer.hatenablog.com

このブログ記事では、「真実は一つではない」と、「解釈」こそが「真実」を構成するのだというしての展開がされている。人が何かを「正しい」と信じるのは必ず解釈の過程を経たうえでのことなので、「正しいと信じていることの言明」が「真実」であるのなら、それはそのとおりだろう。

 

しかし、私は「真実」という言葉のこのような用法にはどこか違和感を覚える。それは、遠いむかし、私に「気軽に真実という言葉を使うな」と言った先輩の言葉の重さをずっと引きずってきた感覚として、なのだろう。単純に「私が正しいと思っていること」は、「真実」ではないと思う。

ここでもう一度、先ほどのpost-truthだが、この言葉、実際にはどういうものなのか。どうやらこれは、post-truth politicsと、政治的な文脈で使われるようになったのがはじまりらしい。面倒なのでWikipediaのpost-truth politicsの解説によると(良い子の皆さんは一次資料にあたってください)、

The term "post-truth politics" was coined by the blogger David Roberts in a blog post for Grist on 1 April 2010, where it was defined as "a political culture in which politics (public opinion and media narratives) have become almost entirely disconnected from policy (the substance of legislation)".

と、「政治がポリシーからほぼ完全に切りはなされた政治文化」と定義づけられている。つまり、世論やメディアの論調などの政治的言説がポリシーと何らの整合性をもたない状況を伴う文化である。ここで「ポリシー」をあえてカタカナ書きにしたのは、これが「法制度の実体」と括弧書きされているからでもあるし、「政策」という言葉に置き換えるとちょっとはみ出す部分も出てくるように思うからでもある。

policy
1  a : prudence or wisdom in the management of affairs
b : management or procedure based primarily on material interest
2  a : a definite course or method of action selected from among alternatives and in light of given conditions to guide and determine present and future decisions
b : a high-level overall plan embracing the general goals and acceptable procedures especially of a governmental body
(Merriam-Webster)

と、ポリシーの定義の最初に来るのは「物事を進めるための深謀遠慮」であり、次に「現在・未来の判断を導くため、複数の選択肢のなかで与えられた状況下で選ばれた一定の方向性や行動方法」のことであって、結局は「政策」ということになっている。つまり、ポリシーは政治レベルだけでなく個人レベルでもその行動を決めていく基本的な思想である。

そういった思想と、実際に行われている施策が完全にズレていて、かつ、それを不思議とも思わない状況が、つまりはポスト真実である、ということだろう。そう思うと、この場合の「真実」は、単純に「自分はそれを実際にあったことだと信じている」という意味で使われているのではないはず、と思い当たる。

たとえば、既に前政権となったオバマ大統領のポリシーはアメリカ憲法にうたわれた自由と平等であり、さらにその前提としての世界平和であったことは疑う余地がない。ところが、実際には核廃絶が一歩も前進しなかっただけではなく、アメリカの軍事行動は世界各地でより一層激しくなった。格差問題は解消しないどころか拡大した。政治はポリシーと完全に矛盾していた。ここで重要なことは、ひとつひとつの政治的行動の正しさをオバマ本人に質したら、よっぽどでもなければ「自分のとった選択はその時点でベストだった」と答えるはずだということだ。つまり、「正しいと信じているかどうか」ということでいえば、これらは全て「真実」である。しかし、それはより根本的な真実とは大きく乖離している。そして、この「真実」とは、ポリシーの根幹を成すその人の信念、しかも、それが社会的に共有された理念としての信念であろう。

 

ここで「真実」=truthの定義を見なおしてみよう。すると、「絶対の真理」や「a judgment, proposition, or idea that is true or accepted as true」(真あるいは真であると受け入れられている判断、、前提、概念)、さらには「真如」「神」といった宗教的な概念を指す場合もあるのだと書かれている。おそらく、むかし私に注意した先輩の念頭にあった「真実」はこういうものであり、私もそう受け取ったのだと思う。さすがに神仏のことまで言わないにせよ、不動の行動基準となるような一組の概念セットを「真実」と呼ぶ用法はそれほど特殊なものではない。むしろそちらの方が広く使われているような気がする。そして、そのほうが「事実」と対比させる上ではより使いやすいのではないだろうか。

 

そういった「真実」の使い方は、実は近代日本文学においてはふつうにみられるものである(だから出版業界の片隅にいたときに先輩からそういう言葉が出たのだと考えれば非常に納得がいくことでもある)。いま手許にその根拠となる適当な文献がないのだけれど(図書館にでも行けばかんたんに見つかるはず)、たとえばネット上で公開されている論文を検索してたまたまトップに出てきたものを引用すると、

私小説」においては、その特性上、作者自身の細々とした身辺雑記や心境吐露を主要事とするだけに、描かれる事象はすべて作者の知悉した世界であり、まさか「絵空事」をでっち上げているのではなかろうという読者の期待に副った展開が図られる。したがって、そこに描き出されるのは、すべて「ありのままの現実」であり、「実はほんとはかなり嘘をついてる」(丸谷才一)2)にしても、原則的には嘘偽りのない「真実」が隈なく語られているのだという幻想が振りまかれる。
『本格小説』(水村美苗)における「語り」の構造―表象の自由と読者関与の可能性をめぐって― (柴田庄一

あるいは、

彼らはその出発において失うべきなにものも持たぬ生活失格者なのだ。彼らをささえる唯一の矜恃は芸術家としての真実性以外になかったのである。辛うじてその真実性を唯一のアリバイとして彼らは極貧の生活にもたえしのんだ。葛西善蔵から藤沢清造をへて川崎長太郎にいたる代表的私小説家の生活コースがここにさだまった。彼らは芸術家として作品のリアリティではなくて、制作態度の誠実性にすがるしかほとんどほどこすすべを知らなかったのだ。とすれば、彼らが近代小説としての芸術的方法なぞ確立する遑もなく、みじめな日常生活の断片をその破滅的なすがたにおいて文学の世界に持ちこむしかてだてのなかったのも、また当然だろう。日常性の次元と芸術の次元とを等価にむすぶことによって、辛うじて職業作家としての生活が成立する。
平野謙:メディアの中の〈私小説作家〉─葛西善蔵の場合(山本芳明)の引用による

ここで用いられている「真実」は、決して「作者がそう思っている」という主観的事実のことではない。それであれば、どんな駄文を書いてもそれが作者の主観と異なることがなければ「真実」となる。そうではなく、そういった主観的事実を通じた作者自身の世界観、そしてそれを通じることによって自分自身が見るのとは異なった角度から見る現実世界を「真実」と呼んでいるのではないだろうか。つまり、昭和文学のいう「真実」とは、生身の人間をフィルターとして使用することによって担保される「嘘偽りのない」現実のことであろう。

きちんともっと別な文献を探せばもうちょっとしっかりした議論もできるのかもしれないが、ここで私が言いたいことは、たまたま手当たりしだいに引っぱり出した文献からだけでもすぐにこういう話ができるぐらいに「私小説」的世界では「真実」が、少なくとも「その人が正しいと信じている事実」以上の意味で用いられてきたことは明らかだ、ということだ。そして、たぶんそれは「ポスト真実」という言葉の真実(truth)の用法を考えるときでも重要ではないだろうか。この「真実」は、実際にあったかどうかが確認できる「事実」ではなく、より根源的な人間社会の原理としての真実である。そして、それが既に原理としての力を失っている、と見るのがポスト真実の意味するところではないか。すなわち、理念というものが現実の行動に対して何らの作用を及ぼさない世界だ。あらゆるものがその場の力関係と感情によって動く。理性が民主主義社会の根幹であるとするなら、ポスト真実はつまりポスト理性であり、つまりはポスト民主主義であると言っていいのかもしれない。

 

とまあ、「ポスト真実」について思うところはこの程度なのだが、こういうことを考える過程で見つけた上記の2つの文献、「たまたまトップにあった」だけということで貶めるつもりは何もなく、これらはこれらでそれぞれなりにしっかり書いてあって面白い。その紹介みたいなことをしても仕方ないので書かないのだけれど、読んでいて思ったのは、昭和初期の「文壇」と、現代のネット社会って、どこか似ているなあと思うこと。特に、「私小説家」と「プロのブロガー」は、似ている。

上記引用の山本芳明氏の論文によれば私小説家の発生は第一次世界大戦後の景気変化に大きく影響されたようだ。そして、社会の動向が表現形式に影響を与えるということでいえば、ネット広告との関連を無視しては語れないブロガーの存在もまた、同じような文脈で語ることができるのかもしれない。また、それ以上に、多くのブロガーが自分自身の日常の断片を売り物にしている状況は、そっくりそのまま私小説家の状況と重なる。リアリティのもつ強みに頼るがあまり社会規範を踏み外してしまうことも、また一部の私小説家、ブロガーに共通する。人生の破滅、までいかなくても、それに近いところまで行く。あるいは、個人としての信用を著しく低下させてしまう。

だからといって、私はそういう在りかたを批判しようというのではない。やはり遠いむかし、私は昭和初期にデビューしたある私小説作家の全集編纂に関わったことがある。関わったといえば聞こえはいいが、大物編集委員たちと会ったこともなければ編集会議に参加したこともない末端の文字校正者に過ぎなかった。とはいえ、相当に分厚い全集を端から端まで読み尽くして、大きな感動を受け取った。そこにひとつの「真実」を見た。それは私自身の「真実」の一部のどこかを構成しているはずだ。

そういう感動を与えるためには、この作家の場合、半世紀以上にもわたる粘り強い創作活動の継続が必要だった。二流作家と見られ、経済的にも苦しみながらも、この作家は死ぬまでペンを手放さなかった。 文を書く、ひとに何かを伝えようとする、そういう行為は、それだけの忍耐を必要とする。

だから、現代の私小説家であるブロガーたちにも、 私は死ぬまで書き続けて欲しいと思う。ひとの評価は、瞬間最大風速のPVやアフィリエイトの売上や収益によってではなく、結局は棺を覆ったときに定まる。だからこそ、社会状況や経済情勢が変わろうと、メディアが変わろうと、書くと決めたひとは死ぬまで書いて欲しい。読者を動かしたければ、そのぐらいの気概で、この真実以後の世界を書き抜いて欲しいと思う。

 

ま、アクセス数が気になる気持ちもわかるんだけどね。私も毎日チェックしてるし。それが私の真実、か。

 

 

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ちなみに、ちょっと前から私小説家とブロガーのことをぼんやり考えていたのだけど、これで記事を書こうかと思ったのは、こちらのブログ記事を読んだのがきっかけ。作品と作家の問題は、むずかしいと思う。

www.saiusaruzzz.com